【#Real Voice 2022】 「この4年間、沢山欲張りました。幸せでした。」 4年・菊地彩花
『早稲田大学ア式蹴球部 マネージャー』
この肩書きを背負わせてもらって過ごした4年間。
わたしはこの場所が、
ここに居る自分が、
大好きでした。
入学式翌日の2019年4月2日、
ア式蹴球部の門を叩きました。
壮絶だった最初の1年間、
「マネージャーとは何か」を必死に模索していました。
今のア式では当たり前にマネージャーの仕事として捉えられている試合の記録業務、練習のサポート、会報の作成、SNSでの発信、
上級生の選手たちから
「前は俺らがやってたんだよ〜」と言われました。
私が1年生の頃やっていた業務は、
"選手でもできること"でした。
先輩たちは意図していないとは思いますが、
「マネージャーそんな必要ないよな」って伝えられているようで、
マネージャーの存在は「選手の負担軽減」の意味しか成し得てないみたいで、
私じゃなくてもいいんじゃないかな。
居なくてもそんなに変わらないよね。
何度もそう思いました。
「菊地彩花」という人間が
ア式蹴球部のマネージャーとしている意味を、
自身の存在価値を求めたのが
最初の「欲張り」であり、
今のわたしの原点です。
その欲張りのせいか、おかげか、
沢山のことに挑戦し、
貴重な経験を沢山することができました。
部内で本腰を入れて初めに取り組んだのは
『インスタ改革』だったかなと思います。
試合前に撮るスタメンの写真が連なっているような「早稲田大学ア式蹴球部公式Instagram」の変革を図りました。
SNSはファン獲得のために欠かせないツールでありながら、あまり本腰を入れられてなかった実情を踏まえ、まずはここから!と始めてみました。
選手だけでは運営できていなかった部分。
「私がいる意味」の模索スタートです。
試合前画像・スタメン画像・結果画像と、今では当たり前に出しているものの基盤を作れたのではないかと思っています。
プロ内定リリースの時に出す画像は、大学サッカーの中でも先駆けて取り組めたことの1つじゃないかと勝手に思って、勝手に誇らしくなってます。
選手ひとりひとりのデザインを変えるのは私の単なるこだわりですが、選手が自分のSNSにも投稿してくれるのが嬉しくて、画像作成のモチベーションになってました。みんなありがとう。
そして、
『学連』というものに出会いました。
今振り返ると、
とてつもなく大切で重い出会いでした。
学連とは、「全日本/関東大学サッカー連盟の学生幹事」の略で、簡潔に言うと大学サッカーを司る組織のメンバーです。
「早稲田大学ア式蹴球部」の枠を超えた
自分が知らない世界を見たいと思ったのが、
シンプルですが学連に興味を持ったきっかけです。
ア式蹴球部に入るまでは、
その存在さえ知りませんでした。
この外での経験が
私のマネージャーとしての個性になり
そして存在価値を高める一因となればと思い、
そこに所属することが
様々な犠牲を払うことを知りながら、
自ら飛び込みました。
また一歩、欲張ってしまいました。
自分が学連に入った2020年は
コロナ禍の始まりだったこともあり、
学連もさまざまな変化期を迎えていました。
それまでの部会が解散して班制度となり、
2年次から入った自分でも色々なことにトライしやすい環境でした。
学連は、日々のリーグ戦や大会運営が基本です。
チーム、観客、メディア・スカウト、連盟関係者などその日に試合に関わる全ての人が安全かつ心地よい試合を目指します。
それぞれの導線を決めて、なにを何処に置くか、チームと関係者以外の接触をどう無くすか、支障が起こりそうなところはどこか。
会場にいって打ち合わせをしたり、学連メンバーと話し合いながら1試合をつくり上げます。
今年、運営担当(学連に所属はしていないが試合運営に参加してくれた人)をした1人が、
「運営って楽だね。」
と言っていたのを耳にしました。
一瞬むすっとしてしまった自分もいましたが、
でもよく考えれば
それは試合前日までに学連メンバーが、「楽だ」と思える体制を作り上げられた功績だと思いました。
当然のように物品が揃ってて、
各担当ごとのマニュアルがあって、
それを理解し説明できる学生幹事がいて。
「当たり前」をつくりあげられた成果です。
目に見えない部分を
頑張れる人がいたからです。
そんな人達の中で自分が過ごせていたことを、
とても誇りに思います。
学連はもちろん運営が全てではありません。
週末の試合以外にも人それぞれ様々な業務を日々こなします。
わたしは技術委員会の担当を務めていたので、
月1〜2回開催される技術委員会を主として、選考会や選抜活動の運営、それに伴う様々な推薦データの管理などを行っていました。
技術委員のみなさんには沢山お世話になりました。他大学の監督やコーチの方々と話せる機会は、なかなか貴重だったなあと強く思います。
リーグ戦で会うと、「元気か〜?」と聞いてきてくれるのがもう無くなってしまうと思うとすごく寂しいです。本当にお世話になりました。
技術の関連で全日本大学選抜や関東大学選抜の主務として、様々な大会にも帯同させていただきました。
などなど、初めて主務の仕事を羅列してみましたが、とにかく色々やったなあと今更ながら思います。
大変かと聞かれたら深く頷いてしまうくらいの時間だったけど、確実に有意義な経験でした。
手首が腱鞘炎になったり、小指脱臼したり、
ブヨに刺されて足首が信じられないほど腫れたり、
トラブル続きでしたが、
なんとかやりきれたのは、スタッフの皆さんが「菊ちゃんがやりやすいように」と言ってくれて、時には甘いスイーツの差し入れをくれたり、選手のみんなが疲れている中で嫌な顔せず色んなことをサポートしてくれたお陰です。
他にも、
インディペンデンスリーグ全国大会の統括を任さしていただいたり、スポンサー企業さんの担当として各種連絡を行って物品を頂いたり、
ここでしかできないこと、
沢山挑戦させてもらいました。
私だけの何かを得ることができた気がします。
それは先に述べた
"菊地彩花がア式のマネージャーである理由"に
確実になっていました。
学連に関しては来年の元日まで続くので、
あと少し頑張ります。
そんなこんなで
11月13日、ア式蹴球部の引退を迎えました。
今までの歩みをつらつらと書いて、
色々なことが順調に進んだかのように記しましたが、
たくさん失敗して、
多くの人に迷惑もかけました。
わたしの欲張りのせいで、
チームのことを任せっきりにした時期もあって
特に1個下のマネージャー陣には沢山負担をかけちゃって本当に申し訳なかったと思います。
3年間みんなが頼りでした。本当にありがとう。
でも、失礼かもしれないけど、
不思議とこの欲張ってきた4年間に
後悔はついてきません。
ア式に入部して、
学連に入って、
色々な素敵な景色を見ました。
みんなに、見させてもらいました。
欲張らなければ見られなかった景色が
多分沢山あると思います。
マネージャーや学連という役職は
点を取ることも、
ゴールを守ることもできません。
白線で囲まれたピッチの上に、立つ資格さえ持ち合わせていません。
だから、
あの勝利の瞬間、
鼓動が速くなるような熱気、
それを知れたのは
他でもなくみんなのおかげです。
でも、きっとどこかで、
自分が過ごした4年間が、
その白星の1つにでも貢献できていたことを願っています。
それが私がここで過ごした意味であり、足跡になるのかなと思います。
最後にそんなちょっと欲張りな気持ちを添えて、
このブログを終わろうと思います。
この4年間、幸せでした。
本当にありがとうございました。
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