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映画『くじらびと』の感想

夫が海釣りが好きなので、よく一緒に福井県は小浜の海へ釣りに行った。サビキで鯵がよく釣れた。その鯵を持って帰って南蛮漬けにした。

その鯵は南蛮漬けにするくらいだから、体長はおよそ10センチ。

そんな小さな魚でも、釣り針から離すとき、自分の命を取られまいとして暴れる。その力は想像しているよりも強い。ちょっと手を滑らせるとそのまま海に逃げ帰ってしまう。

それが、巨大なクジラだったとしたらどうだろう。映画『くじらびと』の話だ。

先日、京都シネマで映画『くじらびと』を観た。もちろん人間と鯨の命がけの闘いも大いに見どころだが、それを取りまく人間の生活がまた美しかった。淡々と流れていく毎日に美しさはある。まず予告編を見ていただきたい。

そしてそれ以降は、ネタバレがあるので、観てから読んでほしい。

作物の育たない村で、村人の生きる糧となったのは鯨漁。

船は木造で手作り、銛一本で鯨を倒すやり方は、死と隣り合わせだ。
劇中やはり、一人の男が亡くなる。

その家族はもとより、島の全員が悲しみにくれる。「もう漁に出る気にはなれない」とうつむき涙をこぼす犠牲者の兄。

ただ、そんな中でも太陽は昇り、また沈み、波は寄せては返す。子供たちは遊び、女は家事をする。

そして、悲しみを徐々に乗り越えていくのだ。わたしはそのことに感動した。現代日本なら鬱病になって薬を飲むところだと思うが、自然の中で暮らすことにより、生きるエネルギーを回復させていくのだ。

そして、新造船を造る犠牲者の父。村総出で新しい船を作り出すために手を動かす。力を合わせる。徐々にその目にエネルギーがまた宿り出す。

その様をカメラは映し出す。それこそが人間が生きるということだと教えてくれる。自分も村の一員になったかのように笑顔になる。

新造船で漁に出る。くじらとの闘いが幕を開ける。鯨の群に木造の船と数人の男で近づく。観ているこちらも手に汗を握る。潮を吹く鯨の鳴き声が映画館にこだまする。

ラマファ(くじらを獲る者)が銛を手に船首に立つ。400年、受け継がれてきた生きるための仕事だ。ラマファの肩に、村の人の命がかかっている。

ラマファは船から飛び上がり、鯨の急所を打つ。鯨は命を取られまいとして力一杯暴れる。船は大揺れ。船のまわりはくじらの赤い血で染まる。映画は、水中からも撮られる。くじらの苦しみが伝わってくる。

命をいただくとはこういうことだ。スーパーのパック入りの肉しか食べない自分に頭を打たれたようなメッセージが届く。

くじらとの「闘い」、そう書いて「闘い」という言葉に違和感を感じた。くじらも人もともに生きるものだからだ。でも、だからこそ「闘い」なのだと思う。

とった鯨は村人で分け合う。肉も油も全て使う。干し肉と作って、山の幸と交換する。そうやって生活を豊かにする。人間が生きることとは、命とは、文化とは、それに答えを言葉で出せるものではない。でも答えはこの映画の中にある。

ぜひ、劇場で観て欲しい。

では、また!


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