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選択の基準~育休から復職の裏話~

Measure your life in love (人生の価値を愛で測って。)

ミュージカル『Rent!』テーマ曲歌詞より

1年間の育児休業を経て職場復帰を翌週に控えた7月初旬、私は密かに転職への思いを募らせていた。

“自分から積極的に応募したわけじゃないけれど”と前置きしつつ、ビジネス向けSNSの「LinkedIn」からお声がけいただいた某・外資系旅行会社の日本市場のマーケットインサイト職。個人的にもかつてよく利用していた企業で、業界も職種的にもやりたい分野の仕事だと思えた。面接では本当に「この人達と一緒に働きたい」と思えるチームの方とお話しさせていただいて、何より長らくグローバルな職場環境(7年間の海外勤務含む)に身を置いていた私は、外資系の風通しの良い環境で英語を使った仕事がしたかった。
なぜかうまいこと最終面接までいってしまい、産後ボケの脳を久々にフル回転させて30分間英語プレゼン+30分間ディスカッションの準備にのめり込んだ。好反応だったと感じ、その後人事の方との面談でも改めて具体的な条件など聞いていただいて、これはもうほぼ確定ではないかと、私の心はわざわざ昼休憩中の夫に珍しく電話報告するくらいソワソワ浮き立っていた。

が、週明けにやっと来たメールの返事は不採用。
期待を持たせられた分落胆も大きく、私らしく輝ける道、あるいはそう信じたかったものが閉ざされてしまったようで、自分の軸がぐらっと大きく揺さぶられるのを感じた。そんな心理を表したような季節外れの台風の中、復職の現実感が一気に差し迫ってきた。

私の復職へのモチベーションは正直だだ下がっていた。
産休中に会社の方針転換で、海外や英語対応の案件は受けないことになり、自分の海外経験が無視されたような暗い気持になった。
また、出勤に関してはコロナ禍の副産物で自由に始業・就業時間を決めて働く「フレックス制」や在宅勤務が浸透したものの、現在は原則週4日の出社体制に戻りつつあった。育休中に引っ越しをしたため職場まではほぼ東京横断旅行となり、片道80分・往復1日3時間近くのロスが出る。おまけに移動中の業務は禁止だという。
なおかつ、時短だとフレックス制が適用されず、固定の出退社時間で勤務しなければならないという謎の縛りを直前に知った。夫のシフト勤務に合わせて保育園の送迎担当を交替すると、どうしても出社時間をずらさないといけない日が出てきて無理があった。かといって、フルタイムだと1ヶ月の所定勤務時間を満たすために、出社日には基本1時間半程度の在宅勤務が必須になった。

一方、面接を受けた先は物理的に半分くらいの距離と近く、出社方針もハイブリッドでチームごと裁量で週2、3回で済んだ。エンドサービス側にいくことは私の属する調査業界では一つのステップアップであるし、年収も個人的に目標としていた額を受け入れてもらえそうだった。
おまけに人事担当の方からの「中途半端に復職して辞めるより、育休明けにそのまま有給消化して8月後半に入社する方が今の会社にとっても都合がいいのでは」という提案に、私の心はパアッと舞い上がった。急に降って湧いた、息子とゆっくり一緒に過ごせる人生の夏休みの延長!オンライン画面越しの彼女の声がまるで天使の言葉のように響いた。産休明けで戻らず辞めるなんて、仮にも日本の社会人の身としてはなかなか勇気のいることだったが、前段のように復職の条件に希望を全く見出せなかった私は半分開き直っていた。

転職したい理由は探せばいくらでもあった。
しかし、その選択は「愛」にもとづいていただろうか?

