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【#Real Voice 2022】 「サッカーは果たして人気であるのか。」 2年・矢萩啓暉

4年に1度開催されるサッカーの世界大会「FIFAワールドカップ」。32か国から集結した世界を代表する選手たちが、最高の瞬間と驚きをもたらしている。



ピッチで躍動する選手たち。
様々な衣装を身にまとい、顔にペイントを施し、迫力のある大合唱や手拍子で選手たちを鼓舞するサポーター。
ゴールや勝敗への感情の高まり。
歓喜と絶望が渦巻く、ある意味カオス状態のスタンド。
この上ない歓喜の瞬間や無慈悲なまでの失望の闇の連続。



一瞬一瞬の見るものすべてが、感情を揺さぶり、狂わす。現在も尚、世界中が熱狂に包まれている。




我々の日本代表は、PK戦で惜しくもあと一歩届かず、悲願のベスト8進出には至らなかった。しかし、スペインやドイツといった優勝候補相手への歴史的な勝利、最後まで勝利を追求し続け戦う姿勢は、多くの人に勇気と感動を与えた。世界相手にも私たち日本人が戦えるということを証明してくれた。



多くの人の感情を揺さぶれる。また、国境を越えた人々との繋がり、一体感も生み出すことが出来る。






やはりこれこそがサッカーの魅力である。やはりサッカーは素晴らしいスポーツだ。




と多くの人が感じただろう。




私も「やっぱりサッカーっていいな」と再び感じた。



しかし、そうであるのに...?



『サッカーは果たして人気であるのか。』という題名。




この題名を読んで、多くの人が疑問を抱いただろう。



「サッカーが人気なのは当たり前でしょ!」

「こいつはなにを言ってるんだ。意味が分からない」とか。



私もずっとサッカーというスポーツに触れ、大好きであったため、サッカーというスポーツが人気であるということが当たり前だと思っていた。同じ考えの人は多く存在していると思う。



しかし、最近、日を重ねるにつれ、そこに対して少しずつ違和感を覚え始めたのである。「あれ、サッカーって人気なんじゃないっけ?」と思うことが増えてきたのだ。



今回のブログではそこに対する本音、考えを綴りたいと思う。



私たち早稲田大学ア式蹴球部の部員ブログである「Real Voice」。日頃の活動を通じて感じた組織や自分自身に対する思いや考えを曝け出して、発信していく場である。そのため、ア式蹴球部という組織やア式蹴球部での活動、自分自身というテーマが基本的に軸となってくる。



そういったこともあり、今回は、他の部員と少し違った観点・軸からブログを書いていきたい。「サッカー」というとてつもなく大きなテーマで。


いい意味で捉えれようとすれば、差別化です。差別化ということにさせてください。



良い意味でも悪い意味でも、自分の考えに対して批判があればいいなと思っている。
「やっぱり意味がわからない」でも嬉しいし、何かしらの感想や考えを持ってくれたら嬉しい。




前置きが長くなってしまったので、早速、本題に入っていく。



▼「サッカーは果たして人気であるのか」


そもそも、なぜ「サッカーは果たして人気であるのか」という疑問を持ち始めたのか。まず、そのきっかけについて話していく。



最初のきっかけは、恐らく「サッカーの人気は低下している」「サッカー離れが進んでいる」という情報を何度か見たり、聞いたりしたことであった。



例えば、Twitterなどの利用によって、そういった情報が目に入ったりとか、好きなサッカー番組において、サッカー人気というものがテーマとして特集されていたのを見たり。きっかけは些細なことであった。


しかし、まだこの段階では、



「サッカーの人気って低下してるんだ。そんなことないと思うけどな。」



そんな程度であった。



そういった中で、実際に、「サッカーの人気」について深く考え始めたきっかけは、今年の第73回早慶サッカー定期戦の集客活動のために、早稲田キャンパスで行った、ビラ配りであった。




ビラ配り後。率直な感想は“驚き”の二文字。





衝撃を受けた。




ビラ配りという活動だからという割り切り方もできると思うが、あまりにもサッカー早慶戦に興味を示して貰えなかった。まったくビラを貰ってもらえなかった。





「いや、なんで。興味ないのおかしくない?」「え、早稲田の学生なのに早慶戦興味ないの?しかもサッカーだよ。」





と私は、怒りさえ覚えていた。





しかし、思考を巡らせる中で、浮かんできたのは以前見聞きした「サッカー人気の低下」「サッカー離れ」という言葉であった。






「自分自身の考え方が間違っているのかもしれない」そう感じ始めた。





そして気づいた。






サッカーが人気であると思い込んでいたんだと。

サッカーが人気であることは当たり前だと意識しないうちに自分の考えに刷り込まれていたんだと。








その考えをさらに深めてくれた、助長してくれたのは、外池大亮監督(元監督)であった。外池大亮監督は、何事にも常に考えることを求め、本質的な部分を追求している人である。外池大亮監督からは、考え方や物事の捉え方など、今まで出会えなかったものに出会わせてもらい、様々な事を学ばせて頂いた。そうした外池大亮監督の考え方の一つで、この時に結びついたものがあった。







