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砂漠の狐ロンメルに学ぶ社会人のための【現場力】思考法

優秀な上司とは何でしょうか。中間管理職を経験した人などは良く部下が言うことを聞かないだとか、何でも上司に頼るな!なんてことを思っている人も少なくありません。

今回は「砂漠の狐」と呼ばれ恐れられてた、ドイツの名将エルヴィン・ロンメルから理想の上司像を読み取っていきたいと思います。

人物紹介

彼エルヴィン・ロンメルは帝政ドイツ及びナチスドイツの軍人です。特にリビア(北アフリカ戦線)での砂漠の戦車機動戦での活躍が輝かしく、その巧みな戦術から「砂漠の狐」と呼ばれました。

特に北アフリカ戦線でのガザラの戦いでの「大釜陣地」と地雷原の迂回による作戦は英国軍に重大な被害をもたらしただけでなく、戦術としての完成度が非常に高く後世でも非常に高い評価を受けています。

またエル・アゲイラへの攻撃ではヒトラーからの攻撃命令をガン無視して作戦を実行するなどよく命令無視を繰り返していたそうです。ですがこれは現場の状況を判断した上での行動で、ロンメルの決断力を象徴するエピソードだと思います。

❶司令官たるもの前線で指揮をとれ

「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!」とこれは、ロンメルじゃなく踊る大捜査線の青島警部補の言葉ですが、事実ロンメルも似たような事を考えていたようです。

なぜ現場が大事なのか、それは3つの理由があると思います。

まず1つ目は、現場に出て見ないと現場が分からないことです。現場には現場の事情があり、それを分からずに現場に要求ばかりしても現場が対応できないのです。現場に出ない上司はそれが分からず、現場に無茶な要求をしがちです。

そして2つ目は、現場に出て初めて気がつくチャンスが有る事です。上記では現場に出ないデメリットを上げましたが、現場に出ることで得られるメリットもあります。実際に見ないと気づけない現場のニーズや可能性に気づくと言う意味でも現場に出る価値は大きくあります。

そして最後は、現場に出て部下と直に接する事が部下との信頼を築く上で重要だという事です。現場に出て最前線で仕事と向き合う、そして部下を褒め、時には叱責する。ロンメルはその行動で現場との信頼を築いて行きました。また自分の経験を直に現場に伝える事ができるので部下の能力が上がりやすいというメリットもあります。

┣ ガザラの戦い

エルヴィン・ロンメルは1941年より北アフリカ戦線にてイタリア軍と共闘し、アフリカで英仏軍と戦う事になります。その中の一つの戦いガザラの戦いについて。

北アフリカ戦線でリビアを奪還していき、ついにベンガジを抑えたロンメル達は、そこで補給不足により一時停滞する事となります。

補給不足の原因はマルタ島のイギリス海空軍による妨害が大きく、そのためケッセルリンク指揮の元、大規模空が実施されました。その結果補給問題はある程度解決したものの、その間にリビアではイギリス軍によってガザラにボックス陣地という強力な陣地による防衛線が築かれました。

そのためロンメルは以下のような計画を立てました。

1.第21軍団と第10軍団が囮となってボックス陣地に攻撃
2.ロンメル率いる戦車集団が防衛戦を迂回してガザラへ攻撃

この時、囮の軍団には独伊軍の少数の機甲部隊が参加し、砂塵生成機を用いて大規模な舞台の移動に見せかけるなど、様々な欺瞞を用いました。しかし肝心のロンメル率いる戦車集団はイギリス軍の予想外の抵抗や地雷原によって、思うように攻撃できませんでした。さらに第90軽師団が包囲され、補給物資も途絶えてしまいました。

ロンメルはその状況を現場の最前線で感じていました。ロンメルは作戦を変更して一度撤退し、大釜陣地と名付けた全周囲対応できる円形陣地を完成させました。そこでロンメルは反撃のチャンスを狙います

そしてイギリス軍が大規模な攻勢をかけて来た時、ロンメルはイギリス軍を対峙していた第101自動車化歩兵師団(アリエテ師団)と挟撃し、その最中に地雷原に間隙を発見し、そこから第15装甲師団に攻撃させました。

ドイツ軍の迂回を許してしまった、イギリス軍(仏軍共に)は、大きな打撃を受け、勇敢な抵抗虚しく退却を余儀なくされます。

このギリギリの作戦は現場でその時々の問題を直に感じ取って判断する事ができたロンメルの現場力といって良いでしょう。イギリス軍の抵抗や地雷原という問題に素早く対処し、地雷原の隙間というチャンスを掴む事できました。

