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〔翻訳〕昭和20年7月24日橋本空襲編(一部¥)

▼このページでは、1945(昭和20)年7月24日朝、省線和歌山線橋本駅構内を機銃掃射した「米海軍艦載機」の特定を試みます。例によって無用な軍事知識の披歴はせず(今回は少し専門用語の説明が必要なので最小限に…)、また戦争にまつわる思想的な価値判断は避け、これを調べることによって管理人の見識が深まりましたという立場から記述します。
▼当日の被災者側の口述が一様に「グラマン」「艦載機」で一致していることや、記念碑に「米軍艦載機」との表記があるので米軍艦載機を主軸に、念のため英海軍艦載機と米陸軍航空軍戦闘機にも調査の幅を広げました。


1.日本側の史料

(1)旧日本軍史実調査部『第二次世界大戦略暦(乙)』
▼敗戦後に編纂された日誌のようなものです。7月24日前後1週間の状況を引用します。

■十七日
敵Kd.B関東来襲、日立、多賀艦砲射撃を受く
B29平塚、沼津、桑名夜間来襲
■十八日
Kd.B前日に引続き関東来襲 布良砲撃を受く
大鳥島Kd.Bの来襲あり
■十九日
B29関東、東海、近畿に、小型東海、近畿に大挙来襲
■二十日
小型豊橋、岡崎に来襲、幌延艦砲射撃を受く
■二十一日
■二十二日
布良沖にて我船団敵水上部隊の攻撃を受く
幌延砲撃を受く、上海方面大型×一〇〇の空襲を受く
■二十三日
敵父島に対し艦砲射撃を実施す
■二十四日
敵Kd.B西日本来襲、B29大挙阪神、名古屋来襲
上海地区二五〇来襲
呉における艦船の被害甚大
■二十五日
Kd.B西日本来襲、串本艦砲射撃を受く
■二十六日
米英支対日「ポツダム」宣言
■二十七日
■二十八日
敵Kd.B再び西日本来襲、P51二五〇関東、B29×四〇〇青森、宇和島、名古屋来襲
■二十九日
野島崎方面及新宮方面敵艦砲射撃を受く
■三十日
敵Kd.Bは関東、東海、近畿来襲、浜松付近艦砲射撃実施
■三十一日
敵清水方面砲撃実施

(2)内務省警防室『空襲被害状況報告』
▼7月24日当日に作成されたものです。

昭和二十年七月二十四日
防空情報 正午現在
内務省警防室

其の一
二十四日午前五時頃より午前九時頃迄の間、敵小型機を主とする延約七百機は東海、近畿、中国、四国、九州の各地区に●●(判読不能)来襲せるが、現在迄に判明せる被害状況左の如し。
一.東海地区 (省略)
二.近畿地区
(1)大阪府
イ 午前七時五五分頃、枚方工場、中央工場付近に爆弾数個投下。死傷者数名ある模様。
ロ 七時三〇分頃、大●●●●(判読不能)工場付近に小型爆弾投下。死傷数名、家屋倒壊一戸。
(2)京都府
イ 七時五〇分頃、P51約十数機は久世郡宇治町方面に来襲、小型爆弾を投下したる外、銃撃を加へ、神武護国製作所(従業員約七十名)に対し五十キロ級瞬発爆弾四個投下。死者五名、重軽傷約十名、建物二〇%及機械類軽微なる損傷を受く。復旧見込約十日間。
●(判読不能)栗村鉱業所(従業員約八十名)に小型爆弾数個落下。死者六名、重軽傷四名、倉庫一棟全壊、工場屋根一部破損。復旧見込約半ヶ月。
ロ 久世郡宇治町民家に小型爆弾数個及機銃掃射あり。死傷約一〇、民家半壊五戸、小破三戸。
(3)滋賀縣
七時五〇分頃、B29一機大津市石山北大路町所在松一三〇一工場(東洋レーヨン石山工場)に対し大型爆弾(推定一トン)一個投下。死一〇、重軽傷七二、行方不明二〇、全半壊九棟。又、同時刻頃小型機P51十三機神崎郡八日市町八日市飛行場施設及付近民家に小型爆弾投下及機銃掃射をなし、死者一、重軽傷五、建物被害若干ありたり。
三.九州地区 (省略)

