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"生き残った"一年~うつの大学院生の回想~

こんにちは。はじめまして。私の記事を読んでくださってありがとうございます。私は適応障害とうつを患っている大学院生です。もし似た境遇の方であれば互いに共感し合い、そうでない方もこういう人がいるんだと思ってくださるとうれしいです。

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気づいたら12月も後半になっている。私は不思議な気持ちでカレンダーの数字を追っていた。

この一年を振り返ろうと、自分のnoteの記事を読み返した。

命を削って創り出した卒業設計。評価していただいた先にあったのは、優秀作品集の掲載、そして自分がいたのは卒業設計の欄ではなく、"スクラップボックス"の中。

新学期の足音に怯えて、それでも時間に腕を括られて迎えた大学院の入学。専攻の課題、就活の文字が色鮮やかに大学の廊下を彩っていて私は目を覆った。

就職ガイダンスで伝えられた、企画力、コミュニケーション能力の向上。文字も読めない私に創造して誰かに伝える術が考えつくことはなかった。唯一私が自分の武器だと大切にしてきたそれまでの学校の成績-努力-は、鼻で笑われた。大事なのは外でどう活躍していたかだった。今までの4年間は、ここまで私を形成してきた人生全て全て無かったことになった。

努力が取り柄ならできるだろう?この言葉が大きく反響する。

価値を失った。元から努力に意味をはき違えていたのかもしれない。社会の波に押し流されて今いる場所がどこなのか分からない。先は、闇。周りを見れば、強かに邁進する友人たち、同期の走り出す音が響いていた。

終わりにしたい。価値のない、この世に生きる意味を見出せない私はもうこの先の日にちを歩いていくことはできない。そうして初夏、私は薬の服用自殺を図った。

死ぬのに量が足りなかった私は生き残ってしまった。死にたい、私はこの言葉を抱えて通り魔のようにSNSで叫んだ。すると友人たちや先生、両親が手を握ってくれた。時には一緒に涙を流してくれた。生きていてほしい。酷く難易度の高いことを望まれた。でももう彼女たちが私の為に泣いてくれる姿は見たくなくて、生きようと言った。

そして訪れたのは、緊急入院。体が少し遅れて悲鳴を上げた。襲い来る身体的苦痛に苛まれたが、それ以外のことは何も考えなくてもいい、病気のことだけで病院のベッドで毎日が埋められるこの生活は、私にとって楽だった。

心と矛盾して体が生きようとしているのを感じるのは、言葉には表現できない不思議さを伴った。久しぶりに太陽の下に出た私は、これまで生きてきた中で一番生きていることを実感した。

私は心も体も壊したことから後期からの休学を決めた。決めてしまえば、私の心は浮上した。まっさらなスケジュールに、今までやってこれなかったこと、友人との遊ぶ約束、旅行を詰めに詰め込んだ。そうして沢山笑って思い出をつくって、そうして帰ってきた場所は元と同じ小さなワンルーム。

外に出る機会が徐々になくなる。LINEの通知の数も減っていく。当たり障りのない言葉を投げかけてみても、返信ははるか遠く月を跨いで届いた。皆のスケジュールは大体把握している。院の課題、ゼミ、就活、研究、社会人の友人たちは当然働いている。私には、何もない。何もなかった。

またなぜ生きているんだろう。ずっと頭の片隅にあったことが顔を出した。皆が頑張って生きているのになぜ頑張れない?本を読もうとしてもつるつると目の上で滑って内容が頭に入ってこない。そんな状態で勉強はできなかった。教科書に触れることも恐怖だった。クローゼットでスーツを見るたびに吐き気がした。一歩踏み出し着ようともしない自分が心底嫌いだった。

空白の日々を過ごしていく。時間が過ぎるたびに今生きていることに意味なんてあるか、と問うた。なんの生産性もない。誰かを手助けできるようなこともできていない。ただ、都会のワンルームで座っているだけ。

無気力だった。何もしようともしない私を刺し殺したかった。だから、今度こそはさよならを告げたいと思い始めた。

最後の挨拶と、母に電話をした。「こんな娘でごめんなさい」。返されたのは「大好きよ」。何度も何度も名前と大好きを繰り返し伝えられた。服に水たまりができた。

母の愛を感じた。裏切れなかった。母を泣かせるわけにはいかなかった。私は生きるしかなくなった。



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死にたがり、そう揶揄されても当然だろう。私は死と親友のように毎日共にする一年間を過ごしてきた。今もそうだ。死という言葉が抜けることはない。私は強くない。他人に迷惑をかけながら死を考えて止められて、そうして気づいたら生きた状態で12月まで存在していた。

そんな中、大学内で再び訪れた卒業設計の季節。私は一人の後輩からお手伝いをお願いされた。私は頷いた。私は彼女が友人として大好きで、信頼もしている。私がこの状態になっていることを詳しく知っている唯一の後輩だ。だから彼女の力になりたかった。

