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【#Real Voice】 「今を亡くした者」 3年・生方聖己

今年の秋学期が始まり早くもそれぞれ8回目の授業が始まりだしている。自分が秋学期にとっている授業は23単位分だがそのうち8単位分は不覚にも落単リーチがかかっており、早くも2単位分の離脱が確定している。上手くいけば21単位取得の大成果を上げることが今現時点では可能だが最悪の場合13単位のみの獲得に終わり、めでたく留年への道が開かれることになる。

早稲田に入学する前、やっとやりたい勉強だけに取り組めると楽しみだった。勿論勉強よりなにより関東1部の大学サッカー部でサッカーができることの楽しさには比べ物にならなかったが、間違いなく楽しみな要素の1つに授業はあった。履修登録の際は興味のありそうな授業名から、シラバスも見ず片っ端から履修した。おそらくだがあの頃は相当目が輝いていたのではないか。ただ、それぞれの授業が3回目を周った時くらいから入学当初に抱いていた希望は失望に変わっていた。通学時間が往復2時間というのも小中と徒歩5分、高校も自転車で往復30分程度(これですら非常に無駄な時間だと感じ、日体の時も自転車で5分以内の所に住んでいた。)だった自分にとって苦痛だった。また、少し懸念はしていたが高校の時に早々に理系科目を捨てた自分にとって、やはりスポーツ科学部で新たに学ぶ内容はとりかかりやすさという点で大きな支障をきたした。感覚としては高校受験の英語をある程度理解した上で、高校に入学して初めて受けた英語模試に対して抱いた無力感に似ている。これに関しては、高校3年の12月まで抱えることになったが。ただ、あの時と同じようにやれば理解できる可能性のほうが高かった。どこから取り組めばよいとか、どのように取り組んでいけばいいか、という所に全くの不安は経験上から感じなかった。移動時間に関しても、ある程度覚悟はした上で入学してきたし、その移動に見合うだけのものがあると、いや、見つけられると強く信じていたから。
結局のところ期待しすぎていたのだ。おそらく受験期間で自分は勉強をこよなく愛する者だと錯覚してしまっていたのだろう。勿論勉強には固有の楽しさがあるが、それは意図せず気づいたものであり、ラッキー感覚でしかない。大学に来るまでの12年間将来の為だと言われ、将来の為だと認識し取り組んできた勉強たるモノに楽しさなどほとんど感じたことはなかった。楽しさを理解するための苦労を掛けることができるほど、または将来の為という不確定要素の多すぎる戯言を信じ切れるほど自分は素直な人間ではない。だから、小中高の自分は取れるにも関わらずそこそこの成績しか上げられなかったのだ。
それに加え、絶望的に話を聞くことができない。興味のあることに関しては、かろうじて興味補正が入るためスピーカーのセンスが絶望的になくても聞くことができるが持って10分程である。極稀に、興味のない状態から興味を生んでくれる人間に出会うのだが、そんな天才に出会ったのは人生を通して数えられるくらいだ。よく考えれば高校の時もそうだった。授業とは別の学校行事においても、半分の生徒が死んだ目をして聞いている話を共に死んだ目をして聞いていたが、地獄極まりなかった。興味もない、面白くもない。それなのにつまらないからといって場を離れることは許されない。めちゃめちゃだと思ったが、組織から迫害されることを天秤にかけた際にやはりそこでリスクをかけられるほどの勇気と覚悟と自信はなかった。
そのような要因が重なりに重なり、90分という長さで教科書の朗読かと思われるくらい淡々とした授業にだんだん身体が動かなくなり、1年を終えた頃の単位取得数は19単位(40単位取得可能)でGPAは0.8とかだった気がする。時には少しの期待をもって、授業が行われている横で図書館に籠り日経サイエンスを手に取り、結局のところ面白さを感じれるほどの知識がないことを嘆き、何のために自分はこんなところに来たのかと帰りの1時間でひたすら問い詰めた日もあった。2年になりオンラインになってからは移動せずに自分のペースで受講できることから少し持ち直したものの、毎回提出を求められる課題に嫌気がさし、自分の解答の質の低さよりも自分と大学という存在の相性の悪さに少なからずショックを抱いていた。
これ以上書くのは教育を受けたくても受けられない人間と自分の為に無理をしてくれている親に申し訳ないという思いから、何が何だか分からなくなるのでやめようと思う。もしくは、大学側からそんな学生いらないという通達が来るかもしれない。ただ、当時はそれでも、いつか興味が再燃し興味補正を武器に能動的に取り組んでいる自分がいると信じていたため、大きな重荷になることはなく生きることができていた。


