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スポーツ観戦との「再会」・その7【20.12.20 Y.S.C.C対藤枝MYFC@ニッパツ三ツ沢球技場編】

年の瀬も迫る12月。僕の頭の中は「今年のスポーツ観戦締めはどのゲームにしようか?」ということを考えてしまう時期だ。
2020年は僕のスポーツ観戦史においても転換点となる1年になった。コロナ禍により、多くの試合が中止になり、緊急事態宣言が明けた後も不自由な日々が続いた。環境の変化に慣れてきたとは言え、慣れてしまったことで忘れてしまいそうになることがある。
週末のスケジュールを確認しているうちに、この1年で失いつつある「感覚」に気がついた。それは「ふらりとゲームを観に行く」というものだ。

以前もこんな記事を書いた。予定が空いていることに気が付けば、ふらりと近くのスタジアムを訪ねる。ぼんやりと試合を眺める。目の前でプレーする選手やチームのことは詳しく知らない。でも、その中で見つけた小さな輝きに驚き、それを心に留めて家路につく。

そういうことが出来なくなった1年なのだ。
入場制限、熾烈なチケット抽選、観戦ルールの厳格化……何らかのかたちで気合を入れなければ、ゲームを観ることができない。そんな新しい様式の数々が、穏やかなスポーツ観戦というスタイルを奪っている。
その感覚を、少しでも自分の中へ取り戻していくべきでは?
12月20日はJ3リーグの最終節だ。ニッパツ三ツ沢球技場でも試合がある。ホームページで確認したところ、チケットにはまだ余裕があった。

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冬の青空が広がる、三ツ沢の丘。まさにスポーツ観戦日和の1日である。

この日の対戦カードはY.S.C.C対藤枝MYFCというものだ。
前者は本年も苦戦を強いられ、後半戦に至っては勝ち星なし。最下位に沈んだまま最終節を迎えることになってしまった。サポーターも大人しい印象があったのだが、この日は不穏な言葉が並ぶ横断幕も掲げられている。
一方の後者は、長らく指揮を執っていた石崎監督のラストゲーム。アウェー側のゴール裏にも十数名のサポーターが駆けつけており、リズムの良いドラムの音が聞こえてくる。今夏にJリーグを観たときは、アウェーサポーターは0人だった。小さいながらも、重要な一歩が踏み出されているのだ。

もう1つこの試合のトピックを付け加えるのならば、Y.S.C.C所属のフォワード・安彦考真の引退ゲームということだ。39歳で一念発起。Jリーガーを目指し、「月給1円」やら「年俸120円」といった待遇とは言え、水戸とY.S.C.Cでプレーをする機会を得た。その様子はテレビ番組など幾つかのメディアでも紹介されており、スタジアムには彼の仲間と思しき人たちもいた。今日は惜別の意味も含んだ、スタメン出場である。

様々なシチュエーションが混ざり込む一方、肝心のサッカーは退屈な時間が続いていた。Y.S.C.Cはサイドからの攻撃、藤枝MYFCは森島のポストプレーから攻撃を組み立てていたものの、決定機には結びつかず。前半はスコアレスで折り返すことになった。

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カメラを持ってきたものの、あまり良い写真は撮れていない。緊張感のあるプレーが少ないと、そもそもシャッターを押す機会が少ないものだ。

僕のポリシーとは反するけれど、後半はできる限り特定の選手を追うことにしてみた。被写体は安彦。試合終了まで出れるかどうかが不明だからこそ、追い続けるべきなのだ。
安彦は前線に待機し、何度も何度もゴール前に顔を出す。しかし、良いボールは入ってこなかった。うーん、やっぱり難しい。

そんな中で迎えた後半6分。音泉→宮本→音泉とワン・ツーパスが繋がり、いい形でのサイド攻撃が決まる。音泉が放ったクロスは、ディフェンスが戻りきっていないゴール前へ。
これは? と思って走り込む安彦にピントを合わせたが、ボールは異なる方向へ。ただ、その先に待っていたのがキャプテンの宮尾だった。ダイレクトシュートはゴールに吸い込まれる。待望の先制点。Y.S.C.Cベンチにいた監督、コーチらも含めて、ただの1点とは全く異なるかのように、吹っ切れたような歓声がしばらく鳴り響いていた。

その後も藤枝MYFCのパワープレーにきっちり対処し、1−0で試合終了。Y.S.C.Cが久しぶりの勝利をあげ、最終順位も1つアップした17位でシーズンの幕を下ろすことができた。

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シーズン最後のホームゲームでは、何かしらのセレモニーが行われるのが通例だ。この日もY.S.C.Cのサポーターに対し、経営陣、キャプテンらが感謝のメッセージを届けていた。

ただ、観客が最も耳を傾けていたのは、やはり引退する安彦に対してだろう。彼は熱い言葉で語り続けた。夢を抱き、諦めずに追いかけ続けることの大切さ。そして、今後の目標として「格闘技への挑戦」をこの場で宣言したのだった。
驚き、熱狂、そしてちょっとした戸惑い。スタジアムを不思議な空気で包みながら、安彦のスピーチは終わった。

僕も彼の言葉を、上手く飲み込めないままスタジアムを後にした人間である。
夢を持つこと、それに向けて努力すること。それ自体は全く否定すべきではない。
でも、その必死さを、僕はトゲトゲしさや息苦しさとして捉えてしまうことがある。なぜななら、その一途さを突き詰めてしまうと、できないことへの苦悩や、諦めることへの罪悪感を増殖させる危険性を孕んでいると思うのだ。

だからこそ、「ふらりとゲームを観に行く」ような気の持ちようも、大切なのではないだろうか?
目標や目的をつくって行動するのではなく、ふとした行動の先に意味や可能性を見出し、広げていく。

緊張感が世の中を支配した2020年。なんだか人生の本質みたいなものを考える1年になってしまった。
そんな1年を締めくくるゲームで聞いた、考え方が相反する彼の言葉で、僕は「スポーツを観る上で大切にしたいこと」に、辿り着いたのだ。それは、肩の力を抜き、自然とフットワークが軽くなるような生き方をすることの大切さである。
いやはや、やっぱり僕にとってスポーツ観戦とは、人生にとって欠かせない営みなのである


どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)