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┗ 前線で何が起きているか、兵士にさえわからない

第二次世界大戦など通信技術が発達した戦場では指揮官は前線にでる事は殆どありませんでした。ですがロンメルは前線で兵士と接し続ける事にこだわっていました。それはなぜでしょうか。

それはロンメルが「前線で何が起きているか、兵士にさえわからない」という事を考えていたからです。

ロンメル含めドイツの戦車部隊は電撃戦と呼ばれる戦闘教義(軍隊の基本的な運用思想)を持っていました。読んで字のごとく電撃のように素早い進撃を用いて短期間で決着をつけるというモノです。

そのような戦況が目まぐるしく変わっていく状況では、前線で戦ってる兵士たちでさえ、何が起こってるのか把握しきれないのです。だからこそロンメルは現場で自分の目で判断する事が重要だと考えていました。

それだけではありません。兵士を叱責する事も少なくなかったロンメルですが、前線で陣頭に立って指揮するさまや、イタリア軍もドイツ軍も共にいたわる姿から兵士からは慕われ信頼関係を築いていました。

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今の日本も不確かな時代になり、自分がいる状況さえ把握することが難しくなってきました。そんな中、すべてを現場に任せていいのでしょうか。こんな時代だからこそ、ロンメルを見習い現場の最前線で戦う事も悪くないのではないでしょうか。

❷絶対に曲げない芯を持つ

しかしここで皆さんは思うでしょう。ロンメルのような判断力や決断力は私は持ち合わせてないから無理だと。しかし私はロンメルの決断力の強さには理由があると考えています。それは絶対に曲げない芯を持つという事です。

ロンメルは自分の中で譲れない一つの芯を持っていました。それの為なら、上層部からの命令でも、ときにはヒトラーからの命令でさえ無視してでも実行しました。

しかしただ頑固であってはいけません。上述のガザラの戦いの少し前、イギリス軍のクルセーダー作戦により追い詰められた際、ロンメルの作戦主任参謀であるヴェストフェルが独断で部隊を撤退させました。ロンメルはこれに激怒しましたが、それでもしっかりと再検討を行い、ヴェストフェルの行動は正しかったとし、攻勢を停止し撤退をしています。

┣ 電撃戦と命令無視

ロンメルは良く命令無視をしていましたが、その中でも進軍を認められていないにも関わらず、軍を進める事は多々ありました。これだけを見てロンメルは自分勝手だと思われる人も多いでしょう。ですがこの命令無視はロンメルは意図をもって行っていました。

フランス侵攻作戦の最、ロンメルは進撃停止を命令されても構わず進撃する事がありました。これは特に電撃戦の心理的効果を薄めないために行われました。電撃戦は素早い決着の他に、素早い戦場の切り替えによって相手を混乱させる効果があります。この効果を出来るだけ効果的に発揮するためロンメルは無理にでも攻勢を行いました。

また北アフリカ戦線でも命令無視を繰り返しました。こっちではフランスよりもっとひどく「攻撃ではなく偵察」という言い訳を使ったり、届いた攻撃停止の電報の内容を嘘をついて、自由な攻撃を認める内容だと言ったりかなり無茶苦茶でした。

これは特に北アフリカ戦線の補給を鑑みた判断です。前述の通り北アフリカ戦線は補給が芳しくありません。そこでロンメルは敵の軍から多くの物資を鹵獲することでそれをまかないました。また敵の軍が防衛戦を築き終わってない今が攻撃のチャンスだと考えての行動でもありました。ちなみにロンメルのトレードマークのゴーグルはここで鹵獲されたものです。

┗ 信念と命令無視

ロンメルは上のように自分の知識の他に、彼なりの心情に基づいて命令を無視する事がありました。それは虐殺命令や無意味な殺害命令です。

ロンメルは人種差別や虐殺などが大嫌いでした。彼は自らの騎士道精神に基づき、非人道的な命令をすべて無視しました。英国特殊部隊は全員殺害せよという命令や、ユダヤ人部隊が捕虜になった際に司令部より虐殺命令が出た際には命令書を焼き捨て無かった事にしています。

❸最後に

どうでしたでしょうか。現場力や決断力以外にもロンメルという人物についても知ってくれたら嬉しいです。上記でも述べたとおり、今は非常に不確かな時代です。そんな時代にこそロンメルの現場力を読み取っていく事が重要なのではないでしょうか?














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