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「人類の引き際」 2年・生方聖己

自分は最近しばしば悪夢にうなされる。
それらの悪夢の中での自分は、現代の服を着て刀を握り、どこか逃げ場のない空間に閉じ込められ、チェーンソーまたは斧を持った人間を、または大量のゾンビのような存在を相手に孤軍奮闘しているか、逆にそのような存在から成す術なくひたすら、あてもなく逃げ回っている。それが本当に独りの時もあれば、自分がすべての信を置く人間を人質に取られ戦う時、そのような人間とともに逃げ、先に彼らが捕まって殺されてしまう時もある。ただ、目覚めるのはその瞬間ではない。思い通りに体を動かせなくなった自分が最終的に屈服し、心の臓を貫かれ、激しい痛みを感じている途中で目覚める。痛みではない何か重い圧が心臓にかかっている状態で天井を見つめながら、実際に刺されたときは夢で感じた痛みの何倍の痛みを感じるのだろうかと考えながらも、自分がまだ死に対して恐怖心を抱いていたということを再確認し、非常に安心する。自分が人生で関わってきた全ての社会・人間(それは自分と通じ合っていた者からそうでないモノまで)から迫害されるという痛みを伴わないタイプの悪夢もたまに見る。










いつからか自分は死に疎くなった。










物心つく頃から、自分は死というモノについてあれこれ考えていた。それは、小さい頃からひどいいじめにあい、学校という極めて小さい社会からでさえ疎外されて早い段階から生きる希望を失ってしまったことで生じる副作用としてではなく、むしろ、日々の日常が充実しすぎていた(家庭は除く)上に生じた副作用として生まれた思考回路だった。あの頃は毎日が楽しくて仕方がなかった。毎日学校に行くのが楽しみだった。朝の始業前に校庭でやるサッカーから、国語・算数の授業から体育の授業、5分休みから昼の25分休み、昼休み前の掃除、何から何まで、全く興味のない朝顔の種を植える時ですら、つぼみが開いたらでっかい画用紙にきっつい、どう考えても人間の構造に反した体勢でスケッチする時ですら、楽しかった。国語や算数が好きだったからという訳ではない。あの時から何のためにやるのかということに疑問を持っていたし、外でサッカーをする方が100倍楽しいと思っていた。5分に1回くらい時計を見て早く終われと願っていたし、いちいち立って音読させるなと思っていたし、宿題が出やすい教科ゆえ、漢字出すなとひたすら願ったりもしていた。それでも、あの時間、空間は大好きだった。楽しかった。机の向きを変えて仲の良い友達、そうでなくてもあの時は5分もあれば一定以上の、生活に支障が出ないほどの信を築くことのできた、純粋な人間達とグループ活動をして全く関係のないことを話す可能性が少くともはらんでいたし、そこで放課後の遊び相手を獲得できたりする可能性もあった。何よりあの教室は温かかった。感覚的に。
勿論悩みも、嫌なこともあった。小1の時に既にジャイアン的存在だった人間とたまたま家が近いという理由で仲良くやっていたある日、「今日家に行っていいか」と聞かれ「その日は他の仲いいグループと遊ぶ約束があるから」と言って断ったのにもかかわらず「とりあえず家行くわ」とか訳の分からんこと言うからいつも以上に放課後ダッシュで帰ってこれでもかってくらい高速で準備をして玄関を出てエレベーターの前に立って勝ちを確信した瞬間に下から上がってくるエレベーターの中にそいつが乗っていて鉢合わせした時はそいつの速さに対する驚きが少しと、大きな絶望そして激しい苛立ちを感じた。一度そいつに捕まって逃げられた試しのあるやつはいなかったから。それでもどうしても今日はそいつとじゃなくて中央小で待っている仲間達の下に行きたかったし行かなくてはならなかった。こんなんで約束破りというレッテルを貼られたらたまったもんじゃない。だから自分は軍師と化し、策を練り、いったん諦めて「じゃあ仕方ない行くか」と言ってエレベーターに乗ろうとした瞬間勝負を持ちかける。お前の足ならエレベーターに勝てるんではなかろうかと。おだてる必要もなく彼は階段に向かい、エレベーターに乗る自分の窓越しからの合図を皮切りに彼は全力で9階からかけていった。自分の策が思った以上にうまくいったことに対して自分はにやけが止まらなかった。9~6階まで彼はよく戦っていた。ただ所詮は小1の脚力だった。一足先に降りた私は全力で裏ルートから小学校めがけてかけた。後ろを振り返り彼が追ってこないことを確認した自分は笑いながらゴールへ向かった。
友達からお土産でもらった消しゴムが次の日行方不明になった。名前も書いていたしすぐ見つかると思ったがなかなか見つからず、友達への申し訳なさと自分の管理能力の欠如を憂いていた。しばらくたったある日、誰かの名前がマッキーで真っ黒に塗られ、その上に別の名前が書いてある消しゴムを名主の机の上で見つけた。まぎれもなく自分がかつてなくしたやつだった。あんまりかかわったことのない子だった。問うたところ、盗みを自白した。とんでもねーやつがいるんだなと思ったのと同時にそれを机の上についつい出してしまう安易さに呆れた。所詮消しゴムなんだけど。
5年生からは、夏休みに行われる市の水泳大会に向けて午前中に行われる自由参加型暇つぶしお遊びプールに加え、午後から、その大会に出る人用のための選手コースに参加しなくてはいけなかった。ほかの学校はこれを自由参加とすることが多かったが、うちの学校はなぜか強制だった。別に泳げないわけではなかったが、速さもなかったし、何よりプール自体あまり好きではなかった。プールサイドのぬめぬめした感じが嫌いだし、プールに入る前のシャワーはなぜか冷たいし、腰までつかる除菌の奴も地獄のように冷たかった。本当に意味が解らなかった。でも強制なのでしぶしぶ行かざるを得なかった。ある日いつものように準備体操をしていると、男の先生が前にでて、「お前らやる気がないなら帰れ」と大激怒した。さらに「やらされてここにきている奴は手を挙げろ」と言い出した。そして誰も挙げられるはずがなく、「自分の意志で来ているならちゃんとやれ」と言って帰っていった。音楽会の練習でも言われた。今となっては挙げなかったことを非常に悔いている。もし挙げていたらどうなっていたのだろうかと考えるが、そいつは小学生ごときにそんなことはできないと確信していたのだろう。もし出ても力でねじ伏せる気だったのだろう。その時はこんな人間を理解していない人間が教師という職業に就けるのかと不思議に思い、絶対にこんな人間にはなるまいと固く決心した。
それでも、あの時間、空間は大好きだった。楽しかった。おそらくもっとあった。殴り合いの喧嘩をしても、家まで追っかけられても、先生に怒られて泣いても、ある人間に火遊びをしながら呪われても、すぐに解決して、仲直りして、次の日また学校に行きたくなった。
だからこそ死ぬのが怖かった。どうしても死ぬのが嫌だった。この楽しい日常が永遠に続いてほしいと思っていた。放課後友達と遊んで家に帰って1人でDSをやってふと外を見たとき、真っ暗な中に存在する月や星を見て、死んだらどこに行ってしまうのだろうかとそれまでの楽しかった出来事が一瞬にして消え、ひたすら考える。死をいったん受け入れどのように死ぬのが一番いいかと考え、やっぱ死にたくなくて、100から今の年齢を引いてあと何年生きられるぞとかも考えながら、答えが出ないまま眠りにつき朝の日の光に浄化されまたいつもの日常を歩みだす。そんな日々を繰り返していた。






