佐藤陽一

佐藤陽一

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高校・要望書 2022

貴職におかれましては千葉県のインクルーシブ教育の推進への御尽力に心より敬意を表します。 令和4年度の入学者選抜においては、定時制高校の二次募集と追加募集において定員内不合格者0という結果でした。障害児の高校進学について33年話し合いを重ねてきて初めての経験でした。定時制高校が中学卒業生にとって教育のセーフティーネットとしてあることに心からの安心と喜びを実感しました。ただ全体では未だ43名の定員内不合格があり、障害のある生徒も含まれている現実があります。また例年認められてきた

    • 《就学相談会のためのメモ》(その3)

       《45分の話》           □ 《いつもは「親」に向けて話している「45分の話」を、「教師向け」に書いてみた。この「45分の話」なら、「45分座っていないこと」を、親はどんなふうに受け取るだろう?》             □ A:「45分座っていない子が、ふつう学級でやっていくにはどうしたらいいのですか?」 B:「初めての教室では《座っていない子》も《座っている子》も、私は気になります。 緊張して張りつめた表情で座っている子もいれば、落ち着かず立ち

      • 就学相談会のためのメモ・安全とつながりのために》(その2)

        《45分座っていられるかな》  ふつう学級への心配の一つがこの「45分」の話です。その先にはこんな言葉がつづきます。「ついていけるかな」、「迷惑をかけるんじゃないか」、「分からない授業はかわいそうかも」、「退屈なんじゃないか」、「一人でさびしい思いをしないかな」。 それにしても、「45分座っていられるか」という呪文は、どうして30年以上も同じ形で語り継がれているんだろう。 「いま3歳のこの子が、3年後に45分座っていないとしたら?」 言葉のままに、素直に考えてみる…。今

        • 《ようこそ就学相談会へ 2021》

          今年の就学相談会3つ。 6月27日柏市。 7月11日千葉市。 9月12日千葉市。         □ 相談会の新しい資料を作るためのメモ。 A~Qの話題について話したくなったら、ようこそ就学相談会へ。           □ A《45分座っていられるか…。 それが心配?》 「45分座っていられないから」と、別の場所に行き、そこで身につく「座り方」の中身は? それと普通学級で身につく「座り方」の中身との違いは何か。 B《コミュニケーションが苦手…。 それが

        高校・要望書 2022

          9年目の運動会

          探さずとも見つかるこの子を はじめて探した日 目を奪われたのは つながりに咲く花だった どの子もみんな、互いの笑顔を映す花 この子もおなじ、みんなの笑顔を映す花 見つからないことなど、一秒もなかった 目立たないことなど、一生ないと思った 違いは今もある けれどつながりの中の同じは、はるかに豊かだった つながりに咲く花も、季節が巡ることも、この子はここで知った この先も、つながりの季節をくぐりぬけていくだろう あきらめなくてよかった この子のつながりを 手放さなくてよ

          9年目の運動会

          《定員内不合格というばかげた制度》

          「その社会が、それをばかげたことと思うくらい成熟するまでは、個人でそこを抜け出すのは難しい人もいるのでしょう。それは個人の問題というよりは、文化の問題であり、その社会の人権意識の差だと思います。」※ 例えば、親の体罰禁止。 2000年2月。 ドイツ司法大臣ヘルタ・ドイプラー=グメリーンが、ある会議で次のように発言した。 《「我が子を愛する者はその子を鞭打つ」という古いことわざは、危険で愚かしい言いぐさです。 暴力は家庭内で学習され、その後、社会と次の世代に伝えられるので

          《定員内不合格というばかげた制度》

          《今年の就学相談会》(その4) 《やまゆり園事件と川崎の就学裁判のこと》

          「ふつう学級」の世界を知らない親は多い。 「ふつう学級に行けるんですか?」「行ってもいいんですか?」「夢のようです」という人さえいる。 そして、「ふつう学級に行かせたいと願うことに、罪悪感を持たなくてよかったんですね」とつぶやく。 2021年の今も、「ふつう学級」とはそういう場所としてある。 「本人と保護者の意思が尊重される」と言われる。しかし、川崎市や神奈川県や横浜地方裁判所が、親と子どもの思いを無視したのは去年のこと。親子が「ふつう学級」に行くためには、神奈川から東京

          《今年の就学相談会》(その4) 《やまゆり園事件と川崎の就学裁判のこと》

          今年の就学相談会(その3)

          《たくさんの「だいじょうぶ」をくれた歩さんへ》 親は子どもに笑っていてほしい。だから、「いじめられますよ」と脅される場所に行かせたくはない。それに、教育委員会や校長の中にも意地悪な人がいるとか、嘘をつく人がいるなどとは思わない。まして「友だちはできません」「自己肯定感が持てません」、と聞けば不安にもなる。それでも、私たちの会を訪れる人がいる。その親の願いもまた、「子どもに笑っていてほしいから」だった。 「ふつう学級」の話を、一度も聞いたことがないと答える親は多い。「ふつう

          今年の就学相談会(その3)

          この子のつながりを(その2)

