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【#Real Voice 2022】 「サッカーに、魅せられて。」 1年・永戸彩花

私の夢。


5歳、宇宙飛行士。

10歳、弁護士。

15歳、会社員。

16歳。高校1年生。
入学直後の進路希望調査には未定と書いた。

それでも、ずっと心の底から思い続けてきた夢があった。


サッカーに関わる仕事がしたい


オレンジに染まったスタジアム。
一斉にほどける円陣ダッシュ。
総立ちになって喜び合うスタンド。
ここぞという瞬間に響き渡る、アイシテルニイガタ。

ここが、私の大好きな場所。


サッカーに縁のなかった私がサッカーにのめり込んだきっかけは、アルビレックス新潟というクラブに、偶然出会えたから。


1枚の招待券が、私の人生を変えてくれた。


決して強いチームではない。
頻繁に行けなかった私にとってむしろ見に行っているのは負け試合がほとんど。

魅せられたのは、勝利だけではない。


老若男女が集い、喜怒哀楽を共にする大勢の観客。
響くチャントに背中を押されるように泥臭く走り、戦い続けるピッチ上の選手たち。
その光景を支えるかのように美しくそびえたつビッグスワン。


1つの試合を構成するすべての要素が、
圧倒的非日常が、
私の心を大きく動かし、
私をサッカーの虜にした。


この空間を、創りたい。
大好きなサッカーを、仕事にしたい。

いつからか心の中には当然のようにこんな気持ちを抱いていた。


では、なぜ公言してこなかったのか。


それは、子供ながらに難しさを悟っていたから。

大きくはないサッカー界において、人との繋がり、コネクションが影響を及ぼすことは容易に想像できた。そして第1にサッカーをしていなかった(むしろ運動音痴な)私にはそんな繋がりを作ることなど到底不可能だと感じていた。
思いついたのはサッカー専門学校くらい。でも現場に入ったその先のビジョンが描けなかった。選択肢から消えた。

そして、女性であることの難しさ。サッカーが好きだというだけでも性別だけで珍しがられる。結局は男性中心のように見えるサッカー界では男性の方が使いやすいと言われても納得できてしまうのが事実である。

叶えられなそうな夢を、公言できなかった。



ありのままを記そうとしたら、非常に長くなってしまいました。どうか最後までお付き合いください。


きっかけ

こんな気持ちが変わったのは、高校1年生の春。
結論から言えば、私は高校でサッカー部のマネージャーになった。

なぜマネージャーという選択肢が前から無かったのか。正直に言うとマネージャーという存在自体にいい印象がなかったから。自分の見た目も性格も全く向いてないと思っていた。

どんな経緯でマネージャーになったのか、詳しくは長くなってしまうためここでは省略する。

簡単にまとめると、たった1人の3年生のマネージャーと担任でもあった監督からの猛プッシュ。高校サッカー、大学サッカー。Jリーグ以外からはちょっと遠かった自分に新しい世界を開いてくれた。サッカーが好きならもっと違う世界が見えるよって、そんな言葉が強烈に頭に残った。

大好きなサッカーに、学生時代現場レベルで関わること。

マネージャーから、サッカー界を目指すこと。

綺麗事だったかもしれないけど、すごく魅力的に感じた。

かなり悩んだ末、元から考えていたこととの葛藤もありつつも、最終的には自分の意思で入部を決断した。


高校時代


マネージャーとして過ごした高校3年間。

素晴らしい先輩や監督から多くの学びを得られ、貴重な経験を積ませてもらった。

公立高校だが、かなり力を入れているチームだった。
自分のミスがチームに直結する状況の中で、

常に先を見据え、考動する力。
絶対に折れず、諦めない力。

そんな強さやたくましさを手にすることができたと思っている。

しかし、
早朝、眠い目をこすって冷凍庫で氷を作る時、
水やボールに追われひたすら走り回る時、
誰もいなくなった暗いグラウンドで、後片づけをしている時。
不意に頭を支配する1つの問い。


「自分、今、成長しているのかな」


この答えの出ない問いに3年間悩み続けた。
明確な夢を持ってきたからこそ、そこと現在地の乖離が苦しかった。

マネージャーとして過ごすという選択が間違っていたのではないか。
幾度となくこの思いに駆られ、それをかき消すためにがむしゃらに働いた。
この繰り返しを続けるたびにメンタルがおかしくなった。

部員とまともにコミュニケーションをとらなかったせいで、孤独が自分を一層痛みつけた。

チームのためと部員が楽をするための区別もつかなくなった。

楽しい学校生活も勉強時間も削り、朝も昼ももちろん放課後も、自分の生活のほとんどを部活に捧げ、この生活から得られるものは一体何なのだろうと。


チームも勝てない時期が続いた。
やれることは全部やったつもりだった。
それでも結局は勝敗に何も影響を及ぼせない自分がもどかしかった。
サッカーの楽しさより苦しさが圧倒的に上回っていた。

