【#Real Voice 2024】 「感謝を胸に」 1年・瀧澤一心
こんにちは。
この度部員ブログを書かせていただきます。
ア式蹴球部1年の瀧澤一心です。
文章を書くことはあまり得意ではない為、拙い文章となっておりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
冒頭にア式蹴球部1年と自己紹介をさせていただきましたが、正確にはスポーツ科学部(以下スポ科)では2年生にあたる20歳です。私がなぜスポ科では2年生であるのに、ア式蹴球部(ア式)では1年生として活動しているのか疑問に思った方もいらっしゃるでしょう。そこで今回は主に大学1年生(19歳)前後の頃について書かせていただきたいと思います。
高校3年の夏、クラブユースで3位になった。ハーフタイムで雷雨がひどい為、試合は中止となり、抽選の結果準決勝で日本一への道は絶たれた。
悔しい。ムカつく。なんだそのルール。負の感情が止まらなかった。
それでも時間が経つにつれ、私がこれまでやってきた行動は間違ってなかったのかもなと少し自分を認めることができた。
クラブユースが終わってから本格的に皆進路を固めだし、続々と次のステージが決まっていく中、私はAO入試に挑戦することにした。なぜなら、中学時代にア式の方の部員ブログを読み、「サッカーも上手くて頭も良いこの集団めっちゃかっこいいな。」と感じた時から、大学でサッカーをするなら早稲田がいいなと考えていたからである。スポーツ推薦で早稲田に入るほどサッカーの実力は無かったし、一般入試で入るほどの頭脳も持ち合わせていなかった為、このような形を取り、レイソルユースの同期の中で1人だけ夏を越えても進路が決まっていなかった。それでも早稲田に入りたいという思いもあり、移動時間や授業中、練習後の時間を使って小論文と面接の対策をして、なんとか合格することができた。
その後はかろうじてプレミア残留を決め、皆次のステージに向かって準備を始めていた。私も当然ア式に入る準備を行っていた。ア式に入る為には、ランテストに合格したのち仮入部期間を経て入部に至ることは事前に知っていた為、個人で走ったり、大学の練習に向けて体作りをしているユースの同期と一緒にトレーニングをしたりした。レイソルユースでは、高校2年時から国見高校→明治大学を経て、柏レイソルでもプレーした藤田優人さん(現・柏レイソルユース監督)にみっちり走らされていた為、そこまで不安視はしていなかった。
しかしやってみれば余裕の不合格。2回目も3回目も不合格。本当に情けなかった。皆が当たり前のように合格をして東伏見でサッカーをしている姿を見て、自分は何をしているのだろうという気持ちに何度なったかわからない。結局最後の1回まで挑戦し続けたが、不合格となり私の大学1年目はア式でサッカーをするという選択肢は無くなってしまった。
話は少し逸れるが、私は柏レイソルアカデミーに入った中学1年生から6年間、サッカーが楽しいと感じた瞬間はあまり多く無かった。レベルの高い環境に身を置いたことで、楽しいやワクワクよりも、上手くいかないことによる苦しさや失敗に対する恐怖心が先行し、心からサッカーを楽しめている瞬間より圧倒的にネガティブな感情を抱いていた時間の方が長かった。その為、「サッカー辞めたいな」と口に出すことも少なく無かった。何もしない日々を求めていて、オフの日には長時間睡眠をしてとても幸せを感じていた。サッカーを辞めてたくさん遊んだり、別の何かに没頭したりすることもできた中で、高校時代の私は、「サッカーを辞めるタイミングを見失っていたから」や「他にやりたいことが特に無いから」等の理由をつけ自分自身を納得させていた。
話は戻り、ア式でサッカーができなくなった私にはサッカーを辞めるという選択肢があったはずだった。
自分を苦しめてきたサッカーから離れられる絶好のチャンスだった。
最後のランテストが終わってから数日、何もしない日々が続いた。
退屈だった。
求めていたはずの何もしない日々が、実際に過ごしてみたら何か物足りなかった。
その時に失っていた大事な感情に気付かされた。
サッカーがしたい。
もう一度全力でボールを追いかけたい。
仲間と闘いたい。
