見出し画像

登里享平や谷川俊太郎の話から知る、「きっかけ」を活かし掴むために必要な「自分自信との対話」

週末からJリーグが始まりますが、たまたま自分が気にする登里享平が出ていたので視聴。そこで(21:52あたり?)現状の成長した姿と若き日の置かれた状況の困難さについて語っていた。(抜粋は以下)

・当初は自信があったので、おれがおれが感あり
・2年目から結果出ず自信を失うことに
・レンタルされてここで終わるのかという感覚に
・4年目のときにレンタルの話あり
・決まりかけのところ当時の監督が戦力として残すことに
・けど、状況は変わらず試合に出れずの状態
・紅白戦に出る際に空いていたサイドバックで出ることが増える
・自分の思いで出るのではなく出るポジションがなく出た
・本人はやる気を出してというより一時期腐っていたらしい
・本意でなく現状だと強力なサイドバックになっている
Jリーグ開幕!川崎F×FC東京 金J盛り上げ企画【DAZN Jリーグ推進委員会】

本人自身の話なので謙遜もあるだろうが、きっかけを活かして結果を勝ち取っている。話にもあったが、最近だとレンタルで成功する選手も多くいるが、レンタルだから必ず成功するというわけでもなく、「変化のきっかけ」を掴むか掴まないか、「自分の特性」を理解し活かすことが出来るかが成功するしないの鍵のような気がする。

なお、よくフロンターレ=中村憲剛というイメージで語られるが、個人としては登里享平のほうがよりクラブの顔としては適切だと思う。別に代表に選ばれることもなく、自分のできることを一つ一つ積み上げ成長する過程と、ちょっと恥ずかしげでもある茶目っ気がクラブイメージとかぶるからだ。

けど、最近思う「運は勝手に流れてこない」という話は、ここでも同じなんだなと。多分きっかけの有無はやはり天運だと思うけど、そのきっかけを掴む掴まないは、自分自身との対話なんだなと思う。例えば

今考えるとこれは一種のトラウマになったんじゃないかな。文章を書くのはとにかく苦手、それより前に字を書くのが既に苦痛だった。思うように字が書けない、しょっちゅう母親に直されていた、大人になってからも字が上手く書けない。それが字を書いて言葉を操ることで暮らしを立てるようになったんだからわからない。「詩」というものが存在してなかったら、僕はどうなってたんでしょうね。
詩はね、「何ひとつ書く事はない」っていう一行で書き始めることができるんです。書くことがなくても書けるんです、文章となるとそうはいかない。
「詩」というもの/谷川俊太郎

僕らから言わせれば「あなたが書けないなら、僕らはどうなるんだ」というレベルの大御所の声ですが、本人としては「文章は苦手だが、詩なら書ける」という自己特性を理解したからこそ、一歩前に出ることができたわけで、ここでもきっかけと「自分とはどういうものなのか?」という対話が合ってこそ今があるんだと思う。

最近多くは、周りの情報ばかりザッピングして、リツイートして「楽しかった、面白かった」というような小学生の日記のような感じのリアクションを多くとってしまいがち。いわゆる中2的な鬱屈した自己内面への対話は否定的になりがちだが、こう見てみると自分自身の特性ってなんだとか、そういう感覚って常に持っておかないとまずいなと感じています。

お互いのコミュニケーション活性化のため、スキ・コメントお気軽に、よろしくお願いします。