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本当は逃げようと思っていたのに、逃げ遅れて、必然的に置き去りにされた時

ニュートンが三歳のときに母親は、裕福な教区牧師のバーナバス・スミス師と再婚した。ハンナの二倍以上の歳のスミスは、若い妻は欲しがったが幼い継子は欲しがらなかった。それで家庭がどんな雰囲気になったかはっきりとはわからないが、緊張が高まっていたと考えて差し支えないだろう。というのも、アイザックは何年ものちに自分の子供時代について書いた文章の中で、「両親のスミスに火をつけて家を焼くぞと脅した」と振り返っているからだ。両親がその脅しにどう対処したかは語られていないが、記録によれば、まもなく家から追い出されて祖母に預けられたという。祖母とはうまくやったが、それは多くを望んでいなかったからだ。明らかに親しいとはいえず、アイザックが残したどんな文章や走り書きの中にも、祖母に対する愛情を回想したものはない。その一方で、祖母に火をつけて家を焼きたかったとと振り返っているものもない。アイザックが一〇歳のときにスミス師がなくなると、アイザックはしばらく自宅へ戻って、母親が再婚でもうけた三人の幼い子供のいる家庭へ加わった(中略)ニュートンは、とっさに計算した紙や学校の古いノートなど、書いたものをほぼすべて保管しており、それを調べて行けば、ニュートンの科学的思考の発展をかつてないところまで理解できる。ニュートンの科学文書のほとんどは最終的に、研究活動の本拠地だったケンブリッジ大学に寄贈された。しかし、計数百万語に及ぶ残りの文書はサザビーズでオークションにかけられ、錬金術に関する文書の大部分は、入札した経済学者のジョン・メイナード・ケインズに買い取られた

イギリスの経済学者でありニュートンの研究者でもあるジョン・メイナード・ケインズはこう語る。「ニュートンは理性の時代の最初の人物ではなかった。彼は最後の魔術師だった」

(※仏教と共産主義はともに宗教だ)日本では、宗教は、政治に従属している。これが重要な事実である。※引用者加筆.

ここで、一つ事実を頭に入れておきたい。成功してる人たちは、どうしても批判の矢面に立たされがちである。批判というのは避けて通れない一種のいじめであり、成功を夢見る人たちにとって、新兵訓練所のようなものである。億万長者に聞いてみれば、おそらくこの手の新兵訓練所経験談はいくらでも出てくるだろう。成功者たちは人真似をしないし、大勢に従ったりしない(中略)往往にして、成功するということには、仲間外れになるという犠牲が伴う。現に、億万長者の四人に一人(76%)は、人格形成期に周囲とはちがった見方をすることを学んでいる。そしてそのことが、のちに金持ちになるうえで大きく影響したと回答している。人とは違うことは経済的成功という褒償をもたらすが、批判や仲間外れといった報いも受けるのである。

情報分析官

共産主義=社会主義は宗教だ。だが、もっと恐ろしいことを私ははっきりと書こう。本当の本当は、資本主義もまた宗教

資本主義では、相手を儲けさせるという理論はなく、自分が儲かればよいのである。みなこぞって自分が儲かればいいという論理で行動すれば、競争の原理が働き、全体の生産性が上がるというのが資本主義の理屈。

マックス・ウェーバーは、プロテスタンティズムの精神(本当はユダヤ思想返りだ)が資本主義を生んだ、としている。マックス・ウェーバーの教義(ドグマ)に対して近年大きな疑義が生まれている。

支配と権力はマックス・ウェーバーが使ったが、これはマルクスの思想では上部構造と下部構造とした。上部構造は宗教とか国だ。下部構造が私たちの生の生活だ(中略)価値を増殖できるのは、能力のある人だけなのだ。これをカール・マルクスがわざと無視した。すべての人間が労働することで、余剰価値を生む、付加価値を生むと言った。ところが、これはウソである。能力のある人間だけが、付加(余剰)価値を生む。余剰価値、surplus value を生むのは、能力のある人間だけなのだ。それが「Y(※イールド 生産高。個人であれば年収)=C(※コスト 会社の建物や工場設備。及び能力のない社員やただの従業員たち。電気代、光熱費、従業員の給料) + I(※インテレクト 才能、知能。利益を生む社員。有能な人材。有能な経営者)」という式である。この「Y=C + I」の数式は、イギリスの大天才経済学者のジョン・メイナード・ケインズが作った ※引用者加筆.