社会との接点を持つ」という考え方。






(私なりに)解釈すると「我々人間は、あまりにも狭いコミュニティに存在していて、多くの人がそういったことに気づいていない。社会との接点を生み出すこと、自分とは違うコミュニティと関わりを持つことで、新たな考え、学びが得られ、視野が広がる」ということである。そういったことを常に仰っていた。






「あ、まさにそういうことなのか」とすごく納得した。





私たちは、サッカーという限られた狭いコミュニティに依存している。しかし、それに気づかず、サッカーが人気であると思い込んでしまっていた。サッカーというコミュニティに依存していたから、自然と周りに、サッカーが好きな人が多くいるだけだった。自分たちが多数派だと思い込んでいた。そのコミュニティから逸脱してみれば、サッカーが好きな人と出会わなくなるのは当たり前であった。サッカーというコミュニティに依存してたからそういった考えしか生まれなかったんだと。その実体験が早慶戦前のビラ配りであった。





なぜ、私がこのようなことを書いているのかというと、






多くの人が「サッカーは人気だ」と何も考えずに、思い込んでいる。




と感じたからである。



人間は集団・コミュニティをつくり、常にそこに属したい習性を持っている。「サッカーは人気だ」と何も考えずに、思い込んでしまっていると、サッカーが好きではない、また興味がない人間を排除してしまう恐れがある。サッカーが好きじゃないのはわかっていないといって、その人たちを否定しかねない。

よく考えてみてほしい。実際に、知らず知らずのうちにそういった人を排除してしまっている経験はあるだろう。その結果、サッカーという限られたコミュニティだけに属し、視野が限定されてしまっている。そういった人たちは、自分たちが正しいと思い込み、客観的に見れなくなってしまう。閉鎖的に生きているのだ。





この考え方は、サッカーにおいてだけではない。様々な事象において考えることが出来る。人間は、思考に基づいて行動する生物である。ある集団に属し、そこに強い思い込みが生じてしまうと、客観的に見れなくなり、自分たちが正しいと思い込む。

そういったことが、差別などの多くの問題に繋がっていくのかもしれない。






ここで考えてほしいことは、





私たち人間は、限られたコミュニティに依存してしまっていること






そこに気づく必要があると強く感じている。








限られたコミュニティからの逸脱






私たちは閉鎖的に生きているのかもしれない。ある集団に依存することに居心地の良さを感じ、満足しているのかもしれない。そこに気づき、違うコミュニティと関わりを持つことで、自分の思い込みに気づくことが出来る。また、今まで気付かなかった何かに出会うかもしれない。思い込みから抜け出すことが重要。そういったことが多様性の尊重に繋がるのかもしれない。





少し話がずれたが、
「サッカーは果たして人気であるのか」というのに対して、明確に人気であるとも人気ではないとも言えない。私が言いたいことは、別に人気か否かではない。

日本の人口に対して、サッカーの競技人口は3%程度。あくまで恐らくだが、サッカーが好きな人を入れても10%も満たさない。


やはりサッカーというのは狭いコミュニティだ。


そこに気づく、そういった視点を持つこと、そういった思考方法がやはり重要なのではないだろうか。 

なにもサッカーというコミュニティに属すなといってるわけではない。
そこだけに依存するのが良くないことなのである。


様々なコミュニティに関わりながら、客観的に自分自身というものを捉えていき、広い視野を持って可能性を追求していく
。それこそが重要なのではないだろうか。





そのような視点や考えが持てれば、新たな視点を持って、サッカーというものの捉え方を変えられるのではないか。サッカーというスポーツをより良いものにすることが出来るのではないか。





そういったことが出来てこそ、私たちが大好きなサッカーというコミュニティを拡大していくことが出来るのではないか。




わかりづらいかもしれないが、私の言いたいことが少しでも伝わっていたら嬉しい。






▼「サッカーの未来とは」


ここからは、サッカーの今後について、私なりに考察してみる。




我々の住んでいる世界は、止まることなく、常に発展し、変革し続けている。狩猟社会(Society 1.0)から始まり、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、そして、現在の情報社会(Society 4.0)に至る。



さらに、内閣府によると、我が国は、更なる発展を試みていて、新たな未来社会であるSociety 5.0の実現を目指しているらしい。



Society 5.0とは、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会のことだ。



今までは、人間が、サイバー空間(仮想空間)、いわゆるクラウドにアクセスして、情報を入手するなどしていたが、やはり人間の能力には限界があり、格差が生まれてしまっていた。しかし、Society 5.0では、サイバー空間において膨大なビッグデータをAIが解析し、その結果が、ロボットなどを通して人間にフィードバックされることになるらしい。



私も全然理解してはいないが、すごい社会になりそうな予想はできる。経済発展とか社会的解決に繋がるのかもしれないが、アイデンティティの損失など他の問題も必ず生じてくるだろう。




常に思考を止めることだけはしていけない。取り残されてしまう。




社会は、常に変革し続けている。






それに対して、サッカーはどうか?