科学者アインシュタインは晩年、たった一人の娘にあてた手紙に「愛こそが存在する最大の強大な宇宙的エネルギー」「愛は神で、神は愛」だと記した。
愛が宇宙をつかさどる――”愛の引力”に逆らえば、あるいは出どころが愛でないものは、仕事にせよ人間関係にせよ結局うまく事が運ばないものだと、私は信じている。その場合の多くは、”怒り”や”恐れ”といった愛と対極の感情、あるいは肩書やお金など”この世の価値観”に支配されていたりするのだ。

たしかに転職先は魅力的だったが、多分それ以上に、私はどこか復職の現状から逃げたかった、反発したかったのだ。育休のブランクを飛び越えて、海外経験も活かせず不遇な環境しか用意しないガチガチの日本的マネジメント体質の会社を見返したかった。そして、私らしい生き方とそれについての承認をも、転職先の肩書にすがろうとしていたのではないか。次第に条件面など”この世の価値観”にも魅了されてしまっていたように思う。その動機は、いつしか純粋な愛からは離れてしまっていたのかもしれない。

復職して一週間が経ち、何とかこなす日々だが「今はこれでよかったのかも」という思いを強めている。
ただでさえコロナ禍以降久しぶりの出社は新鮮で、一時的に記憶喪失のような、よちよち歩きの新人に戻った気分になったけれど、懐かしい同僚や同期が笑顔で迎えてくれ、オンラインでしか話せていなかった方たちにも直接お会いできたことが素直にうれしかった。何より「待っていました」とあたたかく言ってくださった心優しい上司に、産休明けですぐ有給使って辞めますなどというヒドイ仕打ちをしなくて済んで心底ホッとした。
コロナ禍の働き方改革でオフィスも以前のようなガチガチ感は少し薄れて、感覚を取り戻すにつれ楽になっていった。
仕事面でも、私が最終面接で課題だと指摘された部分が学べる環境が存分にあった。そしてなんと、あきらめていた英語対応の案件まで、元・海外チームで一緒に仕事をしていた同僚から指名していただき担当できることになった。
かつて案件がトラブって苦い思いを味わった別の営業さんは、今は別の事業部に異動したらしいが、私の姿を見つけてわざわざ声を掛けに来て下さった。
それから、職場近くに住む仲の良い義妹にも復職のことを話したら、秋から姪っ子の幼稚園が午後までになるので一緒にランチに行こうと言ってくれた。

自分がそっぽを向いて去ろうとしていた道は、愛に溢れていた。
少しの後ろめたさを隠しつつ、周りの人たちの温かさがジーンと心に響いて、無事に戻れたことを喜んだ。
(あと、育児から離れて自分の外出の時間を持てることや、社食で誰かの作ったご飯を食べられるのは普通にありがたかった。結局のところ胃袋をつかまれただけじゃん、とツッコまれるかもしれないが。)

それでも、転職活動が悪あがきだったとは思わない。
面接に臨むにあたり、自分の仕事の振り返りや今後やりたいことの棚卸が出来たことは大きな収穫だった。以前の私はトラブルが発生したりするたびに「自分が足りないからだ」と委縮してしまいがちだったけれど、客観的にみると難しい場面で自分なりに最善を尽くしてきたこと、そして案件ごとに学びがあったことを再認識できた。先方企業の”マイ・エンジェル”人事担当の方は、もっと業界が上向きになれば他のポジションを案内することもできるだろうとも言ってくださった。それまで今の職場で謙虚に経験と知識を磨こう、素直にそう思えた。

そして、将来的に再挑戦しようと思うと同時に今、自身の気持ちを昇華するために決めたことがある。
これまで、自分からあまり日本で海外のことを出すのは”かぶれている”などと思わそうで、身内や仕事関係以外の場面ではなんとなくためらわれていたのだが、これから海外に出たいと思っている人や、自分では行けない・交流できなくても知りたい人、また、かつての自分がそうだったように日本以外の価値観や考え方に触れることで何かの励みや救いになる人がいればと思い、日常のことを交えつつ海外生活の中で体験したこと、感じたことなどを、自分なりに自由に記していけたらと思う。それが私が世界で出逢った人たちや得たことへの恩返しにもなると感じている。以前から着想していて物怖じしていたのだが、「今でしょ」と私の中の林修先生が仰った。

育児と仕事復帰に加えて執筆を始めるとは、どこまで自分を追い込む性格なのかと思うが、おそらく今の私にはこのバランスがちょうど良いのだろう。
なるべく週1回のペースで、”愛”にもとづく発信や交流を楽しんでいけたら幸いである。


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