羽生辰郎氏が『マックス・ヴェーバーの犯罪』(ミネルヴァ書房、2002年)という本でヴェーバー学問のインチキさを暴きました(中略)ヴェーバーはルター訳の聖書さえ読んでいなかった(中略)羽生辰郎は、ヴェーバーの主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904〜1905年)において、その論拠にした資料が詐欺的に操作されている、と証拠立てたのです。この業績で『マックス・ヴェーバーの犯罪』は、2003年の山本七平賞をもらった(中略)トルストイはお金にまったく困っていない超大金持ちです(中略)人類学というのは、当時のヨーロッパにたくさんいた下層の人々のことを研究する学問として始まった(中略)初期の左翼知識人たちは、労働者たちのことを憐れんで、何でこんなみじめな人生を送っているんだろう、と同情しました(中略)大経済学者のジョン・メイナード・ケインズ(1883〜1946)が書いていました。「社会の存続基盤を転覆する上で、通貨を堕落すること以上に巧妙で確実な方法はない」こういう、ものすごいことを言いました。資本主義を滅ぼそうと思ったら、通貨を堕落させればいい、と言うのです(中略)MMT理論は、経済学のふりをしていますが、正体は会計帳簿の理論(中略)政府はどれだけ負債を抱えてもいい、という理論です。これは、いつか破綻する(中略)MMTの根本には、インフレにならない限り、財政赤字はいくら抱えても大丈夫だ、という思想(中略)これでは、ハイパー・インフレへの対策がとれません

「目的合理的」とは社会学のマックス・ウェーバーが提唱した概念で、ある目的を目指し、結果を得るためにもっとも適切な手段を取ることを意味します。これと対置されるのが「価値合理的」。 結果はどうであろうと、自分の信じる正義や信条などに準じて行動することです(※ウェーバーは「資本主義はプロテスタントたち、とくにカルヴァン派の勤勉な思想から生まれた」としたものの、実際は資本主義はジュダイズム、ユダヤ人の思想であると副島氏は指摘。さらに世界中の社会学者はマックス・ウェーバーの著作を聖典とし神棚に飾っているといわれる。金持ち、資本家になれるのは、ごく一部の人間だけだ。世の中の大半(大部分)の人は、労働者か農民として貧乏なまま死んでゆく。このように言わなければいけないと。ちなみに宗派の創始者のジャン・カルヴァンはユダヤ人。カルヴァン派とドイツ農民魂のルターは戦っている。同じプロテスタントなのに戦争までしていると。マックス・ウェーバーはルターが嫌いでフランスとスイスの国境の都市に君臨したカルヴァンのほうが好きだったようだ『マックス・ウェーバーの犯罪』山本七平賞受賞が良書とされている)───元財務省官僚 山口真由弁護士(著署名失念)※引用者加筆.

(※マックス・)ウェーバーは画家のジュール・フランドンを伴ってピカソのアトリエを訪ね、パネルに描かれた小さな静物画と 「恋に落ちた」。ウェーバーは一銭の持ち合わせもなかったにもかかわず、この絵を買おうと申し出た。そして値引きを期待し、あわよくばプレゼントしてもらおうという魂胆から、しつこくせがむ調子の手紙を送る。このときばかりはピカソも相手の思いどおりにはならなかった。ウェーバーはピカソの絵を持たずに帰国の途に着く(中略)ニューヨークに戻ったウェーバーは、ピカソ、マティス、アポリネール、そしてルソーと顔見知りであるというだけで、予言者として遇される。※引用者加筆.

失業率が上がると家庭内暴力の発生率も上がる(中略)さまざまな研究が、前頭葉が認知課題に懸命に取り組むと、直後に人は攻撃性を増し、共感と寛容さと正直さが減ってしまうことを示している。前頭葉が「くそ、もうどうでもいい。疲れたから、仲間の人間のことなど考えたくない」と言っているようなものだ