其の二
本日午前十時頃より午后一時頃迄の間、敵B29約三〇〇機小型約五〇〇機は志摩半島及潮岬より二隊に分散侵入し、大阪、名古屋、半田、四日市、桑名各市の残存堅牢建築物を爆弾により攻撃したる後、御前崎付近より夫に南方に脱去せり。
(1)名古屋市 (省略)
(2)半田市 (省略)
(3)四日市、桑名両市に投弾ありたる模様なるも被害目下調査中。
(4)大阪市
イ 東警察署管内
森ノ宮東ノ町及南ノ町に爆弾数十発落下、火災発生するも大火に至らず鎮火。死傷者数名の見込。尚森下仁丹全壊、省線森ノ宮駅半壊。
ロ 天満警察署管内
中崎町付近に爆弾投下。
ハ 曽根崎警察署管内
大阪駅構内に爆弾落下、線路全壊。
ニ 天王寺警察署管内
真田山に爆弾落下。
ホ 東成警察署管内
北中堀に爆弾落下。
ヘ 城東警察署管内
今福中一丁目(日本電機兵器工場)、鴨野町、中浜町、蒲生町四丁目、鶴見町(橋本チェーン工場付近)に爆弾落下。
ト 桜島付近被弾の模様。
(5)京都府
九時●●(判読不能)分、空襲警報発令中B29約二百数十機の来襲ありたるも、南桑田郡保津村山中に爆弾六個投下したるも被害なし。

(3)復員局『本土地上防空作戦記録』
▼戦後作成されたもので、7月24日の記述を引用します。

七月二十四日朝
敵艦上機紀伊半島より侵入し伊丹、大正飛行場及大阪港在泊の船舶を反復攻撃す我沿岸陣地並に飛行場直接配置の部隊戦斗せるも敵の行動不規にして大なる戦果なし
同日一〇三〇頃よりB29四〇〇機数梯団となり大阪湾に沿ひ北上し大阪造兵廠を爆撃す造兵廠壊滅的被害を受く

(4)『大阪鉄道局管内路線図』
▼空襲を受けて破壊された箇所と月日、修復された月日が記入されています。
▼戦中に作成された資料か、戦後占領軍が関係者に作成させたものかは不明です。
▼図中の「M」は凡例によると「maked cable」となりますが意味は分かりません。

(5)復員局『本土防空作戦記録(中部地区)』
▼戦後作成された記録で、「本本土沿岸に対する敵の艦砲射撃及8月に於ける敵の空襲状況」の節には以下の記述があります。

(7月)24日
07.00 艦載機紀伊半島より侵入し各飛行場及び船舶を攻撃す。
10.30 B29400機波状攻撃を以て大阪重要施設を攻撃す。

2.7月24日に展開していた米海軍・英海軍空母、米陸軍航空軍

(1)米海軍空母、英海軍空母
▼7月24日朝、本州南岸に位置していた米海軍タスクフォース38(T.F.38)所属の空母(15隻)、英海軍タスクフォース37(T.F.37)所属の空母(4隻)は以下の通りです。各空母の24日08:00の座標は下図を参照して下さい。
▼列挙はアルファベット順です。

米海軍
バターン(USS BATAAN)
ベローウッド(USS BELLEAU WOOD)
ベニントン(USS BENNINGTON)
ボノムリシャール(USS BON HOMME RICHARD)
カウペンス(USS COWPENS)
エセックス(USS ESSEX)
ハンコック(USS HANCOCK)
インディペンデンス(USS INDEPENDENCE)
レキシントン(USS LEXINGTON)
モンテレー(USS MONTEREY)
ランドルフ(USS RANDOLPH)
サンジャシント(USS SAN JACINTO)
シャングリラ(USS SHANGRI-LA)
タイコンデロガ(USS TICONDEROGA)
ヨークタウン(USS YORKTOWN)

英海軍
フォーミダブル(HMS FORMIDABLE)
インプラカブル(HMS IMPLACABLE)
インディファティガブル(HMS INDEFATIGABLE)
ヴィクトリアス(HMS VICTORIOUS)

(2)米陸軍航空軍
▼7月24日当時、本州周辺にいた爆撃機以外の米陸軍航空軍の編制は以下の通りです。

■第7空軍第7戦闘機集団(7AF 7FC)
●第15戦闘航空群(15FG)硫黄島、P-51D
・第45戦闘飛行隊(45FS)
・第47戦闘飛行隊(47FS)
・第78戦闘飛行隊(78FS)
●第21戦闘航空群(21FG)硫黄島、P-51D
・第46戦闘飛行隊(46FS)
・第72戦闘飛行隊(72FS)
・第531戦闘飛行隊(531FS)
●第318戦闘航空群(318FG)沖縄、P-47N
・第19戦闘飛行隊(19FS)
・第73戦闘飛行隊(73FS)
・第333戦闘飛行隊(333FS)
●第414戦闘航空群(414FG)硫黄島、P-47N
・第413戦闘飛行隊(413FS)
・第437戦闘飛行隊(437FS)
・第456戦闘飛行隊(456FS)
●第506戦闘航空群(506FG)硫黄島、P-51D
・第457戦闘飛行隊(457FS)
・第458戦闘飛行隊(458FS)
・第462戦闘飛行隊(462FS)
●夜間戦闘航空群(Night Fighter Group)沖縄(伊江島)、P-61
・第6夜間戦闘飛行隊(6NFS)
・第548夜間戦闘飛行隊(548NFS)
・第549夜間戦闘飛行隊(549NFS)

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