中学と年が経つにつれ、だんだんと楽しいことよりも苦しいことの方が多くなってきた。具体的にどのようなとは言えないが、常に何かから追われていた。人間が変わっていくことも感じた。社会が勝手に要求する能力の有無、成長とともに少しずつ細分化されていくパーソナリティーの影響により、社会から排斥される人間がちらほら散見された。だからかつてのように、すぐ仲直りするからと気安く自分の意を伝える機会を失ったように思われる人間も多く生まれた。そうなる必要がなかった自分が得る楽しさは必ず誰かが犠牲になって生じたものだった。何人の人生を狂わせたかわからない。その楽しさが不健全であることに気づいたのはその社会から抜けたときだった。だんだんと上と下の差が明白になってきた。それは単に年が上か下かといった類のものではなく、社会に向いているか向いていないか、多数派の人間種か少数派の人間種かどうかに基づいていた。自分は常に社会派閥に属しており、見事社会の一員として生き抜いていた。ただ、ほんのちょっとしたきっかけで追いやられるようなことがないように社会アンテナは常に張り続けていた。そのような環境に身を置き続けているうちに、本当の社会がほとんど同じ構図なのではないかと思うようになってきた。
さらに年が経ち、社会儀式を経て、離脱する者が増える中、着実に自分たちは選別されていき、生き残った者の中でまた更なる競争を強いられた。中には、どうにかして離脱せまいと、自分の力だけではなく様々な別ジャンルの力を駆使し、世にいう汚い手を使って生き残ってる人間も数多く見てきた。そんな存在に蹴落とされてたまるかと、必死になって食らいつき、蹴落とす側に回るべく、社会の要求する苦労をこなし続ける。そんな中でも一部の人は夢というものを見つけたりしながら上手くやっていったりする。ただそれがより多くの苦労を生む原因となるのは珍しくない。本当に極まれに夢に伴う苦労をこなすだけで済む人もいるが。





