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諦めるってそんなに悪いことでもない#23

こんにちは。わくわくらすです。
【わくわく+暮らす】をモットーに生きている20代社会人です。自分の好きや日常を形にしたくてnoteを始めました。


夢を叶えられる人間なんてほんの一握りしかいない。

そんなことを考えたことはありませんか?

私の幼いころの夢は学校の先生でした。小学校の頃の担任の先生に憧れたのと、自分がずっとやってきたスポーツを子どもに教えたいという思いがありました。すでに退職はしていますが、最近まで中学校の教師をしていました。そういう意味では私は夢を叶えた人間だったのでしょう。とてもありがたいことです。

教員になりたくてなった私は、日々の仕事に充実感を持っていました。もちろん苦しいこともありましたが、教員は私の夢なんだ、夢の職業につけたんだから少しくらい大変でもいい、くらいは思っていました。

ある研修会に参加した時のことでした。その研修である教師の授業を拝見しました。教科は道徳、テーマは「将来の夢」だったでしょうか。教師は問いました、「あなたの夢は何ですか?」生徒役の教師が様々に答えます。スポーツ選手、ケーキ屋さん、教師と答える人もいました。すると、授業者が声をワントーン落としてこう言ったのです。

夢って”職業”のことなんでしょうか?

場が水を打ったように静まり返りました。そこからどういう風に授業が進んだかはあまり覚えていませんが、私は夢とは何かになることだと思っていたのだなと実感しました。

退職した今だから言えることですが、私の夢は教員になった時点で叶ってしまいました。教員になってやりたいことがなかった。スポーツを教えたいというのも部活顧問になったことで満足している自分もいました。だから、苦しい時期は乗り越えられなかったのかと思います。


私にとって、教職を退職したことは大きなコンプレックスになりました。同い年の人たちは今頃、職場でうまくやっててプライベートも充実していて、良い人生を歩んでいるんだろうなと。私は今から無職か、という気持ちでした。

そんな私の気持ちが晴れる一助となったのが、為末大さんの「諦める力」という本を読んだ時でした。

その本では、元々「諦」という字は「物事を明らかにする」という意味を持っているということを紹介していました。また、諦めるというのは良くない印象があるので、「諦める」のではなく、「できないことが明らかになった」と捉え、「選びなおす」という風に考えたらどうかと。

私はこの「選びなおす」という表現に胸を撃たれました。そうか、私は夢を選び直すんだ、と。


本の中でノーベル賞を受賞した山中伸弥先生の逸話もありました。山中先生は元々整形外科医であったこと、同期が20分で終わる手術が2時間かかったこと、当時の指導医にお前は山中じゃない、邪魔中だと言われていたこと。

山中先生は夢を選び直して、ノーベル賞を受賞したこと


うん、諦めるって悪いことばかりじゃないのかも。

いつか胸を張って、選び直した夢も悪くなかったよ、と言いたいな。

お読みいただきありがとうございました。

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