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日本企業はDXを正しく理解せよ

はじめに


この記事を開いてくださった皆様、それだけでDXに対するマインド(特に変革に対する意識)を十分にお持ちなのだと思います。
批判的なタイトルや明確な肩書きのない個人の記事などまず見ない人が大半でしょう。しかし、それこそが危機的な現状を生み出しているに他ならないと私は考えています。無意識か意識的かは問いませんが、本当の目的を見失い自身に都合の良い言説を求め、批判を含む多様性を否定した結果が企業の競争力を低下させている要因の一つだと思います。
ここでは、それとDXがどう繋がるのかも含め「なぜDXが必要なのか?」について深掘りし今私たちが本当にすべきこととは何かを提言させていただきます。

DXに対する自己都合的な解釈を自覚すべき

DXの本当の定義

まずはじめに、DXは過程であり事象です。自身の望む望まないによらずDXは進行しています。初めてDXについて言及されたのは2004年の論文("Information Technology and the Good Life." - Erik Stolterman)ですが、この中でDXとは、
"The digital transformation can be understood as the changes that the digital technology causes or influences in all aspects of human life.(デジタルトランスフォーメーションは、デジタル技術が人間生活のあらゆる側面に引き起こす、あるいは影響を与える変化として理解することができる。)"と記載されているように、今日の日本で言われているデジタル化に対するスローガンのようなものではなく、ひとつの事象として扱われています。DXについての善悪について語るわけではなく、「デジタル化すべきである」と述べられているわけでもありません。DXは事象であり、実際に進行しているもので、これから私たちはこのDXを中心に価値を生み出していくことを求めるようなことが論じられています。ここで需要なのは、単に今現在DXの言葉の意味が変化しつつあるといった言葉狩りのようなものではなく、DXは社会の流れでありそこに個人の意思は含まれていないということです。一方、日本ではデジタル化の遅れが大きな問題として各所で指摘され始めると、このDXをスローガンとする様々な解釈が生まれ、それが定義として公表されるようになりました。これ自体は決して悪いことではなく、DXに対するアプローチの啓蒙に役立っています。しかし、DXはスローガンとしての意味合いが強くなり、あたかも経営層の意思によってその"手段"を受け入れるかどうか決定できるかのような扱いになってしまっていることも事実です。先述した通り、そして今現在こうして肌で感じている通りDXは事象であり、今起こっていることなので実際には「DXを行うかどうか」ではなく「DXに対してどのようなアプローチを行うか」を考え、実行しなければならないのです。

本質との乖離

先ほども説明しました通り、今日の日本ではDXの本質とは異なった解釈がなされ、誤った道へ進み始めている企業も出ています。ここでは便宜上、初めに定義された社会の流れとしてのDXを"事象としてのDX"、スローガンとして用いられていると述べたDXを"行動としてのDX"と呼ばせていただきます。
事象としてのDX、行動としてのDX、それぞれの定義は言葉にすると僅かな違いでしかありませんが、その言葉が持つ意味の解釈が各人によって自由に行えてしまうため、本質を見失ってしまっているのではと思います。
その代表的な例として多く見受けられるのが「DX化」という言葉です。これは、DXという言葉のみを知り、それをあるべき姿だと考えた結果生まれた言葉だと考えられます。先ほども述べた通り、そもそも日本にDXという言葉が持ち込まれた経緯はその言葉の用途からデジタル化の遅れを是正するためにスローガンとして用いるためだと考えられるのですが、ここでの本意はデジタル化を促進することではないはずです。国際的な競争力が低下し優位性を失いつつある日本企業が今一度競争力を取り戻し、世界で戦える企業となることが本意で、そのための手段あるいは課題のひとつとしてデジタル化がピックアップされたのです。この認識のずれが大変危険で、本質から大きく逸れてしまった要因だと考えられます。

自己都合的な解釈

DX(デジタル化)自体を目的としてしまうと、目的(競争力の強化)に対する目標(デジタル化)を目的としてしまっており、これを達成するために新たな目標が設定されてしまいます。
ここまでで現状が明らかにおかしいと分かるはずですが、問題は一体どこでこのような事態が発生したか(しているか)です。そしてその問題こそが自己都合的な解釈です。デジタル化によって世界は大きく変化しているわけですが、これは単に「生産現場にロボットが導入された」や「RPAによって事務作業を自動化できた」といった狭い範囲の細かな話ではないです。例えばユーチューバーなどのインフルエンサーの台頭は間違いなくデジタル化による社会変化によって確立された職業です。他にもSNSが発達し今まで関わったことのない人との交流が容易になり、結果的に人材の流動性を大きく高めています。デジタル化により情報伝達が容易かつ今までにないスピードになり、あらゆるコンテンツ・製品の寿命が短くなっています。このようにあらゆる箇所において事象としてのDXによる変化が起こっています。そしてそれらは優秀な人材を囲い込む難易度が高くなったり、市場の予測がより困難になったりと企業の持続に対する大きな問題となって立ちはだかります。
しかし、多くの人はこれらの事象としてのDXがもたらした社会の大きな変化とそれによる日本企業の競争力低下という本質的な問題から逸れ、行動としてのDXをさらに再定義し、問題は「デジタル化されていない仕事」のみにこそあると勝手な解釈を行うのです。
ツールを導入して仕事を紙やExcelからツール上での作業に置き換えればデジタル化されたように見えるでしょう。この簡単で目に見えやすいデジタル化に取り憑かれ次々と行動としてのDXからも逸れた誤ったDXを推進してしまっています。(偽デジタル化)
そして、この背景には成果至上主義と責任の分担にあると考えます。

