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ことばと文化 鈴木孝夫著 を読んで

先日、「鈴木孝夫の世界 第一集」が面白くイッキ読みしたのだが、この本の中で「ことばと文化」が何度か登場したので、久しぶりに読んでみることにした。

大学時代、鈴木先生の講義のテキストになっていたので、もちろん持っていたが、会社の後輩に言語学を学んだ人がいて、しかも読書好きだったので、嬉しくなって貸した本だった。
結局、後輩はパラパラめくって「これって、言語学じゃないですよね。」と、なんとも後味の悪い言葉を残して持ち帰り、結局借りパクして辞めていった。
この本の良さが伝わる人の手に渡っていることを祈るばかりだ。

というわけで、気まずい思い出になってしまった本だったが、心機一転、新しく購入して読むことにした。

50年近く前の古い本だが、注文からすぐに手元に届いた。早速、発行日を確認すると、2021年3月5日第81刷発行とあり、やはり人気の本だと思った。

言葉と文化が深く関係していることを、色々な身近な例を用いて説明している。
もちろん、言語学の本なので専門用語が出てくるが、簡単な言葉で説明しているのでわかりやすい。

どの項も面白いのだが、印象的だったのは、イギリス人と日本人の犬に対する考え方だった。
日本人は犬が飼えなくなると捨てるが、イギリス人は犬が飼えなくなると飼い主の手で安楽死させるさせるという。イギリス人は日本人を残酷だというが、どちらが残酷なのかということ。
これは、一つの例だが、このような文化的違いがたくさんあるわけだから、言葉にも身近すぎて気づいていない違いがある。

例えば、自分の呼び方を挙げると、欧米の言葉は、英語で言う「I」しかないが、日本語は相手によって変わる。職業だったり、家の中の役割だったり、相手が上か下かだったり。
生徒には自分を「先生」といい、自分の子供には「パパ」と言ったり、また、迷子になってる子供に話しかけたりするときは、「おじさん」と言ったり、自分の恩師には「私」という。

日本人は、常に相手と自分の関係を決定してから会話を始める。素性の知れない相手とは、相手と自分の関係が出来ず、安定した人間関係を組むことが難しい。素性の知れない相手で最も当てはまるのが、外国人。だから、話しかけられると、心理的不安定な状態から脱出しようとする。おどおどしたり、逃げ出したり。

日本人は相手の出方、他人の意見を基にして、それと自分の考えをどう調和させるかという相手待ちの方式が得意のようだ。
「察しがよい」「気がきく」「思いやりがある」の表現は、日本語の褒め言葉だけれど、ヨーロッパ語では翻訳しにくい。これは自己同化であり、日本人の美徳ですらある。
そして、このような態度は、相手が日本人の時のみ有効に機能するが、外国人には機能しない。

日本人が、国際会議でも実力の割に遅れをとるのは、語学力というより、自分を言葉で表現する意志の弱さ、自己主張の弱さに原因の大半があるのではないかと。

私が、この本で講義を受けていた当時は、必死に専門用語を覚えていた気がするが、この時期に、こうして読み物として読み返してみると、また違った発見があった。

ある程度の思いやりの文化は、世界が見習ってもいいんじゃないかと思った。
自己主張ばかりでは、ぶつかることも多い。
相手の気持ちになって行動できる文化で暮らすことができるのは、むしろ誇らしいことではないかと思えてきた。

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