ある日6畳ほどしかない、いや、ベッドのスペースを考慮すれば4畳半ほどの、隙もなく散らかされた部屋を惰性のまま片づけていると、見覚えのない新聞紙が1枚机の端に居た。良心な寮が雨の日の跡の靴の渇きを加速させるために無料配布してくれた新聞紙のあまりかと思って、迷わず西東京市専用ゴミ袋に投げようとしたが、直前にそれはただの新聞紙でないことを思った。それは、10月31日に行われる49回目の衆議院選挙に向けて、少しでも若者に関心を持ってもらいたいという良心な寮の願いからか、玄関を入ってすぐにあるお知らせボードの下に居た選挙コーナーという紙の貼った段ボールの中に大量に入っている選挙系新聞の中の1番上にあったひとつだった。一旦は通り過ぎたが、ふと小・中時代、社会の授業で選挙についての仕組みや選挙関心を促す講演会のことを思い出した。それと同時に中学3年の時の社会の先生で生徒のだれかが寝ているのを見ると教卓を蹴飛ばしてイライラするなぁと怒鳴っていた肥満体系の教師の存在も久しぶりに思い出した。今思えば非常に趣深い人間である。選挙と直接関われる年齢じゃなかったという理由はほとんど影響しないだろう。それを含む授業は全般的に非常に退屈で、どんなに前日、良質な睡眠をとろうがいつでも入眠できる状態にいた。興味のない事に取り組まされて興味がないから寝たらやれ失礼だのやれ将来の為だのイライラするだの、理不尽な世の中である。ただ、社会は点を取らなくてはいけないという半分遺伝子レベルの義務が存在していたため、10年ほどたった今でもその大まかな仕組みやある程度の知識は忘れていない。勿論、興味のないことに時間を注ぐくらいなら、友達と放課後の過ごし方を話した方が数千倍有意義だし、徳川家康が最終的になぜ天下を取ることができたのかについて議論していたらその楽しさからよだれがあふれ出たかもしれない。ただ、ガキの自分でも戦争は嫌いだった。弾が一発当たっただけで身体が動かなくなるなんてあってはならない事である。その時は人間が地球上で・宇宙上で最も高貴で、独立した唯一無二の存在であると誤認していたからかもしれない。だから俺は、なんでこんな面白くない授業をするんだ、つまらないから体育に変えてくれなどとは言わなかった。俺がサッカーと徳川家康について抱く興味と全くの同じ種類の興味を政治に対して抱く人間の妨げにならないように。その時から俺は彼らにバトンを託した。丸投げではない。

興味のないことに興味がないと言ったら無責任だと言われる。そんな理不尽なことがあるか。もしすべてを超越した、空気が意志を持ったような、神のような存在がこんな自分を見たとしたら縄文時代に飛ばされるだろうか。いや、弥生時代の奴隷に転生させられるか。いや、フランス革命前の教会の徴税に悲鳴すら上げられない農民の子に転生させるか。いや、もっとたちが悪いのはこの22年間の人生の記憶をそっくりそのまま保持したまま現在の日本の破産申告したての脱サラしたての30代後半の男に入れ替えられることか。いや、1番手っ取り早いのは今の自分から全ての血縁関係を取り上げられることだ。
そんなことを考えていて、気づいたら自分は新聞紙を片手に自分の部屋に座っていた。

そんなものに手を伸ばせるくらい日常に退屈さと刺激不足を感じていたのか、もしくは、ついに子供から大人になったという事実とも虚実ともいえるなにかが、生理学的な必然からなのか本能的な危機感の下なのか脳を刺激し自分の右手を動かしたのかは解らない。残念ながら部活の時間が来てしまったため、寝る前に目を通そうと思い気づけば1週間がたっていた。その日の夜、よほど久しぶりに1時にベッドに入ることができたため、生活リズムの狂いからか眠気が来ない中、退屈しているとベッドの隙間に挟まったしおれた新聞紙を見つけた。思わぬエンターテイメントの存在に久しぶりの喜びを覚えた。その新聞紙には表裏合わせて計6人の満面の笑みをした政治家が映っていて、その横にそれぞれの政策、あぁこれがあの時30歳下のガキにイライラしていた人間(中学の社会の先生)が説明していたマニュフェストってやつかとか思うと、新たな自分の発見を予感し胸の高まりが治まらない。その数分後、未知のモノに対して必要以上の期待を抱いてしまう自分の性質に、それを助長する何かしらのホルモンが出ていたことに気づけなかった自分に後悔した。1人目に目を通してそれを今度は机においた。それが、決してその政治家の公約に既視感しかなかったからとか、自分の生活には無縁だからとか、満面の笑みからあふれ出る胡散臭さからか、最近世の中のモノ全てが綺麗ごとに見えてしまい吐き気を覚えるようになった自分にうんざりさせたとか、のせいではないと信じている。ただの気まぐれ。そういえば一時期、政治は無関心によって成り立ってるともいえるなと思っている時期があった。高校生くらいの頃か、しきりに嘆かれていた若者の選挙に対する無関心に対して、国は18歳以上に選挙権を与えることにし、それに伴い当時はまだ愛用していたテレビや学校などで政治についての話が成されることになった。就任後から知識をつけたようなキャスターと専門家を謳う人がしきりに議論し合い、どうすれば若者の投票率が増えるのかという事について意見を飛び交わせていた。誰が自ら好んでサッカーや昼寝に変えて、国会答弁を見るのだろうか。まぁ時には子供さながらの口論も見れるし、そんな方々が日本の平和を保ってくれていると思うとこちらもまた今思えば非常に趣がある。自分はこの国の何かとお堅い精神文化には不満をこぼしたことがいくらでもあるが、文明と政治に不満を持ったことはない。それは単に興味がないからだ。そして、何より生存を脅かされることがなく生きていけてるからだ。自分の経験上そのような人間がほとんどである。