ルールなどの多少の変更、VARやゴールラインテクノロジーの導入などはあるが、19世紀にイギリスで制定された以来、基本的には変わっていない。





ただ、変わることだけがすべてではない。普遍的なものも、必要不可欠ではある。






そうではあるが、サッカーというコンテンツに新たな価値が見出され始めている





例えば、日本には、人気クリエーター、インフルエンサーが集結したwinnersというサッカーチームがある。彼らは、YouTubeでの配信を主として活動していて、高校・ユース年代と試合などを行い、サッカー界を盛り上げようとしている。




去年、日産スタジアムで、インフルエンサーチームであるwinnersとレジェンドたちが集まり、試合し、大盛況であったため、今年も試合を行うらしい。





さらには、インフルエンサーによるサッカーリーグも建設される予定らしい。




なにが言いたいのかというと、そこに需要が生まれているということ。





インフルエンサーチームとレジェンドチームが日産スタジアムで試合をしたり、インフルエンサーによるサッカーリーグが出来るのは、そこに需要が生まれているから。





上手さや技術だけではないもの





プロサッカーとはまた違ったコンテンツとしての面白さ





初めのうちは「何だよ、これ。お遊びじゃん」と思い込んでいるかもしれない。しかし、今後はそれが当たり前になっていくのかもしれない。実際にそういったものに、見入っている自分もいる。




テレビをあまり見なくなったなど、スマホ一つですべてを満たせる時代。




確かに、若者のニーズに合っている。





そういったものを通じて、サッカーというコンテンツを好きになってもらうということが一般的になってくるかもしれない。






サッカーという中に、また違った、現代ならではの価値が生まれ始めている






話は変わるが、欧州スーパーリーグの設立を共同声明の形で発表し、サッカー界を揺るがしたレアル・マドリードのフロレンティーノ・ペレス会長をご存じだろうか?






彼は、欧州サッカーの今後について強い危機感を持っている人物である。





彼は、10代、20代の若者に「サッカーに無関心」の人が増えているというデータをもとに、試合をもっと興味深いものにしようとしている。






例えば、現在のサッカーの試合時間が若い世代にとって長すぎる可能性を指摘し、試合の質を上げる、そしてより面白さを出すためにも、90分という試合時間を短くすべきだと彼は語っていた。




試合時間を短くするという案を初めて聞いたときは、





「何をいってるんだろう」と全く理解できなかった。




しかし、立場を変えて考えてみると、初めて見る人にとってはあまりにも長すぎる時間なのかもしれないと感じ始めた。自分たちにとっては90分間の試合が当たり前であるけど、初めて見る人、興味のない人にとっては苦痛の時間とも言える。






試合時間を短くするのは、理にかなっているのかもしれないと思い始めた






なぜなら、現代の若者は、短い動画コンテンツを楽しむのに慣れてしまっているからである。私もそうであるが、今の若者たちはYouTubeやTikTokといった比較的に短い動画を好む傾向にある。そういったことも「若者の無関心」に繋がっている。






その背景には、膨大な情報を効率良く消費する、情報の効率化なんかもあるかもしれない。






やはり、そう考えれば、若者のたちに興味を持ってもらうためにも、試合時間を見直すことも検討していくべきなのではないかとも感じる。





今後のサッカーというスポーツが、どうあるべきなのか、どうなっていくのか全く見当もつかない。





もしかしたら、将来は、サッカーというものが、バーチャルリアリティーの世界と融合し、イメージ中でサッカーをするのがポピュラー、マジョリティになっていくかもしれない。






いや、サッカーというスポーツは普遍的なものなのかもしれない。






どうなるかは本当にわからない。






しかし、私は、サッカーというものが今後何百年と生き残っていくためには、変化も必要であると思う。







何が答えかはわからないが、何よりも、考えることが重要だろう







長々とまとまりのない文章を書いてしまいました。サッカーというものをテーマとして、自分の感じてきたことを綴りました。少しでも、何か伝わっていれば嬉しいです。






サッカーというスポーツを愛しているなら、サッカーというものに本気で向き合い、考える必要がある。





「サッカー」というものに対して、向き合えているか。楽しめているか。







よりよいスポーツにするために。もっと愛されるスポーツになるために。






「もっとサッカーを深め、もっとサッカーを愛せ。」








これからも思考を止めることなく、様々なことに疑問を持ち、考えていけたらなと思う。




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



◇矢萩啓暉◇
学年:2年
学部:教育学部
前所属チーム:モンテディオ山形ユース




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