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先住民のスピリチュアルな島と日本人・・・お散歩写真

First nation (先住民)のスピリチュアルな島である「Saysutshun 」。カナダの西海岸の1周4時間程度でまわれる小さな島は実は日本人とも関係しているのです。そんな「Saysutshun 」(セイストゥシュン?島)の歴史の断片を感じながら、島を歩いてみました。よかったら、「聖なる島を歩く4時間の旅」「夏に必ず行きたくなるスピリチュアルな島」も見てもらえると嬉しです。

先住民の島から産業の島へ

この島はもともとは先住民の人たちの埋葬のための島であり、競技や儀式を行う前に海に入って身を清める場所であったり、冬から春にかけてニシン漁やサケ漁をするために過ごす場所であったり、薬草を取る島であったりしました。

ところが1850年代になり、ヨーロッパ系の入植者によって炭鉱が発見あれると、炭鉱業が始まり、さらに良質の砂岩が取れるということで石切りだし場などが作られ、産業の島になっていきます。

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       この東北の海岸は岩盤の海岸。

日本人経営の工場もあった

そして、なんと1911年から1941年にかけては日本人移民者もこの島にブリテッシュコロンビア州最大と言われるニシン缶詰工場を作り、繁栄していました。さらに1918年には日本人による造船・修理工場もでき、こちらも順調にビジネスを1941年まで発展させていました。

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工業からレジャー産業へ

一方、炭鉱や砂岩切り出し産業は徐々に衰退していき、1930年代になるとThe Canada Pacific Railway (カナダ太平洋鉄道)によって富裕層向けのレジャー開発が行われるようになります。この時に建てられた💃ダンスパビリオンは現在も建物は残っています。プライベートビーチ、ティーハウス、当時珍しい水洗トイレ、船を利用した水上ホテルもありました。バンクーバーからの日帰り旅行ツアーも人気だったようです。

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    島の北海岸の高い切り立った崖から見える大海原

レジャー施設から市民の海洋公園に

このレジャー産業は第二次世界大戦後しばらく続きますが、その後ナナイモ市に売却を経て、ブリテッシュコロンビア州に海洋公園にすることを条件に売却され、今日に至っています。

日本人の功績とその後

さて、日本人が興したニシンとサケの缶詰工場は、1912年に不審火によって当時あった4つの工場に多大な損害が出ました。それでも復興しました。当時の日本人、差別意識も強かっただろうし、英語も大変だったろうし、強いですね。

Mr.Oburi, Mr.Mase. Mr.Shinobu. Mr.Makino の4人の関係者の名前がありました。また、1918年、T.Matsuyama とThe Ode 兄弟がNanaimo Shipyard. Limited. を設立したという記述が、いずれも英語版ウキペディアにありました。

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   かつて日本人経営の缶詰工場跡か造船修理工場の跡。

ここで1941年まで日本人がビジネスをしていたということで気づかれた方もいると思いますが、1941年、カナダに住んでいた日本人ルーツを持つ人は、「敵性外国人」としてカナダ生まれの人も市民権を持っている人もはく奪され、財産も没収され、収容キャンプか帰国の選択を迫られました。この島の日本人のビジネスも彼らの財産とともに消滅したのです。

カナダの中の日本人の悲しい歴史です。

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  西海岸から見えるナナイモの町。

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   西海岸側には入り江があって砂浜もでてきます。

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     ようやくハーバーも見えて、ほっとして一服。

この島は200年あまりの時を経て最近では「New Castle Island」と言う呼び名から「Saysutshun 」と呼ぼうとしています。地元の人に愛され、誰でも開かれ、美しい自然に畏敬の念を感じずにはいられない大切な島として、人々に愛されています。ファーストネーション(先住民)の人たちによる管理と保護に運営も戻り、生き生きとしています。

あなたもカナダのバンクーバーに来たときはちょっと足を延ばして、バンクーバー島へ、そして美しい聖なる島「Saysutshun 」に来てみてはいかがでしょうか?きっとその美しさに夏の輝きを思い切り感じるでしょう。

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