まなざしを重ねてつくる地図

《運動会あるある》


入学式に始まり、授業参観も合唱祭も、「うちの子はどこかしら?」と探す前に、「ここ、ここ」と目に飛び込んでくる子がいる。この子たちの親は、はじめは運動会で子どもを探したことがない、という。徒競走でもダンスでも、探す前に目に飛び込んでくるから。そのくせ、教室から脱走したり、迷子になって探すのは数えきれない。

けれどある年、変化が訪れる。「見つからない」ときが訪れる。
「そんなはずない、トイレ? 職員室? 参加していない?」。ついそう思ってしまう。
でも、子どもはそこにいる。よく見れば、みんなと同じように踊れている訳ではない。一度見つければ、「そこ違う、また違う」がいつも通り見える。この子が目立たない子に「変わった」のではない。

では、何が変わったの?  
どうして、すぐに見つからなかったの?

答えはたぶん、子どものいる「世界」が変わったから。
この子のまなざしの先の世界、まわりのみんなのまなざしが、まったく違う世界に変わっているんだよ。

どういうこと?
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目に見えないんだよ」(Byきつね)

      □

《一年生の地図》

「あれはなに?」
「どういうこと?」
「いったいどうなっているの?」
入学の日から地図をつくる。どこが安全なのか。どうすれば安心なのか。声やまなざしのゆくえを追いかける。一人ずつ自分のやり方で地図をつくる。とまどいながら、迷いながら地図をつくる。

      □

見ているだけでハラハラ・ドキドキする子がいる。
「えーー、そんなことしていいの?」
「だめだめ、そんなことしちゃだめ~」
「あー、やっちゃったぁ」
あれ、でも笑ってる。たのしいのかな。
そんなふうにまなざしを追いかけて、地図をつくる。

注意してる先生も、ちょっと笑ってた。
そんなふうにまなざしを重ねて、地図をつくる。

      □

呼吸器をつけた子に出会うこともある。
「ねむってるの?」
「びょうきなの?」
「はなしかけていいの?」 
初めて出会う子は、おそるおそる地図をつくる。
その隣で保育園からの仲間はふつうに声をかける。目をのぞきこみ、「そっか」とうなずく。そんなふうに、まなざしのゆくえをおいかけて地図をつくる。

「いまのはなに?」
「そっかってなに?」
「どうやって話してるの?」
そんなふうに、まなざしのゆくえを重ねて地図をつくる。

      □

予防接種の日、やっちゃんは誰よりも早く逃げた。
誰かが「ちゅうしゃ」と口にしたとたん、ピューっと走り去った。先生があわてて追いかける。いつものことだから誰も驚かない。
いつもと違うのは、やっちゃんが逃げた理由をみんなが納得していること。そんなふうに、まなざしのゆくえが重なる地図をつくる。

      □

予防接種の日、たっくんはいつも通りおとなしくそこにいる。
誰かが「ちゅうしゃ」と口にしても逃げたりしない。先生はいつものように話を続ける。
いつもと違うのは、「にげよう」と大騒ぎしているたっくんのまなざしが、みんなには聞こえていること。
そんなふうに、まなざしの気配がきこえる地図をつくる。

      □

何も書いていないようにみえる地図。
それは、「いること」が揺るがない時をためて作る地図のこと。
どこにも行けないようにみえる地図。
それは、つながりの感覚を身体中に届ける地図のこと。

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