ケインズは主著である『雇用、利子、貨幣の一般理論』“The General Theory of Employment Interest and Money, 1936” (初版1936年刊)という本を書いた。この本だけが、経済学にとって唯一、偉大な本である。あとに表れたアメリカ経済学の本たちは、全てこの本からの派生であり真似本である。ケインズの『一般理論』が出版された1年後に、ケインズと同じイギリスのロンドン大学の講師だった、当時33歳の(※ケインズの式を悪用した)ジョン・ヒックスが④の I・S = L・Mという式を作った。この I・S = L・Mの式は、いまでも日本の上級職の公務員試験の「経済学」の中心で王様だ(中略)「 I・S 」というのは、財市場(グッズ、ものの市場)での均衡モデルを表している。「 L・M 」というのは、金融市場での均衡モデルである。それを総合して、複合的な均衡モデルを組み立ててある。ケインズが示した(本書P68の文の中)「総需要関数と総供給関数の交わる点Dの値を有効需要(エフェクティブ・デマンド)と呼ぶことにしよう」をそのまま使ってある。ほんの思い付きで作られた。(※ケインズの)Y(※もの)=M(※お金)の式をヒックスが、自分の思い付きで I・S (※もの)= L・M(※カネ)と書き変えただけの方程式なのだ。この時から理論(あるいは数理)経済学の暴走が始まった(※この時から経済学がお経となった)(中略)(※ヒックスのI・S = L・Mは)アインシュタインの相対性理論(1905年)と同じで、当時「これで宇宙の謎が解けた」と大騒ぎになった。あのE=mc²の式と同じだ。「E(エネルギー)は、m(質量(マス))かけるC(光速度)の2乗である」と読む(中略)ケインズは、「私の式は均衡しない」と言った(中略)ヒックスは、このケインズの発言に恥ずかしがって「いや、これはちょっとまずい」と、自分の「I・S = L・M曲線」を撤回して取り下げた(中略)現在では、この式(※ケインズの式を悪用したジョン・ヒックスの I・S = L・Mという式)はものすごく煙たがられており、アメリカの大学院では教えないことになっている。ウソ八百の大理論だったことがバレてしまっているからだ(中略)これは、ケインズが一番嫌ったまさしく“セーの法則(※従業員の賃金を減らし製品が売れる値段にまで価格を下げれば作ったもの、製品、商品は必ず売れるというライプニッツの唱えたオプティミズム、秩序は必ずある。市場は放っておけば必ず均衡する。ものごとは必ず秩序正しく落ちつく処で定まる。それが神の意思だという考え)” の復活そのものである。ケインズは「貯蓄は全て必ず投資に回される」という “セーの法則” を否定した(中略)現実の世界では作った商品は売れ残る。ものすごい量で売れ残る。作っても売れない(中略)だからケインズはこの「余剰がどうしても出る」から「セーの法則」をひっくり返したのである。これがケインズ革命だ。ケインズの偉大さだ(中略)(※マーシャルより40歳下の弟子がジョン・メイナード・)ケインズのY(※二つの複合関数)=C+I(※国民需要=有効需要)の式で、I(※総供給関数、投資、研究開発費、有能な社員)は定数であるのだが、元は「投資(の)関数」(中略)定数であるIは、関数の一種だ、とも考える(中略)C(※総需要関数)は消費関数であるのだが、YがC(国民生産)を決める。と同時に、CがYを決める。YとCは互いに作用しあって相互関連(中略)全てはY(※儲け)=Mの式の形(中略)限界消費性向(マージブル・プロペンシティ・トゥ・コンシューム marginal propensity to consumu)という考え(中略)これを「0・8」という数字にすることにだいたい決まっている(中略)Yが1兆円増えれば(財政政策、積極財政で)、消費関数(C)も「0・8」増える。それでC=0・8Y と書く(中略)Yが0・8兆円増えると、Cはさらに0・64兆円増える(中略)マーシャルのM=k p Yの式では、kは係数である。比例定数あるいは媒介変数(パラメータ)とも言う(中略)(※LSEで学んだ左翼のピケティの)r(※資本収益率)とは「金持ち儲かり率」のこと(※金持ち儲かり率は常に歴史的に国民全体の成長率よりも大きい)(中略)(※マルクスの)X(※会社の儲け、商品の価値)=C(※工場や設備と、労働者の経費)+N(※有能な労働者が生み出す剰余価値)も、その裏側にY=Mが隠れている(中略) C(※費用、コスト、経費)+I(※研究開発費への投資)の辺は、そのまま、=M(中略)C=C(Y)(中略)数学という学問のインチキ部門、闇の部分が統計学と確率論(中略)悪名高い金融工学(ファイナンシャル・エンジニアリング)というのは、確率部分方程式でできている(中略)上級ラテン語を話せない者は神について語ってはならない(※ローマン・カトリックの話)(中略)(※リバータリアンの源流フリードリッヒ・)ハイエクは経済学のインチキを見抜いた(中略)ポール・クルーグマン教授が、「私を含めて馬鹿でした」と大反省(中略)クルーグマンたち古典派は、発生した失業は、瞬間的に、費用もかからないで解決する(次の職がすぐに見つかる)、と考える(中略)ミルトン・フリードマン(※シカゴ大教授)が “マーシャルのk(※マネーサプライのM) を「歴史的に2%ぐらいだ」として定めたもの ※引用者加筆.

