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都市対抗野球へ、ようこそ!【大会総括後編/社会人野球は3つ目の元号を乗り越えられるか?】

大会総括前編はこちらからどうぞ

平成最後の都市対抗野球を見終えた今、「都市対抗野球にとって【平成】とは何だったのか」…を考えるには、「日本のスポーツ界にとって【平成】とはどんな時代だったのか?」を踏まえる必要があるだろう。

僕はこの問いに対して、二つの仮説を提示したい。
ひとつは、平成という時代における日本スポーツ界の最大の変化は「サッカーの拡大及びプロスポーツ文化の発展」だということ。平成初期から中期にかけて、この流れはとても大きかった。
もうひとつは、昭和的なスポーツ観と平成的(新時代的)なスポーツ観の対立が深まっていることである。平成後期のここ数年では、特に表面化している(※この世代間の分断に関して言えば、色々な出来事に当てはまるものなのだが)。

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平成の日本スポーツはサッカーを中心に回っている。
Jリーグが平成5年に開幕して以降、10チームだったプロサッカークラブは全国各地に増え、47都道府県に1チームずつできるのも時間の問題の感がある。スポーツ選手≒プロであることは当たり前のこととして受け止められている。また、「サポーター」という言葉で市井の人々を巻き込み、ライフスタイルにも影響を与えたことも大きい。
さらに、日本代表はドーハの悲劇、マイアミの奇跡、そしてジョホールバルの歓喜と人々の心を動かす勝負を連発。2002年のW杯自国開催で、その地位を盤石なものにしたと言えるだろう。
そう、平成の日本スポーツとは「サッカーが根付き、拡散した30年間」なのである。

翻って、社会人野球はどうだったろうか? アマチュアリズムの衰退、長引く不況によるチームの廃部、世間への数少ないアピールポイントだったオリンピックも、プロ選手の参入と正式種目からの除外の憂き目にあった。

そんな逆境しかない中で、社会人野球は生き残ったのである。
しかも、都市対抗野球はサッカーの影響力をあまり受けないまま、生き残ったのだ。大会の構造やルールはもちろん、応援席の文化もサッカーのサポーター文化とは全く異なる(変わらなかったからこそ、サッカーファンが惹きこまれている)。

他の球技の多くは、サッカーの影響力を受け止めながら変化を続けていった。例えば、バスケットボールは実業団からプロへの大転換を行ったり、ラグビーはサンウルブズを仲介することでプロとアマの共存を目指している。プロ野球においても、反目しつつも、どこかでサッカーの様子を気にかけている。

変える体力が無かったのか、それとも変える気持ちが無かったのか。これは当方の今後の課題として調べ続けたいと思うが、少なくとも都市対抗野球は独自のカルチャーを保ち続けたまま、今も大会を開催し続けているのである。

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もうひとつ仮説「昭和と平成の対立」を考える上で、甲子園に関する昨今の批判は大いに参考となるだろう。

健気な少年たちに大人が一方的な猛練習を課し、考えたり反論する隙も与えない。炎天下の中、屋外の球場で試合は行われ、選手も観客も疲労困憊。エース投手は休息を与えられる間もなく、毎試合何百球も投げさせられる。素晴らしい才能が大会によって、故障の憂き目に合い、将来を奪われる…。

様々な批判を総合すると、こういう感じになるだろう。僕も正直な話をすれば、甲子園の好き嫌いは半々くらいである。素晴らしい勝負に胸を打つ一方で、試合の質が上がれば上がるほど、プレーヤーの自由が無い悲壮感に閉口してしまうのだ。

さて、都市対抗野球は?
都市対抗野球も甲子園と同じく、非常に「昭和色」の強い大会だ。新聞社が主催する大会の構造、第二次産業とサービス業が並ぶ企業名、炎天下の中で応援席列に並ぶサラリーマン、従業員や関係者の絆を深める独特の応援スタイル…。

もちろん、マイナーだからこそ批難が発生する分だけの分母が無いということもある。あとは、ドームという暑さを防ぐ快適な空間、特定の選手頼みにしない大人の野球といった、甲子園で課題になっている「無理強い」「不自由さ」が少ないのも良いのかもしれない。

でも、思う。大会を知って「こんなの前近代的なモノは止めちまえ!」と言うスポーツファンの割合がとても小さ過ぎる。もっと認知度が上がれば出てくるのだろうか。それとも僕のように、最初は雰囲気の古さに嫌気があったけど、いつの間にかハマってしまうのだろうか…。

ここに都市対抗野球の未来を考えるキーがある。

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様々な逆境を乗り越え、都市対抗野球は新元号1年目の来年に90回記念大会を迎える。
だが、都市対抗野球の未来は明るいのだろうか?

主催の毎日新聞社は、ネット全盛の時代に耐えられるのか?
日本のインフラや重厚産業は、グローバルな戦いに耐えられるのか?
地方の小さなサービス業や会社は、街の衰退に耐えられるのか?
世界を席巻する新しい産業は、社会人野球に参入…しないでしょう。

明るい展望は乏しい。
その中で僕は、ひとつ信じてみたいことがある。以前挙げた渡辺俊介投手の発言だ。

「日本人が一番好きなスポーツの要素が、都市対抗野球に含まれている」
「時代や社会、精神面の変化に関わらず、どんなときも都市対抗は盛り上がり、愛される存在である」

果たして、渡辺氏の読みは正しいのだろうか。
でも、少なくとも、昭和から平成への時代変化は乗り越えてしまった。仮に平成から次の元号を乗り越えたら、もうこの都市対抗野球のカルチャーに止めるものではなく、日本が持つ本質的なカルチャーだと言えるのではないだろうか?

都市対抗野球に私達が抱く好意、それはひょっとしたら、時代や構造が変わっても、変わらずに受け継いでいくことができるのではないか?

そんな事を考えてしまう僕は、もう来年の「都市対抗野球」が楽しみで仕方が無いのかもしれない

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