お願いされたのは、紙面上の図面のデータ化。装飾でふんだんに彩られる図面は、私がこれまで書いたことの無いほど繊細だった。

私は意を決してパソコンを開いた。私が卒業設計をしてから一度も開いたことの無い製図アプリを開く。大学時代からずっと見てきた濃いグレーの二次元の世界が広がる。

私は手計算で出した縮尺を元に、一つ線を引いた。書ける。線を伸ばし、繋いで、切って、曲げていく。徐々に記憶が呼び起こされて、私のタイピングとマウスのクリック音は徐々に騒々しくなっていった。

しんとした頭の中、頭がフル回転している。この感覚は以前の"頑張れていた"私の感覚と近かった。水面が一切波立たないような集中力が生まれていた。

文字が読めなかった。酷いとドラマや動画一本見ることもできなかった。何も続かなかった。それなのに、私の手は図面を書いていた。

本当に不思議だった。自分でもなぜこんなにも突然集中できるようになったのか分からなかった。ただ現役でやっていたころよりは当然長くは続かず、三日に1回は寝込みベッドから出られない日があった。しかしやらなければと奮起してパソコンの前で意を決すると、いろんな感情で溢れかえって泥のようになっていた心がすっと静かに水の中に沈み、死ぬ生きるの考えは遠い問題として、私の頭の中はパソコン画面の中全てになっていた。

図面を書き終えて、少し熱い頭を保冷剤で冷やした。その時、まだ私にはこれだけの力が残っていると噛み締めていた。そして、純粋に楽しかった。生きるのを終わるには惜しいほど、私にはまだ力がある。

弱い自分も私だ。世の中すべてに適応できないことに絶望して暴れて悲しみ自分に価値がないと言いつける私も一部だ。一緒に生き続けている。

でも一緒でも、できることはできた。まだアクセルとブレーキの踏み方も分からずプスプスと煙を吐きながら不安定に進むぼろだらけの車のようだけど。弱い私、けれど一つ前に進むことは大きかった。

"頑張れない"私に価値はない。ずっと私の心に大きく貼られた言葉だ。でも常に頑張ることが普通だった。そうでなければ私ではないと思っていた。しかし頑張れない時期が長かったから、今頑張ることができた、図面を書くことができた、それが今まで以上にきらきら輝いていた。普通に戻ったと、頑張れない私を蔑み続けるのではなく、頑張ることのできた私自身に私は笑った。

中島美嘉さんの『僕が死のうと思ったのは』で歌われていた『死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きることに真面目すぎるから』。この言葉に救われたことを思い出した。

心療内科の診察で、「良かった」とカウンセラーの先生も精神科の先生も笑ってくださった。穏やかな笑みだった。でも加減を大事にね、と注意をいただいた。

後輩には心から感謝している。偶然だと思うが、休学明けに旅行へ誘ってくれたのも彼女だった。学部のときからそうだったが明るい彼女の笑顔で私は笑顔になれた。そうして今私を信頼して卒業設計を頼ってくれた。それ自体も本当に嬉しかった。そのおかげで私はまだ生きる力が残っていることに気づかされた。

これからまた不安定な心と死にたがりなもう一人の自分に引き込まれることが何回もあると思うが、また図面を書くことができたじゃないか、ただそれだけの言葉が、経験が、自分を救うことも何回もあるだろう。

そして私は恩返ししたい人がたくさんいる。改めてこれまでの文章を読んできて、私はどれだけの素敵で優しい人たちに信頼され愛されたかを実感した。私にはもったいないほどの愛を貰った。私はいまだに自分の長所を聞かれると言い淀むが、人と出会う力にはふんだんに恵まれていると思った。彼ら彼女らの恩をもらいにもらったまま消えるのは失礼だ。だから、たくさんのものを返していきたい。

また自分がこの人生で適応障害になって地べたにたたきつけられ続けて見えてきた世界がいくつもある。知らなかった人の苦痛を知った。だからこそその人たちに寄り添えられるようになりたい、それくらいに強くなりたいとも思うようになった。どうすればいいのかなんてわからない。でもこれから一生考えて生きたい。できることがあるならばしたい。誰かが自身のことを価値がないと考えてしまうことほど苦しいことはない。そういう風にならないように、またなってしまったとしても私の助けてくれた人々のような方が増えた世界になるといいと心から思っている。


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私の一年間を、つらつらと書き連ねてみました。皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか。同じような状況にいらっしゃる方、一年乗り越えましたね。今年も生きたことにお互いよくやったと称えあえればと思います。そうでない方も、一年本当にお疲れ様です。どうかご自身を労わってください。

心の風邪と呼ばれる適応障害やうつ病などといった精神疾患は、風邪のようには治りません。長い時間をかけて癒すものです。再び風邪をひいてしまうことも十分にあり得ることだと思います。私も何だかんだ言いながら一生死にたがりの私と一緒に生きていくのかもしれません。

そんな辛いことが起こってしまうことを事前に防ぐことができれば一番ですが、どうしても風邪を引いてしまう人は出てきてしまいます。その時に、その方を許容してくれる環境にいることが一番だと感じます。

世の中全体がそのようになってくれるのを心から祈っています。

皆さん、よいお年を。

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