扉
はじめて訪問したおじいちゃんが「死んでもいいや」と言った。
今振り返ると、僕の福祉のスタートはここだったと思う。あれから3年経ち、僕は今日も福祉の現場に出ている。
福祉とは、ふだんの、くらしの、しあわせ。
全ての人にとって大切なものだと思う。
そして、それが"広義の福祉"だとすれば、狭義の福祉とは何か?それはきっと、ケアや支援、そこで必要になる「専門性」だと、僕は思う。
僕はなぜ、専門性を身につけようとしているのか。
僕はどうして、狭義の福祉に首を突っ込んだのか。
その理由は、3年前に「死にたい」と言ったおじいちゃんが「生きたい」と言える暮らしや地域はどんなものなのか知りたいからだと思う。
福祉の専門性にはその人に寄り添いながら、声なき声に耳を傾け、それを紐解き、ケアをしていくプロセスがある。
学生の時の僕に、それが少しでもできていれば、人の人生をもう少しより良くできたのかなと、今になって少し思う。
でもこれからもその問いも日々も続いていく。
だからこそ一日一日現場で学びながら、僕も成長したいと思う。
広義の福祉と狭義の福祉
そこにある壁は、もしかしたら「自分には無理だろう」という壁なのかもしれない。
死にたいと言っているおじいちゃん
なかなか環境に馴染めず困っている友達
生きづらさを抱えている誰か
それをその現状や枠組みだけで捉えるだけではなく、さまざまな角度から覗いてみて、その人の声に耳を傾けてみる。
社会や環境のせいにするだけではなく、
まずは目の前の人に対して、自分は何が出来るのかを考えてみる。
「この人のために自分には何が出来るんだろう」
そう心から思えた時に、きっと狭義の福祉への扉も開くんだと思う。
諦めずに、その人に寄り添い、支える方法はきっとある。
僕も日々学びながら、頑張ります
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