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「仕事で自己実現する」という物語(と、それができない人が暴走しがちな問題)を因数分解して考えた話

さて、今日は昨日の「働く」ことについての議論の続きだ。

阿部真大は、現代の労働市場の「やりがい搾取」への処方箋に仕事の「役割」、つまり社会的な使命への再評価と啓蒙を主張する。阿部は『職業社会学』を確立した尾高邦雄の「職業の三要素」を「生計の維持」「個性の発揮」「役割の実現」を引用する。「やりがい搾取」とはこのうち「個性の発揮」への欲望を悪用した労働者に対する搾取だというのが、阿倍の位置づけだ。実際にその人でなければ果たせない「個性の発揮」としての仕事はなかなか存在しない。そこで、結果的にその職場という共同体の中での承認がその代替物として浮上する。つまり「お前がいないとこの職場はダメなんだよ」という物語がそこで有効に機能してしまう。この心理的なメカニズムを悪用したのが「やりがい搾取」で、経営者が長時間低賃金労働を従業員に強いるための手法として定着している。

では、どうするか。阿倍の処方箋は「役割の実現」つまりその仕事の社会的な価値の再評価(啓蒙)と、それを主張するための会社感を超えた労働組合の再編だ。僕はこの阿倍の主張を強く支持する。特に職業別組合の再編と強化は、この国の硬直化した政党政治にもポジティブな変化が期待できるだろう。

さて、その上で阿倍の戦略を実行する上でのハードルが、そもそも社会的な「役割」を実感できる仕事がそれほど多く存在してはない、という問題だ。これは前述した「自分らしい」仕事の現象と全く同じメカニズムだ。つまり、「自分らしさ」が実現できる仕事が一部のクリエイターや経営者などに限られ、労働者にはあまり当てはまらないのと同じように社会的な「役割」を「実感」できる仕事は少ない。もちろん、どのような仕事にも社会的な「役割」はある。しかしそれが実感できるかどうか、は別問題だ。Dr.コトーは毎日嫌でもその「役割」を実感させられるだろうけれど、クラウドソーシングの伝票整理でそれを実感するのはなかなか難しい。だから阿部は社会的な「啓蒙」や労働組合による「連帯」によって、その「実感」を得やすい環境を主張し、その考えには僕も全く同意するのだけれども、その有効性をもってしても、そもそももの産業構造の変化によってほとんどの仕事において社会的役割が「実感しにくくなる」という現実はどんどんどん進行していくという問題は解決しないだろう。

メディア論の立場から述べれば、SNSプラットフォームとは「仕事」を介さない社会的な自己実現の場として機能している。政治的言説が過激化し、それが「何者でもない」人々にとってもっとも低コストな「役割」の確認だからだ。

では、どうするか、というのが今日のテーマだ。結論から述べると阿倍の戦略、つまり仕事の「役割」を再評価することーーに並行して、仕事の「個性の発揮」としての側面にもメスを入れることだ。

要するに「仕事で個性を発揮」するのが正しいと教えられても、それが実際には出来ない。だからそこに共同体の中での承認(職場の人間関係での承認)が代替し、それが経営者に悪用されると「やりがい搾取」になるのだけれど、僕はこの「個性の発揮」は一度「仕事」から切り離したら良いと思う。そもそも僕は「個性の発揮」という表現はあまり好きじゃない。個性とは意図的に発揮するものではなく、結果的に染み出してしまうものだからだ。しかしものを「つくる」ことの楽しさや、世界に関与している実感を得るという回路はよく分かる。

この制作の快楽はSNSの承認の交換ほど即効性がなく、感じられるようになるためにもスキル(制作のスキル)が要るが、一度覚えると逆に中毒化して手放せなくなる。これは「やりがい搾取」や職場での人間関係への奉仕への防波堤にもなるし、SNSでの安易な承認の交換の快楽を相対化することもできるだろう。

では、この制作の快楽を知るために何を用いるべきかーー。いま、僕が考えているのは「生計の維持」としての職業、つまり「労働」だ。

そもそも尾高の「生計の維持」「個性の発揮」「役割の実現」はハンナ・アーレントの『人間の条件』に登場する人間の活動の三分類「労働」「制作」「行為」に相当する。逆に考えれば、尾高の三部類はアーレントが切り離した「制作」「行為」の要素が現代的な労働には既に包摂されていることを示している、と言えるだろう(阿部によればこの視点から、労働社会学においてアーレントはしばしば批判されるという)。

その上で、僕が考えたいのはアーレント的な「労働」を、つまり「生計の維持」に特化した活動の中で、「制作」の快楽を覚えていくというものだ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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