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【#Real Voice 2023】 「葛藤」 1年・小笠原幹太

初めまして。今回部員ブログを担当させていただく、ゲッツ廃品回収でお馴染み、アスルクラロ沼津U18(加藤学園暁秀高等学校)出身の人間科学部1年小笠原幹太です。




まずは自己紹介から。


自分は新潟県出身で、小2からサッカーを始め、小3でアルビレックス新潟のサポーターになりました。(今でも生粋のアルビサポです)


いつまで経ってもリフティングが上達せず、その当時FWだった私は小3にしてFWじゃプロになれないと悟り、キーパーだったらリフティングいらないじゃんという理由でキーパーへの転向を考え出していました。


そんなとき、初めてアルビのアウェーの試合を観に行きました。
相手は当時首位だったマリノス。
今日アルビに勝てば優勝が決定するという試合で観客は6万人越え。
その試合で、当時アルビのキーパーだった東口選手のスーパープレーもあり、アルビが2-0で勝ちました。


完全アウェーの中での勝利ということもあったからか、いつも以上に(オレンジではなく)緑のユニフォームが輝いて見えました。

「俺も東口みたいになりてえ」
「キーパーかっこいい」
と思いキーパーの道でプロを目指すことを決意しました。




それから小5で静岡に転校し、中学から6年間アスルクラロ沼津でプレーをしました。全国大会には一度も出たことがないですが非常に密度の濃い6年間でした。


去年のクラブユース東海予選で西(1年・西凜誓)にゴールを決められ全国大会出場を逃した瞬間です










今回ブログを書くに当たって何を書こうかと迷いましたが、ア式に入っての自分の経験や心情を包み隠すことなく話し、自分と向き合うきっかけにしたいと思います。







では始めます。










私は諸事情があり、3回目のランテストから活動に参加したため、少し周りよりも遅くのチーム合流となった。




私にとって初めての「部活動」だったので
「部則多いな」
「自分の練習じゃないのにサポートするんだ」
「活動時間なが!」
と驚きの毎日だった。




ア式には仮入部期間というものがあるが、練習でコーチングをするときに名前を呼びたかった私は、毎日ア式のホームページの選手一覧を見て選手の顔と名前を覚えていた。
それが功を奏し、2、3日でほとんどの選手の名前を覚えてしまったため、チームにもすぐ馴染むことができ、比較的早く入部することができた。



入部してから3、4試合は公式戦にベンチという形ではあったが帯同でき、20分だけだが試合にも出れた。(0-6だった状況でのラスト20分)




ベンチ入りし始めて3試合くらい経ったときにふと「そろそろ自分の番かな〜」と思った。




自分の中では、試合に出ている人と対等にやれてるつもりだったし、0-6という大敗した試合の後だったのでそう思ったのかもしれない。



そんな私の考えに反して、その次の試合から私はメンバー外、いわゆる「バーガイ」になってしまった。




「バーガイになった」という感覚はもちろん悔しいのだが虚しさもあり、19歳にして初めて経験するものだった。




ユース時代は3年こそすべての試合に出られるようになったが、2年のときは先輩がやらかしたときにしか出れず、1年のときの序列は1番下だった。




「バーガイの経験あるじゃん」って思った人もいると思うが、ユース時代は出れないことを学年が低いからという理由で片付けてしまっていたため、恥ずかしながら自分が実力で負けたと思ったことがなく、悔しい、虚しいなどの感情を抱いたこともなかった。




どうせ俺の方が上手いし

3年だから出てるんでしょ

トップ昇格じゃなくて大学卒でプロになるし、まだこの先何年もあるから焦んなくてもいいや




監督からは常々、「試合があるのは当たり前じゃない。毎試合感謝してプレーしないとダメだ。」と言われていたが、自分が試合に出れないことに関してさっき書いたような甘い考え方で過ごしてしまっていたため「そろそろ自分の番かな」と思ってしまったのだ。










そこから試合に絡めなくなった私は、いわゆる「バッド」に入った。




常に自分は1番下にネームマグが貼られて、練習試合では最後の1本に出場。
ユースのときとは違い、よく分からない猛烈な焦りが自分の中に出てきた。




後4年しかない。同期のキーパーはもう2人とも各カテゴリーの主力だ。やばい時間がない。




後この先何年もあるというユース時代の思考はいつの間にか無くなり、ただただ焦っていた。




やるしかないと思い週頭の練習に臨むが、今週もバーガイということがわかってくると自然とモチベーションも無くなっていった。




そんな自分が使われる訳もなく、練習ではイージーなミスを連発する日もあれば良いプレーをする日もあり、キーパーとして1番大切な「安定感のあるキーパー」とはかけ離れた選手になってしまった。










そんなある日、自分はIリーグのバーガイで行われる練習試合のバーガイになってしまった。




さすがに訳が分からなかったが、その試合後おざさん(コーチ)と話す機会がありそのときに
「もう1回初めて練習に参加したとき、早稲田を目指そうと思ったときを思い出してみろ。」という言葉をかけていただいた。


内田さん(キーパーコーチ)も気にかけてくださり、電話で当時の自分の率直な思いを話す機会をいただいた。


すると「幹太はここが他の選手と比べて劣っている。でもここは長所だからそこは伸ばしていこう。必ず幹太は成長する。一緒に頑張ろう。」と的確で、かつ私のスイッチを押してくれるアドバイスをしてくださり、心を動かされた。










その日から私は自分自身と戦うことにした。


今まで、序列がどうとかなんで試合に出れないんだとか視線が外に向き、常に評価を待ってしまっていた。


「まずは自分の課題に向き合わないと。評価ばかりを気にして自分に集中できてないじゃん。」




自分に負けない。「これでいいか」を無くす。日々の練習を大切に。




そう意識していくうちに自然とイージーミスは減っていき、ミスをしても狙いのあるミスに変わっていったと思う。いや変わった。




よく大翔(1年・鈴木大翔)がかっこつけて、「向上心持って取り組めば効果は約2.6倍。2.6倍やで!」と、どこで得たか分からないような知識をぶつけてきて、最初の方は軽くあしらっていたが、あながちそれは間違ってないなと感じた。










私の好きな櫻坂46の振付師をされているTAKAHIRO先生の言葉で好きな言葉がある。


「人は二つのものさしを持つことが大切だ。短いものさし、長いものさし。昨日の自分と比べて短いものさしのメモリがどこまで伸びたのか、半年前あるいは一年前と比べ長いものさしのメモリはどこまで伸びたのかを知ることが大切だ」




私は昔のできていた自分と比べてばかりいて、長いものさししか持ってないような感じがした。




短いものさしで自分を見て、今に向き合わないといけない。




数ミリでもいいから昨日よりも成長しないといけない。




そう思わせられた言葉だった。












まだスタメン出場は叶っていない。


そう簡単に信頼は取り返せないだろう。


けど続けるしかない。


小笠原やります。





小笠原幹太(おがさわらかんた)
学年:1年
学部:人間科学部
前所属チーム:アスルクラロ沼津U-18


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