【#Real Voice 2023】 「拘れ」 1年・久保寿輝
こんにちは。この度、部員ブログを担当させていただく、1年久保寿輝です。
この機会に自分が持つ思いを言葉にします。
拙い文章になってしまうかもしれませんが、最後まで読んでいただけると幸いです。
「1%の努力」
最近私が読んだ本の題名です。
題名を見た時、自分が今までに努力したことは何だったのか考えた。
まずは私の過去を振り返ろうと思う。
小学校のクラブチームでは週3回の練習と土日に試合という繰り返しの日々。だが自分は塾にも通わせてもらっていたために週2回の練習と、時間が被らなかった日のみの試合への参加。
勉強では結果を残せたが、サッカーでは少し上達したくらいの感じ。
中学では学校の部活に入り放課後、友達とサッカーをする。中学2年生までは顧問の先生にも恵まれたが、中学3年生では元々バレー部の顧問をしていてサッカーには携わったことのない先生が顧問に。そして中身のある練習ができないままパッションだけで体を動かし、あっけなく夏が終わった。
そして高校受験。自分は早稲田佐賀高校を受験し、合格した。そしてそれは寮生活の始まりを告げた。高校でももちろんサッカー部に入った。顧問の先生、先輩、同期にとても恵まれ充実していた。
そこから時を経て先輩の最後の大会。自分はせっかく使ってもらったのにすぐに交代、何もできなかった。全てがうまくいかなかった。努力はしていたはずだったのに。そこからの1年はあっという間だった。意識を変え、練習も目的を持って取り組んだ。
だが、腰椎分離症。サッカーをできない期間は長かった。
そして迎えた高校総体。
相手は格上。でも前半は勝てると思った。
結果は1-4
自分のサッカー人生終了のホイッスルもなった。
このように振り返ってみると、私は今までこれ以上無い本気で取り組んできたことがなかった。
ア式蹴球部に来て、半年が経とうとしている今日この頃。
どこに向かえばいいのかゴールが分かっていないのに、頑張りが足りないのではと焦って余裕がなくなっているなと最近思う。自分がどんなタイプで得手不得手は何か、いまだに明らかでない。
だがこれまで早慶戦、関東リーグなど普通の学生生活を送っていたら出会えないことを経験させてもらっている。
明確なことは、目的なくがむしゃらに努力しても意味がないこと。努力する前に目的や目標を明確にしてこそ初めて努力の意味があること。確かに好奇心は大切。そしてその好奇心から生まれる咄嗟の行動も大切。
だが「片手はつねに開けておけ」。
狭い視野だと気づいた時には大きなものを見過ごしてしまうことも間近で感じた。
私が読んだ本の話に戻ろう。
私にとってこの1%の努力という言葉は本来必要な努力や熱意が欠如している状況を示すマイナスの意味でしかなかった。
しかし、本を読んで最近はプラスの意味になってきた。
生きることにおける標準を一生懸命にするのではなく、楽しく幸せに生きることに焦点を当てることが、私にとって重要であることに気づいたのだ。
また私はこの本のおかげで、自分の生き方について考えるきっかけを得た。
私は今まで敷かれているレールにただ乗って小・中・高校と進んできたが大学、いやこのア式蹴球部ではそんな甘くない。自己成長を追求し、積極的にチャレンジする姿勢が必要不可欠。もちろん、チャレンジには失敗のリスクも伴うが、逆に言えばチャレンジしなければ、成功の可能性もない。あの早慶戦のような胸の熱くなる瞬間を心の底から自分のものにできない。
そのために私はこの環境、そして誰と、何を見るかに拘る。
成果を出せない人や意味を見出せない人は環境にこだわれていない、環境に甘えているため才能を十分に発揮できていないと考える。
今まで私は最高の環境の中で生活してきた。自分が何を選択しても応援をしてくれる両親。
私がいつか追い越したい存在であり、自分の状況を気にかけてくれてご飯に連れて行ってくれる兄。
些細な変化に気づき声をかけてくれる同期。
これ以上無い環境だった。でもそこに甘えていたのかもしれない。いや甘えていた。このア式蹴球部では今まで出会ったことない本気でプロを目指す選手がいて、組織を根から支えるだけでなく、主体的に動くマネージャーがいる。私の人生史上1番、本気の人で構成された最強の集団である。しかしその環境も元から出来上がっていたのではないはず。先輩方が作り上げてきたのだ。そんな人たちを目の前にして、今までの自分の甘さ、自分自身を突き詰められない弱さに気づいた。日々しっかり努力することは言うまでないが、それと同等に、この環境の中で誰と会って何を見るかを日々こだわらなければ、報われない努力になってしまう。
さらに以下の言葉が私を突き動かす。
努力は過大評価されている、一方で判断は過小評価されている──。
その通りだと思う。
目に見える形での評価は得られるだろう。しかし、人の目に触れない場所での努力や判断には皆目もくれない。私はそのような活躍に気づける人でありたいし、そのような場所でも輝ける人でありたい。
そして最後に何度も言うが
私は環境に拘る。
そして誰と、何を見るか───
このア式蹴球部で、日本一の景色を見るために───
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