noteサークルで思うコミュニティの話
今日はコミュニティとか場の話を書きます。
noteでもサークルが始まり「待っていました」の人もいれば「オンラインサロンってどうも汗」という人もいるかと思います。noteとしては
サークルとは あらゆるジャンルのクリエイターが、月額会費制のコミュニティや同好会をはじめられる機能です。 サークルの中で複数のプランを作成することができます。
という定義で告知しているので「月謝のあるコミュニティ」なんでしょうね。ここで感じたのは「無料ではなく有償にしていること」。noteはどちらかというと「情報発信側」に優しいので、
「お金はいる」
「変な人が来ないようフィルタかかる」
「居心地いい場所ができる」
「さいこー!」
という場を作ったのだと。これをリアルの場に置き換えるといろんなものがあるなと思うわけです。
このnoteの場合は、建物の中にその場があって、入り口に縦看板があって、「建物の中はこんなのだよ」「ここに入るには月謝がいるよ」というのは書いているけど、どんな人がいるかはわからない感じ。
オンラインサロンは、なんとなく同じ立て付けなんだけど、宗教感がある。「この小屋は教祖様の教えがあり、聞けば救われる」「救われるためにはお布施が必要じゃ。当然払えるよね」というか。
逆にTwitterや、通常のnoteは、建物がないオープンスペースで青空学校な感じになると。建物の障壁がないので、外野の人もいろいろ見聞きできると同時にヤジも言いやすい環境。
ここ数年インターネットは死んだ議論があるけど、この動き自体がまさにそうで、大昔狭いネットワーク内でしか情報のやり取りができなかった時代から世界中に一気に広がった30年前から知っている人からすると閉じた世界への回帰なわけです。
そして「ネットワーク」的に閉じるではなく「お金」で閉じるというという事実が「死んだ感」を強調させるというか。
このコミュニティについては、何度もできては潰れを繰り返しているので、先が読めるのですが、最初に手を上げた人と、最初に入ってきたメンバーは利益を得る。というのもやはり「意識が高く」「濃いメンツ」がやってくるから。
けど、拡大路線に走ると、コミュニティの濃度は薄まるし、濃いままで放置すると、その場は劣化していく。
例えがいいかわからないけど、マンション的というか、20年経ったマンションとかは修繕費がどうのとか、自治会の中で、あーだこーだになって、いているメリットよりどこかで損だという時期が来てしまい瓦解してしまう感じ。
違う観点だと、居酒屋の常連客とかも同じ構造だよね。あれもコミュニティ的でもあり、瓦解の流れも案外近いという。結構リアルでもよく見る風景なんですよ。
本来、オンラインのメリットは、敷居の低さ&数の暴力が大きいと思っていて、それを自分が生活するために(が理由かどうははわからないけど)少ない日銭で、そのメリットをなくすのは、短期的にはよいとして中長期的には悪手ではないかと感じている。
どちらかというと、無料の青空学校でありながらも、生活できる考えや技を考える、構築するほうが、得るものが大きのではないかなと心の中では思ってしまう。
とはいえ、個人の考えですぐにどうこう変わるものではないので苦笑 月の収入というサブスクと、月で使うサブスクを見比べつつ、新しいコミュニティに飛び込むべきか思い悩む今日この頃です。
お互いのコミュニケーション活性化のため、スキ・コメントお気軽に、よろしくお願いします。