読書感想『白鳥とコウモリ』東野圭吾

善良だと評判の弁護士・白石が刺殺体で見つかった。
捜査本部は最近の電話履歴から愛知県に住む一人の男・倉木達郎に目を付ける。
捜査を担当する五代が倉木に接触したところ、倉木は自供を始めた。
事件は解決かと思われたが、倉木の自供は新たな波紋を呼ぶ。
「すべて私がやりました。すべての事件の犯人は私です。」
倉木のいうすべての事件には、1984年に被疑者が留置所で自殺した殺人事件が含まれていた―――
すでに被疑者死亡で確定した過去の冤罪事件と、現代で起きた殺人事件…そこには誰にも予想できなかった真実が隠されていた。

東野圭吾氏真骨頂というか、もう…事件関係者の複雑な心境書かせたらマジ独断場ですよね。
単行本刊行時にも、この複雑で入り乱れた人間心理をミステリーに落とし込んで書き上げるその筆致に脱帽したんですが、文庫で読み直してもやっぱりすごい…。
あ、すいません…僕、東野圭吾先生の狂信者なので感想はいつもちょっと…いや超絶暑苦しいのでお気をつけてお読みください…ほんと、めちゃくちゃ好きなんです…。マジ愛してる…。
で、本書…冒頭で起きている殺人事件の犯人は早々自供し、逮捕される。
ところが、本編はそこから幕を開けるといってもいい。
自供した倉木の息子、殺された白石の娘、そして1984年の事件で犯人とされ自殺している男の遺族の物語が始まるのである。
自供した倉木の供述に矛盾はなく、警察としては確固たる証拠はないものの捜査は終了である。
ところがその供述に、被害者の娘が引っかかるのだ。
倉木の語る殺された父親が、自分の知っている父親ではありえない、と…。
何がすごいって、事件関係者で構成されるこの話、当事者のいないところで物語が進み、最終的にすべての前提がひっくり返ってしまうところだ。
自供をし逮捕されている倉木、だがその息子も被害者の娘さえもその供述が自分の知っている父親の人物像と合致せず、そこに噓があるのではないかと疑い真実を探し始める。
だが同時に、何のために嘘をついて殺人犯になろうとしているのか?という疑問が首をもたげてしまう。
今の事件のきっかけとなる1984年の事件、はたして過去に一体何があったのか?
人が殺されているという揺るがしようのない事実はあるものの、この物語を形成する人物のほとんどが、どこにでもいる普通の善人であるところも痛々しい。
突然起こった殺人事件に巻き込まれてしまった普通の人々が事件を通じて、罪と罰を見つめる物語なのである。
立場の違う事件の関係者たちの、どの人物にも感情移入ができてしまうのも本書の特徴だろう。
刑事パート、被害者パート、加害者パート、そして過去の事件の関係者たち…そのすべての人物の心情に寄り添えてしまうのである。
そしてすべての謎が解けた時、浮上するのはとんでもないやるせなさだ。
…いやマジで東野圭吾氏、化け物すぎないか????
出てくる人物が誰も完璧じゃなく、それぞれ感情があって揺らぎがあり、その甘さが新たな悲劇を生んでしまうという、何ともリアリティのある一冊である。
誰かが罪を犯すということ、罪に対して罰を受けるということ、そしてそんな失敗が周りに及ぼす計り知れない影響まで書ききった一冊だと思う。
さすが東野圭吾先生だぜ…とマジ絶賛です、はい、ほんと凄い…大好きだわ…。
ただ若干、東野先生は女の人に騙されたことがおありで…??って聞きたくなる部分があるけどね(笑)

・貴志 祐介『兎は薄氷に駆ける』

・平野啓一郎 『ある男』

・小林 由香『まだ人を殺していません 』

犯罪を起こさなくても巻き込まれる可能性はみんなあるんだよな…と当たり前のことなのに改めて気づかされるね。

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