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「泊まりながら」考える

先日、とあるカプセルホテルに宿泊した。
別に残業やら飲み会やらで、終電を逃した訳ではない。チェックイン時間は午後9時だ。

宿泊した理由は「泊まりたくなったから泊まった」である。
というのも、年明けに作家関係者と実施した飲み会にて、「執筆時間を確保するために、カプセルホテルに泊まって準備した」という話をやたら聞いたからだ。
狭い室内でじっくりと、筆を進めたり、物思いに耽る……。
良いな! 羨ましいな! なんと贅沢な時間の使い方だろう!
かくして呆気なく影響を受けた僕は、とあるカプセルホテルの予約をしたのである。

金曜日の割には、カプセルホテルはガラガラだった。数年前にできた、比較的新しい建物なのだが、意外と観光客もいないものだ。ここは穴場なのだろうか?
高さ1メートル、縦横が2メートル×1メートルの室内も、快適で過ごしやすかった。テレビもあるし、スーツもしまえるロッカーもあるし、照明も複数あるので明るさの微調整も可能だ。
人間にとって必要な生活スペースは、意外と狭いものである。

おっと、これでは単に宿泊しに来ただけである(それでも良いかもしれないが)。
このカプセルホテルには大浴場とサウナがある。そこで汗を流し、頭を空っぽにし、その状態のままでラウンジに行き、今後の目標ややりたいことのスケジュールを立案する……という流れで夜を過ごす算段だった。
結果として、当初の目的通りに事は運んだ。実に集中した時間を過ごし、頭と胸の中に散らかっていたことを、しっかり片づけることができた。

物事のインプットやアウトプットをするときは、環境を変えると良いという話がある。かく言う僕も、こうやって文章を書いているときも、お世話になっている自習室とか、喫茶店で行っている。
今回のカプセルホテルに泊まるのも、その行動の一種である。ただ、違うのは「泊まる」という要素だ。自宅に「帰る」という要素を取り除くことで、時間的なコストを削減し、より考えることに集中できる(まあ、金銭的なコストは発生するけど)。

そういう意味で、「小目的の宿泊」というのは有用であると気がつけたのは、今年初のポジティブな発見だった。案外近いうちに、この秘密基地で考え事をする機会が、また訪れそうである

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こういうエッセイを、また書きたいなと思ってやってみました


どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)