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中国思想の影響を受けた浄土の庭園【東日本大震災復興記念庭園】

2011 年 3 月 11 日に発生したマグニチュード 9.0 の観測史上最大の地震である東北地方太平洋沖地震は、東日本の各地に甚大な被害を及ぼした。いわゆる東日本大震災である。死者・行方不明者は約 1 万 9000 人とされる未曽有の大災害をもたらし、日本庭園協会の東北地方の会員も大きな被害を受けた。
震災復興が思うように進まない中、宮城県支部が設立され、復興を祈念して「絆の森」となる鎮魂と永遠の平和の願いを込めた「東日本大震災復興記念庭園」の築庭を提案した。設置場所は臨済宗妙心寺派覚照寺の住職から提供された境内敷地である。

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▲宮城県黒川郡大和町の東日本大震災復興記念庭園全景休憩所越しに見る庭園。西方に見えるのは笹倉山 ( 撮影/ササキシゲル )



文/写真: 高橋康夫(たかはし やすお)

現在、(一社)日本庭園協会会長。1974 年より東京都職員として公園や庭園の整備、管理運営など公園行政に携わる。2010 年公益財団法人東京都公園協会入社。著書:『小石川後楽園』(東京都公園協会発行)共著:『花と緑の四季だより』(明石書店)、『TOKYO みどり発見』(東京都公園協会)等。


東日本大震災復興記念庭園のテーマ

 築庭のテーマは①大震災の鎮魂と復興 ②伝統庭園技術の継承であり、全国から若手庭師のボランティア参加を呼びかけると共に地元市民と一体となって5年間で4,000㎡の池泉回遊式の庭園を築く計画であった。公共団体からの補助金を受けることなく、市民の力だけで成し遂げた鎮魂と復興を願う「市民の心」が込められた庭園である。

 庭には功なり名を遂げた人物がお金に糸目をつけずに造る庭と名も無い市民がやむに已まれずに造る庭がある。東日本大震災復興記念庭園はまさに止むにやまれずに造り上げた稀有な庭園である。

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▲庭園全景ー中国の影響を受けた洞窟のある第三の池から見る

p22洞窟石組洞窟石组

▲洞窟石組

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▲完成した翌年の5月、開園直前の新緑の輝き

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▲復興記念庭園園名板(復興記念公園に関わった人達の名前を刻印)

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▲層塔後方の土留石積の中には弁天様の頭部が左右2体祀られている

輪廻転生を水の流れで表現した浄土の庭園

 記念庭園は、池泉回遊式庭園の手法を取り入れ、人の一生を表現している。誕生してから成熟期を迎え、そして老齢期を経て、西方浄土に召される。輪廻は転生し、また誕生へ向かう永遠によみがえる命を表している。それを、水の流れで表現し、誕生(沢口)➡➡幼年期(第一の池)➡➡激動の壮年期(第二の池:滝流れ)➡➡成熟期(第三の池)となりその先には笹倉山があり、西方浄土に見立て、魂はそこに帰っていくのであるが、又復活して戻ってくるという、いわゆる「輪廻転生」をイメージしている。

 それはまた、自然を畏敬し、自然を生かし、自然と共に歩むという東日本大震災の教訓から得た自然の中の一員としての人間の意識を再確認するものでもあった。さらに、伝統的な庭園手法だけではなく、現代庭園技術を融合させながら明日への日本庭園の方向を探る庭園を目指すものでもあった。

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▲記念庭園の基本設計図(設計:横山英悦 監修:内田均)


【生々流転を表す水の流れ】

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①沢口と第一の池(誕生~幼年期)

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②第二の池:滝流れ(激動の壮年期)

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③第三の池(成熟期)

【景色】

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▲須弥山に見立てた笹倉山の雄姿

p25池回りのイメージ(作画:横山英悦) 池周围的画像(作画 :横山英悦)

▲池回りのイメージ(作画:横山英悦) 

コラム

菊地正樹宮城県支部長に、どうして災害を受けた厳しい状況にありながら庭を造ろうとしたのですかと聞いたところ、「若者たちが楽しく動き回りながら庭づくりをしている場を作りたかった、それだけだ」と言う答えでした。その意味は若者たちが楽しく動き回る場所、それはまさに復興であり、鎮魂であるという思いなのです。彼らは未来であり希望なのです。だからこそ庭づくりを通してそれを実現させようとしたのだと思いました。



市民とボランティアで造り上げた庭園

 この庭園の築庭において特筆すべきことは、すべてボランティアで造り上げた庭園であり、全国から参加した庭師やはるばる外国から支援に駆け付けた人たち、そして宮城県支部はもとより、地元などの市民たち延 3,500 人が参加した「無償の愛」で完成した庭園であること。また行政などからの補助金を受けることなく、庭園協会の会員の寄付や宮城県支部の資金・資材提供で築庭をすべて賄ったこと。また、津波で流された庭園の灯籠や庭石は廃棄物として処分される運命にあったが、それらを庭園材料として再利用し、流されて流失した「庭の命」を再生したことが挙げられる。

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▲2018 年 5 月 20 日開園当日の復興記念庭園―第三の池が水鏡となり新しく芽吹いた緑を映している


 補助金を受けることをしなかったのは、補助金をもらって造る庭園は仕事として造る庭となり、それでは真の意味での「鎮魂と復興の願い」が届かないという宮城県支部の強い思いがあったのである。この思想は司馬遷『史記』における伯夷・叔斉の「不義の粟 ( ぞく ) を食わず」という思想に通じるものがある。

 記念庭園は多くの方々に支えられて一応の完成を見たが、築庭完成の最大の功労者は、1 年 365 日ボランティア精神で庭園を見守り、被災しながらも地元を元気づけようと行動した宮城県支部の働きがすべてである。台風や集中豪雨により、築庭した場所が流されるなど、その復旧や日々の雑草管理など血のにじむような努力と行動力があったからこそ完成することが出来たのである。

 このような思いで造り上げた庭園は他にあるだろうか。小石川後楽園は儒教の影響を受けた「先憂後楽」の思想があるが、この庭園にはそれと同じ思想が根底にあるように思える。

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▲外国から駆けつけてくれた人たち

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▲土橋造りで伝統庭園の技術を学ぶ

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▲植栽工事で伝統庭園技術である三叉の山から樹木を掘り出す

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▲震災で廃材となった川石を再利用した飛石


日本大震災復興記念庭園所在地

宮城県黒川郡大和町宮床字大椚 69 覚照寺境内
交通アクセス : 東北自動車道「大和 IC」入口から車で約 15 分 / 仙台市営地下鉄南北線 泉中央駅から 8.4km

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