そうこうしているうちに、気づいたら大学生になっていた。過酷なレースを見事、奇跡的に生き抜いた自分には、それ相応の社会的地位が与えられていた。順調に、何事もなかったらこの先この地位から転落することは自分に限って絶対にない。





大学に入りしばらくが経ち、サッカー以外のことから刺激を受けることがなくなっていた味気ない日常のある日、ふと自分が、人を蹴落とすことで快感を得るような人間に変わっていることに気づいた。それは自分の生まれ持った性格もあるだろう、ただ、この資本主義社会に生まれたときから半強制的に投入され、それに順応しすぎた代償でもある。それに気づいた瞬間、これからせまりくる約80年の、かつてはあれほど短く感じた80年の人生が、あまりにも長く、窮屈になるものであることを悟った。そう感じるようになったのには他にも要因がある。大人というモノに近づくにつれて、いや、それまでもだが、多くの人間に関わり、多くの人間を感じるにつれて、人間が、人間という生物が、所詮ただの生物であるということに気づいたからだ。
ある日、人間の会話の内容の多くが第三者に関する話≒噂話ということにも気づいた。絶えず「あいつは~」「~らしいなあいつ」・・・「あいつ~の会社を受けるらしい」「あいつはきついでしょ」「あいつ落ちたらしい」「だろうな」「あいつ凄いよな」といったように人間は会話をする。おそらくここまでくると人間の本能、特徴なのだろう。この能力がここまでの進化と発展を支えたのだろうか。そういえば、人間は人間である前に生物というくくりの中のひとつの生物に過ぎないということに気づいた。ほかの生物と違うのは、人間の多くは誰にどう見られるだとか思われるだとかを非常に気にする。そのせいで、世の中の人間と人間の関わりの多くは建前の世界になってくる。よく、この建前と本音の境目をなくそうと尽力する人間がいるが、おそらく、いや、絶対に無理だ。それが人間たらしめているものなのだから。そんなことを考えていると、人間の社会が現代の在り方になっているのも自分の中で説明がつくようになってきた。そもそも、なぜせっかく人間として生まれたのに苦労をしなくてはいけないのだろうか。なぜ思いのままに遊んでいると、将来のためだからといって嫌な勉強をさせられないといけないのだろうか。なぜ苦労をした者が報われるような社会になってしまっているのだろうか。それは、その方が生物にとって理にかなっているからだ。どんな人間も平等という社会を目指した社会主義よりも、生物の食物連鎖と同じように、人間を階層的に分ける資本主義のほうが上手くいっているのも生物的に正しいルートだから。要するに、貧富の差が1万年間絶え間なく生じるのもそれは生物の世界に弱肉強食という大原則があるように、人間という生物の世界にもその大原則があるからだ。誰かの悪口を言うのも、ほりえもんのツイートのリプ欄で餃子問題が永遠に解決しないのも、芸能人が不倫したら見ず知らずの人が寄ってたかって叩くのも、Jリーグのサポーターが負けた試合に心ない言葉をはきかけるのも、安倍首相の退任に大喜びする人がいるのも、すべて、元をたどれば生物的に理にかなっている行動という考えに行きついてしまった。上にも書いたように、他の生物と違って、人間は、生物であるのにもかかわらず、その大きな脳で考えついた事柄を、簡単に言語として伝えられてしまう。さらにここ数年のインターネットの急速な発展により、いつでもどこでも匿名で伝えられるようにもなってしまった。先ほどは「所詮ただの生物」と書いたが、全然ただの生物ではない。非常に厄介で、最も危険な生物に他ならない。これが70億もいるのだ。それはいつまでたっても戦争、非人道的行為といったものがなくならないわけだ。その考え方に基づけば、自分の、人を蹴落とすことに快感を得るということは、生物的に何もおかしなところはないということになる。実際におかしなことはない。人間の、充分な社会的立場を得ている人間の多くはここまで意識しないまでも、そこにたどり着く過程で自分と同じようなことをしているんだ。きっと。でも自分は、その社会的成功を得た人間が、その地位を、全くもってそうではないのにすべて自分の力で勝ち得たと誤解しているような、生まれもってその席が用意されているような、環境や才能という運の多大な恩恵を受けていることを理解せず、しかも自分がたまたまある事柄が人よりできるからと、その能力を有していない人間を見下すような奴が大嫌いだ。勿論それが生物的本能だ。それでも、大嫌いで仕方がない。だからこそ、そんな奴らに自分の力で勝った時はサイコーな気分になる。
そうやって生き抜いてきたことを知った大学生のある日ふと、自分はいったい何のために人間として生きているのだろうかと考える。あと80年の人生で、自分はいったいあと何回一瞬の快楽と社会的地位を得るためにそれに払う代償としての苦痛を払わなくてはいけないのだろうか。代償に対して全く釣り合っていない報酬を得るために。意外と多く存在するそのような人間がはびこる社会に自ら進出し、そのような人間をまた討伐したとしても、待つのは理不尽なほどの苦痛。それの繰り返し。そもそも勝ち負けなんて存在していない。こっちが勝手に架空の敵と勝負しているだけ。向こうがこっちに見向きもせず笑顔で次に進んでいるのを感じると、やっとの思いで勝ち得た満足感は本当に一瞬で虚しさへと変わる。自分はいったい何をしているのだろうかと。自分の行ってきた行動は生物として当たり前の、本能の下の行動でしかなく、そのわずかな対価として得ていた満足感でさえ、ただの錯覚ということになる。
唯一の救いも失い、自分という人間の未来を悟って茫然としているときに、自分はいったいいつからこんな人間になってしまったのだろうかと考えるようになった。そしてついに、かつて経験した、あの純粋無垢な、ただひたすらに毎日をこなしていた、大人がどうとか関係なく、毎日が本気で楽しかった、楽しくて仕方のなかったあの時を、本気で渇望するようになっていた。皆を対等に信じていたあの頃に。今思えば、あの時が一番生きている感じがした。人間として、人間にしかできないことをして、生物として生きていたあの日にたまらなく戻りたくなっていた。
こんな人間になりたくなかった。こんなことを考えず、何歳だとか、子供だとか大人だとか関係なく、毎日の日常を、ただ何も考えずに楽しめるような人間になりたかった。人間の悪いところではなく、良いところだけを観られる人間になりたかった。