選手を支えたい、チームを支えたいという美しく綺麗な気持ちだけでは動けない醜い自分がいることを知った。


マネージャーの自分が、嫌いだった。


転機


マネージャーはやっぱり向いてなかった。

大学からは学連(関東大学サッカー連盟。ここの存在は先生から教えてもらった)からサッカーに関わろう。そう思い始めた矢先、コロナ禍が世の中を襲った。

学校も休みになり、急にできた時間のおかげでやっと進路について考え始めた。早稲田大学のア式蹴球部は他の大学より面白いことをしているな、そんな印象。それでも早稲田なんて成績面で到底無理なことは分かっていたし、マネージャーをするつもりもなかったから特に詳しく調べることはしなかった。


コロナ禍が少しずつ落ち着き、またせわしない日常に戻り始めた約2年前、英吉さん(3年マネージャー・藤間英吉)のnoteがサッカー界から反応をもらっていてTwitterのタイムラインに流れてきた。とりあえずクリック。


読んだ感想、なんだこれ。

自分と志望校から(早稲田以外の)将来まで当時ほとんど同じようなことを考えていたからとにかくびっくりした。その中で見たア式蹴球部のマネージャー業務。


「チームの組織運営」「早慶戦の企画運営」


刺さった。ホームページへ。
過去の部員ブログを読み漁る。
YouTubeで「早慶戦 サッカー」で検索。

学生主体のチーム運営。明確なビジョン。早慶戦の大熱狂。SNS越しでも伝わるマネージャーの皆さんの個性、熱量、力。


はっと目が覚めたような感覚だった。

マネージャーからサッカー界を目指すという選択をした自分を、肯定できるのはここしかない。強く感じた。

志望校が一瞬で早稲田大学になった。


ア式蹴球部が厳しい組織であることはすぐに分かった。
ア式蹴球部の門を叩いた時に、恥ずかしくない人間になろう。

マネージャーとして、自分のために、頑張る理由ができた。


そして、このnote。

バズる前に読んでまず衝撃を受けた。もう寝ようとしている母親にわざわざ見せに行った。
環境を言い訳にして何もしてこなかった今までの自分が恥ずかしくなった。
今の自分の視野と経験の狭さに絶望した。

世の中には上という上がいるんだなあと思い知り、
同時にそんな人達と同じ組織で活動すれば絶対に成長できる。
ここだという直感が、確信に変わった。

気づけば私のTwitterはこのnoteで溢れていた。


受験


ア式蹴球部への思いとは裏腹に、成績は絶望的だった。色々ありすぎて勉強に割けるエネルギーも時間もなかった。付いたあだ名は眠り姫。高3夏の部活引退後からやっと全力の勉強生活が始まった。

とは言っても急に成績が上がるわけなんかなく最後の12月の模試まで当時志望していたスポーツ科学部はE判定。(もちろん他の学部もEである)A判定の大学もほぼなし。

浪人は許してもらえなかった。

早稲田に入れなかった、ア式蹴球部に入れなかった自分を想像して、高校3年間が無意味になってしまったように感じる自分を想像して、絶望を感じる毎日。そんな想像をかき消すために狂ったように勉強し続けた。


結果としては、早稲田の3学部の合格を掴むことができた。合格発表は卒業式の日。自分のことのように涙を流して喜んでくれる家族と友人がいた。人生で1番嬉しかった。どう考えてもそんな実力はなかったから、日頃の行いが運になってくれたのかな、と思っている。


学部選択は頭を悩ませた。選択肢は受かるはずのなかった商学部(ちなみに明治大学の商学部は落ちました)と元々の志望だったスポーツ科学部。
学びたいことはスポーツ科学部の方が多かったし、単位取得が楽なのも分かっていたけど、

スポーツ業界で働きたいならスポーツだけに囚われるな


どこかで出会ったこんなニュアンスの言葉がずっと頭に引っかかっていた。私が1番専攻したかったのはスポーツビジネス。
けれども大きい枠組みのビジネスを理解できていなかったら、スポーツビジネスだけを学んでも井の中の蛙状態になるんじゃないかって、選択肢を持てたことで気が付いた。