          「分けられたのは自分のせいだと、あのとき思ってしまったんだよね。それは、もちろん本当のことではないんだけど…いまもそういうふうに感じてるんだよね」 「誰かを大切に思うほど、その人を悲しませたくないと願うだろ。だからそれが叶わないとき、私たちは自分のせいだと思ってしまうことがあるんだ。」 「でも何か悪いことが起きたとしても、それは君の思いが足りないから、起こるわけじゃないんだ。みんなと一緒にいたかったんだよね。いい子になろうとがんばっていたんだよね。」       □

          この子のつながりを(その2)

          この子のつながりを

          「先生、この子はふつう学級に行かせようと思うの」  電話の声が聞こえる。 「お兄ちゃんの時はだまされたから」  三十三年前から声が届く。       ◇ 「先生はやめてよ。もう学校はやめたんだから」。 何度言っても呼び方は変わらなかった。だから、いまもそのままの声が聞こえる。 「先生、私ね、お兄ちゃんが小さいころ、歯医者から逃げるのを追いかけて、裸足で道路に飛び出したことがあるの。どうして。どうして、ちゃんとできないのってお兄ちゃんをたたいた…。人目も気にしないで、泣き

          この子のつながりを

          つながりに咲く花

          この子の花より先に  目に飛び込んでくる花がある いつもの運動会で  すぐに見つかるはずの子が みつからないとき 目を奪われたのは  つながりに咲く花だった どの子もみんな つながりに咲く花の中にいて つながりに咲く花に埋もれて  この子も笑う 見つからないなんて 一度もなかった 守れるのは私だけと 思ってた この子の花しか 見えていなかったのかな あきらめなくて よかった 手放さなくて よかった このつながりを この子は いま つながりに咲く花のなかに いる

          つながりに咲く花

          ようこそ就学相談会へ その後 (2)

          《子どもたちからの贈り物》 相談会で出会う子どもたちからもらった信頼は、他とは違うものだった。 一緒に遊び、笑い、話す二人の「間」で生まれるものとは違うもの。 相談会の子どもは、「自分を守るために必死な親を、支えてくれる」つながりの気配を感じ、それだけで無条件の信頼をくれるのだった。 その信頼は、私にはこんなふうに聞こえていた。 「お母さんと私の味方になってくれてありがとう、お礼にいいものをあげる」 もらった箱を開けてみると、そこには私が子どもの頃にほしかったものがみえる

          ようこそ就学相談会へ その後 (2)

          ようこそ就学相談会へ  その後(1)

          《1:嵐の海と熊だらけの森》 「ふつう学級に行くのは、嵐の海に船を出すことだと思ってる?」 「それとも熊だらけの森に、子ども一人を置いてくることだと思ってる?」 「そんなことないよ」。 36年前に出会った子も、いま一年生の子もうなずいてくれる。 「わたしはだいじょうぶだったよ」 「ぼくもだいじょうぶだった」 学校は子どもを比べ、競わせることに熱心な所だった。 でも競わなくても、比べなくても、つながれる形がある。 だから大丈夫だったと、子どもたちは私に教えてくれる。

          ようこそ就学相談会へ  その後(1)

          まなざしを重ねてつくる地図

          《運動会あるある》 入学式に始まり、授業参観も合唱祭も、「うちの子はどこかしら?」と探す前に、「ここ、ここ」と目に飛び込んでくる子がいる。この子たちの親は、はじめは運動会で子どもを探したことがない、という。徒競走でもダンスでも、探す前に目に飛び込んでくるから。そのくせ、教室から脱走したり、迷子になって探すのは数えきれない。 けれどある年、変化が訪れる。「見つからない」ときが訪れる。 「そんなはずない、トイレ? 職員室? 参加していない?」。ついそう思ってしまう。 でも、子

          まなざしを重ねてつくる地図

          ようこそ就園・就学相談会へ2020・9

          昨日の相談会に来てくれたのは8家族。 0歳の子が二人に、2歳の子が一人…。 「へ? 0歳の子が二人もいるのは初めてだなぁ」 「0歳の子の両親に、わたしはどんな言葉をもっていたっけ?」 「0歳を中心に考えたことなかったなぁ」 「0歳の子の親に、ふつう学級がいい話? それはそうなんだけど、《それ以前のことば》があるよな」 「そんなこと思ったって、もう始まっちゃうじゃん」        ◇ 昨日のことをよく覚えていないのだが、たぶんこんな思いを話した。         親とし

          ようこそ就園・就学相談会へ2020・9

          《250年前の教育書とダメ、ぜったい!》の長いメモ

          最近、250年前の教育書の言葉をよく思い出す。 【まずはじめに、ちょっとした身振りでやめるよう命令してみればよい。それでも泣き声がやまないようであれば、その時には泣くことをはっきり禁止して、大げさに騒いだ科で子どもを罰し、子どもが泣くのをやめるまで続けるがよい。】(1773年) もう一つ。こちらは160年前。 【この技術とは自分のしたいことを我慢する技術である。子どもはその拒絶をおとなしく受け入れるようにならねばならぬ。もし必要ならば、きつく言ったり、おどかしてやったり

          《250年前の教育書とダメ、ぜったい!》の長いメモ