金利が上がるということは、利払が増えるので景気が悪くなる、ということ(中略)値段を半分にすれば必ず売れる。それでも売れなければ、労働者の賃金を半分にすればいい。必ず商品(生産物)は売れる、と(※「セーの法則(古典派経済学)」の19世紀のフランスの経済学者ジャン=バチスト・)セー Sayは言った。ところが、もうそんなことはない。今やあらゆる形の過剰生産(サープラス)が人類の苦しみの中心なのである。ケインズがこのことを見抜いた(中略)最後に過剰人員(人余り)になった。これらのすべてを、英語でたった一言、「サープラス」surplus と言う。最後に余ったのは人間なのだ。さあ、どうするか。ケインズは、このサープラスを発見したことで、カール・マルクスの思想を超えた、のである。このことを知っている日本知識人はほとんどいない  ※引用者加筆.

マルクスは一度も定職につかなかった。「私はどんなときも、自分の目的を追求しなければならない。ブルジョワ社会によって、金もうけのための機械に変えられてしまってはならない」一八五九年、マルクスはそう書いている(じつはこのあと鉄道員の仕事に応募するのだが、採用されなかった。理由は字が汚くて読めなかったからだ)。定職につくかわりに、マルクスは友人や共同執筆者のフリードリヒ・エンゲルスから定期的に金を送ってもらっていた。エンゲルスはその金を父親の織物会社の金庫からくすねていたが、マルクスは金銭管理能力がなく、せっかくの金をすぐに無駄使いしてしまった。「金についての本を書いた者で、こんなに金のない者は、いままでいなかったと思う」と本人も書いている(中略)結局マルクスは二十年間苦しみながら、やっと『資本論』の第一巻を完成させ、残りの二巻を完成させる前に死んでしまう。

日本国民の大切な年金をつぎ込んで、GPIF(Government Pension Investment Fund 年金積立金管理運用独立行政法人)という政府自身が、国民のお金でバクチを張っている。190兆円ぐらいの金融バクチを張っている(中略)株価が釣り上がっているときはいいのだが。これが暴落相場になってアメリカNYで金融恐慌が始まったら、このGPIFもボロボロに大損する。そのときは日本の老人たちの年金も半分ぐらいに減らされるだろう。今でさえ、1年に0・4%減額だ。毎月6000円、年間7万円ぐらいが前年に比べて減らされている(中略)債権(ドイツ語でシュルド)というのは、相手に対する請求権のこと(中略)それに対して債券のほうは、その請求権(債権)が、紙切れの上に乗っかっている(化体と言う)もので、市場で売り買いされる。それが債券(ボンド)だ

経済(学)とは政府がお金を作って配るだけ(中略)この大きな真実に、ケインズとハイエクは、1930年にさっさと到達(中略)ケインズは、「失業している多くの労働者に、何とか職を与えることが、経済学にとって一番大事な問題だ」という考えに立った

ケインズも株式市場なんてカジノでしかなく、事業投資を決める役には立たないと主張(中略)この発想はすでに第二次世界大戦前に確立

目先が効く人間、要領のいい人間、立ちまわりがうまい人間は、どんどん逃げて行きます(中略)本当は逃げようと思っていたのに、逃げ遅れて、必然的に置き去りにされた時にチャンスがまわってきます。

逃げ遅れたからこそ、海外富裕層の嗜好、外国語、ホスピタリティを学ばなければならず、それは結果的によかったのかもしれない。たとえ外国で働く(出稼ぎ肉体労働、重労働に従事する)ことになっても、自分の健康を整えることはプラスに働くかもしれない。皆様にお返事する時間はないのですが、「マインドウィスパリング スペース 調べたいワード」でnote内検索していただければ、詳しく検証した記事が見つかると思います。

関連リンク↓

https://note.com/wandering_1234/n/n7dca1226c49a




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