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第32回読書会『新版國語元年』を読んで

ほんの数時間前に読書会が終わりました。
わたしは『新版國語元年』ロスです。
もっと読みたい。
南郷清之輔とその家の言葉の話をもっと読みたいのです。

というわけで、今回も参加してくださった6名の皆様、
ありがとうございました。

今回は第2幕の7「清之輔が奉公人たちに励まされた日」からエピローグまでを読みました。

あらすじ

以前までのあらすじはこちらの記事をご覧ください。

賊軍の言葉を入れずに「全国統一話し言葉」を作れ!と文部卿に言われた清之輔は家で必死に作業中。

そして、なんとか維新の立役者の藩の言葉を入れた「全国統一話し言葉」を作りあげます。

ところが、それを見た清之輔の舅の重左衛門は怒り心頭!薩摩言葉が「死ぬ」とか「負ける」とかの縁起の悪い言葉ばかりだったからです。

でも、そんなことを言い出したら埒があきません。今日の公卿の公民先生もこう言います。

ホンマ。つまらない(ショーモナイ)言葉を採用された土地の衆が、さっきの御隠居はんのように頭(オツム)からアチチカンカンの湯気立てて怒らはりマッセー。

・この「アチチカンカン」という言葉が笑えますね。

そして、清之輔は「新しい言葉」をつくればいいのだ!ということで新しい言葉「文明開花語」を作ることにするというストーリーです。

みどころ

それで、その文明開花語がどういうものだったかは推して知るべしなのですが、この最後のシーンに作者の井上ひさしが伝えたかったメッセージがふんだんに込められています。「言葉とは?」その問いことが、最終幕の見どころだと思います。

特に薩長により賊軍にされ、国を奪われた会津の虎三郎によってそのメッセージは語られます。

人は言葉がなくては生きられない
何もしないのがいい。言葉をもてあそぶガラ、悶着が起ぎんのだ。言葉はエヅグッテワ、ワガンナイ。
あなたの熱心さにはホント二頭が下がる。だがしかし、あなたの新しい言葉は実際の生活に役立つだろうか。実際の生活に役立ってこそ言葉といえるのだが……。

「全国統一話し言葉」を作るとはいえ、言葉は人の暮らしになくてはならないものであり、政府がどうこうできるものではない。そういう思いが伝わってきます。

とはいえ、日本を近代国家にするためには、やはり、「統一話し言葉」が必要だったことも事実であり、その板挟みになった清之輔が終盤、病んでいくように思えるところもこの問題の難しさをあらわしているようにも感じました。

あることが理由で警察に捕まってしまった虎三郎は、こんな手紙を書いています。

己が言葉の質をいささかでも高めたる日本人が千人寄り、万人集えば、やがてそこに理想の全国統一話し言葉が自然に誕生するは理の当然に御座候。

自分の言葉の質を高めていきたいものですね。

感想

幸か不幸か、昭和以降、ラジオやテレビの普及で、日本語はほぼ統一されたといってもいい現代。希少方言はどんどん失われていきます。

わたしたちはもう少しお国言葉を大事にしてもいいし、人間にとって言葉というものが何なんかということにもう少しだけ敏感になってもいいのかもしれないと思いました。

2ヶ月に渡って読んできた『新版國語元年』この時間がわたしにとってが一つの作品となりました。また戯曲をやりたいし、井上ひさし作品にも取り組んでいきたいと思います。

参加メンバーのお一人が以下のような動画を紹介してくださり、みんなで見ました。(21:50からご覧ください)

では、また!

次回のお知らせ

日時:9月4日(土)JST19時から
課題本:蟹工船

詳細は追ってTwitterでお知らせいたします!

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日本語教師でライターが日常をみつめるエッセイです。思春期子育て、仕事、生き方などについて書きます。

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