そして生まれて初めて、人間として生まれたことを後悔している自分がいることに気づいた。










そんな時に悪夢を見ると、自分が未だ死というモノに恐怖を感じていること、世界中で理不尽に殺された、生きたくても生きることのできなかった人間が多く過去にも今にもいたこと、もはや自分が生まれたということすら認識できないまま死んでしまう人間、望まない死を遂げた者に無償の愛を持った人間の深い悲しみ、料理がおいしくない、妻らしくないからと妻を殺した男が、反省しているからといってたった1ヶ月の懲役を裁判で言い渡された父権主義国家に生まれてしまった被害者の遺族の悲しみ、奴隷のように扱われ、その日しのぎの給料しかもらえず、何のために生きているかわからない人間、初期段階で社会から排斥され自殺せざるを得なかった人間、また今まさにその過程にいる人間が考えられないくらい多く存在していることを再認識させてくれる。
あんたは、お前は恵まれているんだ、と言われる。でも、なぜ多くの人間は、恵まれていない人間が恵まれていないのかという所に疑問を持たないのだろうか。


にしても人間という生物は、圧倒的に不平等だ。生まれたときにその子の人生は、ほとんどの場合環境という運要素によって規定されてしまう。自分がここまでたどり着けたのは、たまたま社会から排斥されないタイプの人間に生まれたからである。そのくじに外れた人間は、残念ながら離脱せざるを得ない。この社会の評価基準の重きを占める学業だって、できる人間は最初からできるし、そうでない人間はだれも手を差し伸べてくれずそのままできないことの方が多い。本当は社会的地位なんて飾りでしかない。与えられた範囲で生きがいをもって人間的に生きることができれば。ただそれも運だ。そのような性格を持つ人間として生まれたかどうか。人間を変えることのできる人間に奇跡的に遭遇するか。運ゲームを行うことが義務づけられている人間という生物に、本当に生きる価値はあるのだろうか。別に生物だから生きることに価値を求める必要はないのだけれど。


本当は、人間が運じゃないということを自信を持って言えるような人間になりたかった。



生方聖己(うぶかたせいな)
学年:2年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:高崎経済大学附属高校


 


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