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【#Real Voice 2023】 「孤独」 2年・川辺球尊

私自身、尊敬される人間や模範的な人間になることに対して懐疑的な自分がいることに気づいた。いや、なれない、なるべきではないと私の直感が訴えかけ続けている。


私はア式蹴球部、2年生のリーダーである。勝手ながら同期全員の個人個人にとって、組織にとって成功へ導くのが使命だと思っている。
しかし、現実の結果はどうだろうか。1年生への仕事の引き継ぎと、副務決めなどの仕事を私たちの学年から決める期間であるのに、なかなか上手くいかない。
それはなぜか。度重なる同期のミス、そして問題が起きた。もはや、仕事の引き継ぎとか仕事決めとか話していられる状況ではない。内容に関して言うつもりはないが、なぜこのような状況になったのか理解しようにもなかなか難しい。組織は1つの生き物だなと感じることが多々ある。普段ならありえないようなミスや問題が度重なり上手くいかない時もあれば、笑えるほど幸運や成功が続く時がある。従って生き物と同じく「組織」というものには生命が宿り、心があるのではないかと考えてしまう。
正直に話すと、今現在の私は決してこの状況に絶望している訳ではない。それはなぜか?
心は揺れ動くものであり、人生は山あり谷ありどん底ありだからこそ彩りが生まれるのが人生と信じているからかな。
よく言われている言葉がある。「ポジティブ思考が最も大切だよ。」と。
この言葉は社会的には正しいのだろうけど、私にとっては疑問と卑しさが膨れ上がる言葉になってしまった。
実際に昔は失敗に対してチャンスだとかラッキーだとかポジティブに捉えることで、個人としても組織としても前へ進もうと感じていたが、今は違う。ラッキーとかチャンスとか無理やり違う視点で考えるのではなく、ただ起きた「現実」を真正面から味わい、「事実こそが今現在の全て」と捉えるようになった。この瞬間に何を感じ、私(たち)に対してどのように彩りを与えるかに集中するようになったため、残念なことに感情の起伏が少なくなってしまった。いわば、物事や他者に関しての興味が薄れつつあるのだ。例えるならなんだろう。「相対的感情」「同情」って言葉が適しているのかな。
むしろ、「物事」に対してどう自分が反応するか、思考するのか、何をどう感じ、何を爆発させたいのかに興味がある。この言葉が合うのではないかな。「絶対的感情」「自分軸」ってやつが。


「同期」とは何か。その広く、答えがない課題に学年で向き合った時間があった。「同期愛が強い学年とも言われています。仮に簡単に仲間を突き離すとしたら真の意味での友情はそこにないと思います。見捨てるわけにはいかないです。」これほどに優しく、「仲間」に対して100点満点に近いほどの発言をしている同期をみて、ある意味感動した。でも、今の私には理解ができなかった。「仮に自分自身が活動に対して後ろ向きであり、組織の理念や目標と自身の感情が相反する場合、それは個人と組織の両者にとって生産性と成功の可能性が低くなる一方ではないか。」この考えが最も腑に落ちてしまう。社会における理想像の「相対的感覚」とかけ離れていく自分がいるように感じる。


20を過ぎた私と言う存在は、「他人軸」で生きること、自分の考えや信念とやらを持っていない状態で人生に服従することに最大級の卑しさを感じるようになった。

私にとっての「スジ」がある。
それは「相対的感情」で生きることは私の人生ではないこと。そう、揺るぎなき「絶対的感情」で人生を全うすることを本能は求めており、私の直感が訴え続けている。

私はア式蹴球部の活動では、真面目な人間なのだろう。しかし私自身の本性は、ふざけた人間であり、自分の本能に対して、忠実かつ自分の直感を信じ続けるおかしなやつである。
自分にとっての「絶対感」の中で好き嫌いの感覚は何よりも大切だ。
ご飯は嫌い。チョコレートとアイスクリームが好き。お酒ももちろん好き。遊ぶことも好き。そして、アサイーボウルは超大好き。(もちろんサッカーとジムは言わずもがな)
あとね、時として舞い降りる私の直感は100%当たる。でも直感は予想ではない。未来が見えるあの瞬間、あれが直感なのだ。何を言っているのかわからなくても結構。これが私だ。

自分のことを話すことは決して好きではないが、ありのままを曝け出すことで、生身の人間が浮かび上がるという信念があるからこそ今ここで明らかにするのだ。好き嫌いを大切にし、自らに忠実であること、自分を好きでいること、信じていること、これってある意味素晴らしいことなのではないのかなと感じている。

こんな野郎がア式蹴球部という素晴らしい組織で学年のリーダーを務めていいのだろうか。
いや、逆だね。だからこそ、私はリーダーとしてこの学年をまとめ、より高みへ共に進み続ける価値があるのだと思う。 
なぜかって?
特にこの学年は、良いのか悪いのか自分の考えやスタンスをはっきりさせ、自分を大切にする人が多いと考える。私は「絶対感」を何よりも大切にする人間であり、この学年が何よりも1人1人の軸をぶらさず、闘い続ける学年であることを切望する。
従って、この学年をまとめることができるのは私なのだと根拠なき自信が訴えかけ続けている。
あとさ、この学年は仲がいいよな。だからこそ、団結力はすごいし仲間意識が強いのだと思う。
一方で仲がいいことのメリットの逆説を考えてみよう。そう。崩れる時はみんなで崩れ、悪い方向に流れたらみんなで流れていってしまうこと。

だからこそ合理的で何よりも生産性と成功を第一に考える思考が私には必要だと考える。
私にとってとても重要なことがある。
あえて「毒」を持ち続けること。
そう「孤独」である必要があるのだ。

最後にそうだ、好き嫌いの話で忘れていたことがあった。同期はどうなのって?
言いたくないです、正直。













恥ずかしすぎて思わず大嫌いと言ってしまうほど大好きである。
みんなの笑顔を思い出すと、思わず笑みがこぼれてしまう。

だからこそだ。私は心の中に「毒」を持ち続けるのだ。「絶対感」に従いながら。

批判的な声を言われ続けたっていい。バカにされたっていい。それでも自分と学年を信じて行動し続けるのが「本当の筋」ってやつだ。
大胆な決断と勇気を伴った行動に対する責任は、僕が背負う。
人間らしさとは何か。それは自分の信じたことを貫き通すことなのではないのではないかな。

瞬間瞬間に全てを賭けるのだ。私は肉体と行動で示し続ける。
そう、「人間らしさ」を貫き続ける。 
「孤独」であり続ける。

◇川辺球尊(かわべきゅうと)◇
学年:2年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:大宮アルディージャU-18


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