ただこれが、Twitterを含むSNS上では全く違ってくる。自分は感心する。Twitter上にはコロナ対策のスペシャリストもたくさんいれば、国防スペシャリスト・輸出入政策に関するスペシャリスト。税金スペシャリストまで何から何まで存在する。その中でも最も秀逸な人間は、日本国を出たことがないにも関わらず、諸外国に比べた日本政治の欠点を詳細に述べながら140を優に超す字数で批評している。感心せざるを得ない。いつになったらその手腕を発揮してくれるのか、無知な自分にとっては待ち遠しくてならない。これのどこが無関心なんだ、日本の未来は明るいものに違いない。それなのに若者の関心がないなど、何ておこがましいのだろうか。でもありがたいことにそんな彼らは現実世界になるとひょいと姿を消す。だってただでさえ50%も投票率があり、あなた方が課題に掲げる無関心に対し多くの人間が誠意的に取り組んで投票率が100%にでもなったら、一生政策が決まらなくなって今の生活に支障が出る可能性があるじゃないですか。それよりなにより子どもの口論をする大人を楽しんで見る余裕がなくなってしまうじゃないですか。これ以上言うとこんな自分が日本に生まれてよかったのかわからなくなるのと紛争地域に転生される可能性もあるからやめよう。
まぁもしかしたらそんな彼らも秘密裏に行動しているのかもしれない。やはり、別に自分は生きていけてるから対して興味はないものの、もしそうなれば、何やら壮大な夢や論を語っている人間がそれをどう成し遂げるかを見届けたいという誠勝手な嗜好があるので、脳の片隅に置いておこうと思う。興味のない話を聞かずとも信頼を失ってはいけないという法律を掲げる者がいたら迷わず投票するだろう。その立候補者は遺伝子操作について熟知していなくてはいけないが。
 

