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予算維持というプライド

予算。この言葉を聞いてげんなりする人も多いはずだ。予算確保とは僕が思うに「自分たちの存在を維持する」事に他ならない。というのも仮に今期たまたま不要で減額すると、何故か来期もその減額した予算が前年比となるからだ。以下の記事のように一旦減額を受け入れた成れの果てがここにあったりする。

そのため多くの予算編成の担当は「少なくとも現状維持」に執念を燃やし自分たちの存在意義のために戦う。一方で予算承認側は新しいこと「僕がいたからこういう新しいことが出来た」そういう事を言いたがる。その結果、今の国の雪だるま式の予算が出来上がる。面白いのは企業の場合、赤字ばかりだと存続出来ないので選択と集中と言い一方を根こそぎカットすることも「新しい取り組み」カウントに入るのだけど、国の場合は名目上の借金は企業と異なるので舵取りが難しい。

でもね。少し引いて考えたとき、実際の予算構造って前年比プラマイゼロって変な話で本当は、(1)継続的に維持するべき予算、(2)その年だけ必要な予算、(3)効率化による費用減少などのグラデーションがある。さっきの記事で言うと空調関係なんて老朽化して変える時だけ必要で引いて見ると「それぐらいいいじゃない」となるけど、この前年比の話から難しい事になっている。

こんなバカな話があるかと思うけど、予算立てた人なら「わかる」「あるある」と言う反応になるだろう。まあつまり人間のおつむなんてこんなレベルなんですよ。ときどき不思議に思うのは「AIはターミネーター2に出てきたスカイネットのように人間を滅ぼす」とか言うけど予算編成一つに取っても正直人間の見通せない頭の方が破滅の階段を歩いている。

そんな人間の感覚値より機械的な「スポットで必要な最低限の予算」と「現状維持が不要な無駄な予算」を項目の一覧と予算の数字を一つの表に打ち込めば本当に必要なコストなんて一目瞭然だ。それをしたがらないのは、最初の方に書いたように「予算編成者の存在意義」悪く言うと当人のプライドでしかない。AIにはプライドなんてプログラムに組み込まない限り存在しない訳だ。じゃあどっちを信用するかだ。

皆さんはこの話、どう思いますか?

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