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#サイキック
インゴ・スワン「リアル・ストーリー」閑話休題(ハル・パソフから見たインゴ・スワン)
ここでいったん視点を移して、スタンフォード研究所にインゴ・スワンを迎えたハロルド・パソフ博士による回想を挿入したい。
これは『マインド・リーチ : あなたにも超能力がある』(ラッセル・ターグとの共著、猪股修二 訳、集英社、1978)の第2章に書かれているもので、国会図書館デジタルコレクションで読むことができる。
(以下ハル・パソフによる回想より)
私が職業的に超常現象へのかかわりを持つように
インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(94)
ハル・パソフ博士はSRI で、科学的な手法で特定の超常現象を研究し、物理学などの専門知識をそれらの現象に適用するプロジェクトを立ち上げたいと考えていた。そのためには、提案書を書いてそれをスポンサーに売り込まなければならなかった。要するにパソフ博士は、米国で 2 番目に大きい「シンクタンク」の真ん中で「サイキック研究」を行うことを提案していたのだ。
私はこれを聞いてパソフ博士の前で笑ってしまった。
インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(83)
5月の残りの期間、私たちはさまざまな実験をなんとかやり遂げた。だが緊張はいたるところに存在した。
5 月 29 日に仕事のために ASPR に到着したとき、ジャネットはオシス博士がオフィスで私に会いたいと言っていると告げた。彼女は顔をしかめていた。
私は階段を駆け上がってオシス博士のところへ行った。そこで、私たちはもうリモートビューイング実験は行わないことになり、ASPR は私が試したいアイデ
インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(44)
第 20 章 1972 年の元旦
1972 年の元旦、前夜のパーティーでひどい二日酔いだった私は、アスピリンを飲みながら、自分自身の第二の方針の概要を設定することに頭を悩ませていた。
今後も超能力実験に参加するという将来の見通しに可能性があるように思えてきたので、これからのことについてどう対処すべきかを考えていたのである。
私には、実験に参加することで得られる報酬で生計を立てることができると
インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(42)
第 19 章 人類のハードドライブ部門からの「通信」 1971 年 12 月 30 日
12 月 8 日から 12 月 30 日までリモートビューイング実験の追試が行われ、かなり高い成功率が得られた。対外離脱(OOB)セッションの成功率も改善されていた。
しかし、12 月 30 日の OOB 実験の結果は私を驚かせるものだった。
なぜそうなったのかについて若干説明する必要があるだろう。
インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(35)
第13章 超能力 VS バイオマインドパワー 1971年10 月~11 月
これまで語られてきた出来事が私をその状況に微妙に組み入れ始めている一方で、ESPやその他の超能力現象に関する奇妙な現実の変化が一般大衆の中で始まっていた。
シーラ・オストランダーとリン・シュローダーによる『鉄のカーテンの向こうのサイキック発見 PSYCHIC DISCOVERIES BEHIND THE IRON C
インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(34)
確かに、オシス博士の実験は素晴らしいものだった。
3階の部屋、実際には誰かが以前使っていた寝室の半分に、高い天井から約 2フィートの高さのトレイが吊るされていた。部屋の床にいる誰からも完全に見えないところで、そこに登って「ターゲット」をトレイに置くには梯子が必要だった。トレイの真下には椅子と、仕切りの小さな穴を通って元寝室の反対側につながるたくさんのワイヤー(電極)があった。
ここは当時オシス
インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(32)
第12章 カーリス・オシス博士 - 1971年から1972年冬
シュマイドラー博士と一緒にサーミスター実験に取り組んでいる間、私はクリーブ・バックスターの研究所にも出入りしていた。
私たちは電極が挿入された小さな金属容器内で加圧されたガスに対して「psi プローブ」をテストした。ガスがプローブの影響を受けた場合、ガスの原子は「励起」と呼ばれる方法で移動する可能性がある。この種の設定は標準的で
インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(24)
第 8 章 反復可能な実験 - 1971 年 9 月
インフルエンザから回復し、バックスターの研究室で働き始める準備ができたとき、私の頭の中ではフィードバックと潜在意識の情報プロセスの概念がグルグルと回っていた。
もちろん、それらの統合にはまだ達していなかった。 しかし、バックスターと私が新しい実験に着手し始めたとき、私は潜在意識の知覚とフィードバックに関して何が起こっているのかを観察しようと