そうしてさらに数週間後、惰性の自分に発見されたそのただの新聞紙ではなかった新聞紙は結局ただの新聞紙となり黄色のごみ袋に投げ入れられることになった。


冬に差し掛かり、多くの人間が就活に手を出し始めた。自分の行きたい職種が決まっている者も自分の行きたい職種を求めている者も説明会やインターンなるものに参加し、大きな苦痛や疲労を伴いながらも自分の未来設計図の構築に希望を抱いている。そんな中、自分はタウンワークで、コロナの影響により閉店時間を早めシフトが合わなくなったバイトの代わりのバイトを求め、条件に合う所に片っ端から応募し1番最初にメールを送ってくれた刺青入りのいかしたバーの店長と薄暗い店の中で面接をして、即日採用の通達を受けていた。都心から少し離れたその店舗の客足はぼちぼちで、業務内容も以前行っていた大手チェーン店に比べると圧倒的に楽であり、なおかつ時給も300円ほど高くバイトは近い・楽・高いに越したことはないと、もしや自分はこの事実を知るべくして早稲田大学に入学したのかと一瞬思ったが、あまりにもそれがふざけた思考であると認識できるだけの正気がまだ残っていたためすぐに消え去った。店前に立ちながら自分の人件費を抑えた方が利益でるんじゃねぇのかなとか思いながらも、これで金が入ってくると思うと口が裂けても言えない。暇な時間も増えれば考えなくてもよいことをあれこれ考えてしまう心配があったが、もはや思考停止状態に何の違和感もなくなっていた自分にとってその時間を苦痛と感じなかったことに対しては少しの驚きと大きな失望を覚えた。その時間に課題をこなすこともできるようになった。スーツのポッケに授業動画再生状態の形態を温めておき、少ししたら完了されていることを確認し、200字程度の感想を指の気分に任せて打つ。もう少し罪悪感に苛まれてくれたらよかったが、脳も心も廃れていたのでどうしようもないのだ。変わってしまったな。そう思いながらインスタに出てくるかつての友達を眺め、もう会うことはないのだろうと自分の心をよりえぐってみたりする。
店前に立っているとタバコを吸いに来た中年のサラリーマンが「君いくつなの?」と尋ねる。それに応えると学生かと聞いてくる。それにまた応えるとどこの大学かと聞いてくる。それらの情報を踏まえて君はこの先どうするのか聞いてくる。1年前までは目を輝かせて「サッカー続けます」と応えていただろう。俺も廃れたなと思いながら、「いやぁサッカー続けたいんですよねぇ。でもどうなるかわからないんですよねぇ。」と応えたらそこから彼は地元の先輩で40になった今、なお選手生活に固執していて悲惨な生活を送っているというプロ選手を例に脳も心も廃れたシラフの自分を諭してくる。普通に就職し、普通に家庭を持ち、普通に生活することの素晴らしさを力説する。ある飲食店の経営者はそんな自分の意向をいったん受け入れた後に、普通に就職し、普通に家庭を持ち、週末には子供にサッカーを教えながら成長を見守っていく、何て幸せなのだろうかと、そんな人生もありじゃないかって。


どいつもこいつもどこもかしこも未来のことばかり。うんざりだ。

そこの店の自分より少し上くらいと思っていた綺麗なキャストのお姉さんが、先日35歳になったと聞いた時の衝撃は、廃れた心に一瞬血が通うほどの輝きと同時に自分が首都東京にいることを久しぶりに思い出させた。

きっとこの先自分はこの世界の中で多くの人間とともに生き急ぐことはできない。

自分はもう既に、どんな事柄からも価値を見出そうとする気概も建前を駆使して組織を生き抜いていけるほどの気力も、建前の中にある本音に価値を見出すことができるほどの気力もなければ、当たり前の事柄に感謝できるだけの、自分の思考と違った考えを受け入れることができるほどの、寛容な心もない。そして、それを得意とする人間とともに関わり合う事になっても動じない精神力はいつの間にか消えた。頑張っている人間を素直に応援することができるほどの優しさはもともと兼ね備えていない。生年月日が違うだけで、考え方が違い、何も与えてくれない人間にへりくだることができるほど器用な生き方はもうできない。週末と生活の為に必要以上に疲労を溜めるスーツを着て満員電車に揺られる自信も、それをものともしないくらいの新たな、あるかもわからない生きがいを見つけ出せるほどの自信もない。それに週末に限って鳴り響く救急車のサイレンはいくらアルコールによって麻痺した脳の恩恵によって今を楽しむ自分を許してくれないだろう。
かといって、そんな自分から離れて行ってしまう人間がいることに無関心でいれるだけの冷徹さも兼ね備えていない。そんな自分が社会の力を全く借りず、影響を全く受けないまま生き抜けるほどの才能を持って生まれてはいない。社会的地位に憧れ、獲得し、守ってもらってきた過去を、この文明が与えてくれた美しさを忘れることができるほど自分の脳は廃れていない。そしてそんな美しい文明を築いているのは紛れもなくそれを得意とする人間たちが構成する社会だ。奨学金請求から逃れることのできる術も知らなければ、それに全く罪悪感に苛まれないほど心は廃れていない。そして何より、今まで自分に少しでも楽しい瞬間を与えてくれた数えきれない人間を見放すことができるほど自分の心は廃れていない。それにそもそも、そんな自分になることを自分の運命は許してくれないだろう。

だからきっと、この先も自分はこの世の中で生きていかざるを得ない。このような人間になることは必然的であり、この世に生を賜った時から定められていたのだ。これが自分という人間として構成されてしまった原子たちの運命なのだ。そんな、宇宙の起源から定められた運命に逆らうことができるほどの莫大な野望は存在しない。ともすれば、その運命が尽きるまで自分は、コンクリートで塗り固められたこの地表から逃れることはできないのだ。




幸福を主体に生きられる人間に変化するさだめがあることを願ってみたりするが、いささか無意味な行動だと悟り、再びそのさだめに身を委ねながら今日も息をしてみる。


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生方聖己(うぶかたせいな)
学年:3年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:高崎経済大学附属高校



 
 
 


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