ゴールを決めた時の胸の底から熱くなるあの感情、アシストした時の快感、勝利した時に見る仲間たちの顔。サッカーは私を離してくれず、私もサッカーから離れられなかった。気付いた時には社会人チームをインターネットで漁り、1〜2週間後には新しい環境でサッカーをしている自分がそこにはいた。
6月頃から東京23FC江戸川(当時東京都社会人リーグ1部所属)という東京23FC(関東社会人1部所属)のセカンドチームに所属させていただいた。火曜日〜金曜日は毎朝7時から9時まで練習を行い、そこからキャンパスに向かって授業を受けていた。土日は練習、試合が終わった後にアルバイトに行って月会費を稼いだ。毎朝5時前に起きたり、練習後に8時間程アルバイトをしたり、往復4時間以上かけてキャンパスに通ったり、とても大変でありしんどい日々だったが、充実していた。なによりサッカーができる環境があることがとても幸せで楽しかった。今までプレーしてきた人たちとは異なる年齢層や境遇の方達が多かった中で、シーズン途中に入ってきた私を優しく受け入れ接してくれた東京23FCの選手、スタッフの方々にこの場をお借りして感謝させていただきたいです。本当にありがとうございました。また、新チームを探すにあたり尽力してくださった玉井さん。昨年は大変お世話になりました。ア式の勝利にいち早く貢献できるように、これからも自分らしく頑張っていきます。
そんなこんなで2023年シーズンも終わり、新シーズンこそア式でプレーしたいと思い、再度入部テストを受けることを決意した。昨年は迷惑をかけたく無いという気持ちから、極力1人でトレーニングに励んでいたが、後悔はしたく無いという思いから1月から日立台にて練習をさせていただいた。ユースのトレーニング前に藤田さんに時間を作っていただき、何度も地獄を見させていただきました。本当に厳しく苦しいトレーニングでしたが、藤田さんだからこそ乗り越えられたしその温かさに何度も救われ勇気をもらいました。私の一生の憧れであり、目指さなければならない漢です。藤田さんだけでなく、グラウンドに現れてくるなべさんや酒井さん、平さんや志田さん、その他スタッフの方々皆がこんなにも情けない状態で帰ってきた私のことを温かく受け入れ応援し、背中を押して下さいました。本当にご心配ご迷惑をおかけしてしまいすみませんでした。これからは活躍した報告を日立台に持って帰られるように毎日精一杯私なりに努力していきたいと思います。
このように多くの方の支えや神風のおかげもあり、なんとか新シーズンのランテストに合格し、今の私がいます。昨年からア式に居たらと思うことは何度もありましたが、確実に言えることは、今サッカーを辞めたいと思っていた自分はもういません。サッカーがとても楽しく、毎日ボールを蹴ることができる幸せを感じられています。今までサッカーを辞めたいと思っていたことは、無い物ねだりであり、当たり前の環境では無いことを昨年身をもって実感することができました。サッカーに全力で取り組んで、楽しいこと悔しいこと、辛いことしんどいことを本気で感じられることはものすごく幸せなことなのだと日々感じることができています。これは昨年の1年間がなければ得ることができなかった気持ちであり、サッカーをする上で忘れてはいけない1番大切な感情を取り戻することができたと感じています。
最後に
どんなにうまくいかない状況でも、いつもと変わらない表情で私を受け止めて体に良い食事を出し続けてくれたお母さん。社会人リーグでも仕事終わりにわざわざ試合を応援しにきてくれたお父さん。これからは心配をかけず活躍している姿だけを見て貰えるように頑張ります。長期的な目標を立てることは苦手なので、まずは残りの大学サッカー生活で日本一を取ることを目標にして努力していきます。
長くまとまりの無い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
次のブログ担当者は、常森瑶平(1年・國學院久我山高等学校)です。
初めは変わり者キャラの常森でしたが、知れば知るほどピッチ内外ともにしっかりと仕事をこなしてくれる真面目くんです。日頃からスポ科を見下している常森なので、圧倒的な文章力によるブログを期待しましょう。
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