こうして早稲田大学商学部に進学することを決め、ア式蹴球部の門を叩いた。



本当に難しかった仮入部期間を経て、目標であったア式蹴球部の一員として、今この部員ブログを書いている。

もちろん描いていたア式蹴球部と現実のギャップだってある。

それでも毎日新たな発見があり、学びがあり、反省があり、先輩たちの背中を追い続ける日々。

そしてなにより、

自分に厳しく向き合う選手
黙々と自主練習に取り組み続ける選手
素直な気持ちを伝えてくれる同期
葛藤を抱えながらもそんな姿を一切見せずに、熱い思いを持って日々取り組む学生スタッフ
信じられない量の仕事を見えないところで日々当たり前のようにこなし続ける、主務、副務、マネージャー
しがない私にも仕事を任せてくれる、先輩達

この人たちのために、頑張りたい。

醜い自分が、気が付けば自然にそう思えるようにもなっていた。
これは環境がもたらしてくれた自分の変化。

自分の心をだましながら、偽りの自分を取り繕っていた私はもういない。

自分のふがいなさに心が折れてもおかしくないはずなのに、
それ以上にすっきりした気持ちの最近の自分を見て、今までの自分の人生も、マネージャーという立場も、少しだけ肯定できるようになった気がする。

これから


2024年に迎えるア式蹴球部創部100周年に向けて、私もメンバーの一員としてプロジェクトに参加させてもらっている。
先日のミーティングでこんな問いを投げかけられた。


あなたにとってサッカーとは?

私が緊張しながら出した答えは、
頑張る理由であり、原動力


週末のJリーグを楽しみに、1週間頑張ろうと思えた。
アルビレックス新潟があったから、自分の地元を誇りに思えた。
ア式蹴球部があったから、どんな楽しみも捨てて部活と勉強に打ち込むことができた。
サッカーが生み出すものが、私の原動力となり、私の人生に大きな潤いを与えてくれていることを再認識できた。


今の夢、目標。


サッカーを通じて、多くの人に活力を届けるきっかけになる。

そして、日本サッカーをリードする存在になる。


抽象的で大きすぎるけれど、ア式蹴球部は日本をリードする存在になるというビジョンを掲げている以上、思い切って記します。

今のサッカー人気の低迷は、悔しい。
WEリーグをはじめとする女子サッカーも、もっと環境を整えたいし、もっと注目を集めたい。もっと性別関係なくサッカーが楽しめる環境をピッチ内外で創りたい。

自分が大好きなサッカーを、もっと多くの人が明日への活力にしてほしい。


まだそこまでア式蹴球部で苦労や絶望を経験していないから、いくらアンテナを張ってきたとはいえスポーツ界の実情をまだまだ知らないから、こんな綺麗事が言えるのだろう。
それでも今の思いをここで宣言することは、これからの自分にいいプレッシャーをかけることができる。そう思って記すことにした。


以上を踏まえて、ア式蹴球部でできること。

自分の頑張る姿で、誰かに頑張るための活力を与えられる存在になること。

色んな世界に飛び込み、多くの人に出会い、沢山の経験を積むこと。

早慶戦という数多の先輩方が受け継いできた素晴らしい舞台で、サッカーが生み出す活力を、さらに多くの人に感じてもらえる場を創ること。


新卒でサッカー界を目指すのか、はたまた違う道か、そしてどのような立場からサッカー界に関わりたいのか。今は明確に決めていない。
それでも今は、学生という立場だからこそ挑戦できる。

主体的な活動の場を与えてくれる、外池監督をはじめとする社会人スタッフのみなさんには感謝ばかりである。(ここが進路選択の大きな決め手にもなった)
恵まれすぎているこの環境でどうなろうにも自分次第。


この先の将来、自分が女性であること、サッカー経験がないこと、他にもハンデになることは沢山出てくるだろう。

正直、今のマネージャーという立場でも、自分が男だったらなあとか、もっと違う経験を積んで居たらなあとか、しまいには自分が選手だったらなあとか、叶うことのないタラレバを毎日考えて劣等感に浸るのも事実。

今の自分には、このハンデを乗り越えるだけの武器はない。

それでも、今までの人生で唯一自信を持って言えるのは、
与えられた環境で、真っすぐに頑張り続けてきたこと。

のどかな田舎でのびのびと育ててもらったからこそ、他の人とは全く違う人生を歩んできたからこそ、自分にしかない武器はきっとある。

頑張り続ける

この唯一自分が持つツールを手に、尽きない悩みに向き合いながら、沢山の武器を残された学生生活で自分のものにしていきたい。


強い覚悟と大きな目標を持って臨んだア式蹴球部での1年目も終盤に差し掛かりました。この部員ブログが口先だけの言葉にならないよう、これからも日々精進して参ります。

今後ともア式蹴球部へのご声援のほどよろしくお願い致します。



永戸彩花
学年:1年
学部:商学部
出身高校:新潟県立長岡高校

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