悪しき風習「成果至上主義」と「責任の分担」

成果至上主義とは出てきた結果しか見ない、そこでしか評価しない人事評価制度のことです。「社会人なのだから過程は評価しない」「海外では結果のみを見られる」このような言葉をよく聞くと思います。これらは社員がクリエイティブでかつそれを汲み取る制度や組織風土があってはじめて成立する言葉です。決められたシナリオでしか作業を行わない(行えない)状況では成果に対するクリエイティブさが損なわれ「いかに成果をよく見せるか」だけに注力させることになります。その結果が既定路線で容易に達成可能な偽デジタル化ばかりが進み、その本来の目的などは完全に棄却されることに繋がっています。成果はもちろん重要ですがチャレンジングなことを評価する風潮が生まれない限り日本企業の競争力は向上しないでしょう。余談ですがこれが日本の起業力の低さにつながっているとも考えます。
次に責任の分担ですが、これは大量のハンコを押された書類をイメージしてもらえればわかりやすいと思います。責任の希釈と言っても良いでしょう。これは3つの大きな問題を生みます。
一つ目は本来の意思の喪失です。実際に決裁する人間へ行き着くまでに多くの人間が介在し、実際の発案者の意図しないものに変化してしまうことです。あなたがやる気のあるDX推進担当者だとしましょう。あなたはいち早くここで述べられている問題に気づき、自社で行うべきことを戦略として企画し上司へ報告します。上司はこう言います。「内容は良いけど少し過激すぎる。これでは他の部署の人間がどう思うかわからない。マイルドにしてくれ。」と。そして、直接的な表現を避けた資料を作成し上司へ渡します。上司はその資料をもって関係部署へ"よりマイルドに"相談をしますが、そこでも同じように「会社運営へ口を出すのは烏滸がましいのでは。役員の気分を害さないようよりマイルドにしてくれ。それと達成が難しい問題では評価に響く、具体的ですぐにできるものを目標にしてくれ。」と言われてしまいます。そうしてやっと役員へ報告し、役員はこう言います。「なるほど、よくわかった。ツールを導入しよう。」
二つ目に意思決定の遅さです。複雑な問題や規模の大きい問題、解決に複数の部署との協力が必要になる企画はその関係者全てに回覧が行われ一向に前へ進むことがない、これもよく経験されることでしょう。単純に意思決定が遅く、小回りが効かない、これだけでも十分大変な足枷となり競争力低下の要因になり得るのですが、先ほどの成果至上主義と相まってそもそも進まない問題に挑戦する人が出てこなくなります。その結果として関係者が少なくなるものや小規模の問題ばかりの解決に注力し競争力の向上とは程遠いものになります。
三つ目が担当者のコミットメントがないことです。これは責任の希釈により誰が責任を持ってリーダーシップを発揮して問題に取り組むのかがはっきりとしないことです。中にはこれを喜ばしく思う担当者もいるでしょうが、これによって関係者がそれぞれ誰かがやるだろうと考え誰も何もしなくなります。そして期限が近づいてようやく重い腰を上げ、取り組もうとしますがその頃から始めて成果が出ているように見えるものを求め、"ツールの導入"を行うのです。

DXで重要なのはデジタルではない

DXにおいて重要なのはデジタルではありません。先の章で散々述べたように行動としてのDXを阻む大きな要因はデジタル技術ではなく人にあります。「その課題を解決するためにデジタル技術を用いる。これこそがDXだ。」そう言いたくなる気持ちも分かりますがそれもまた間違いであると思います。この章では行動としてのDXを進めるために、事象としてのDXとの関係性を踏まえてどうすれば良いのかを話したいと思います。

DXを分解する

事象としてのDXの話をする際にはDによるX(デジタル技術による社会の変革)と解釈しても良いですが行動としてのDXを考える時、単純に同じように考えるのはミスリードを生む要因になります。行動としてのDXの場合、"DによるX"ではなく"DとX"と考えた方が自然です。つまりデジタル化と変革は別に考える必要があるということです。
デジタル技術の導入の遅れを解消することもそうですが、何十年経っても変化を考えない企業・組織文化といったもの、長い年月をかけてこびりついた悪い風習を破壊すること、こういった部分から目を背けてはいけません。本気でDXを推進しようと考えているならばまずすべきことはX(変革)なのです。
これは大変な苦労を伴います。そして今まで自分たちのしてきたことを否定するような気になります。しかし事象としてのDXが進行する中、私たちにはこの"痛み"を受け入れるか、緩やかに破滅するかの二つしか選択肢は残されていません。どうして苦労するのかは明白です。どれだけお金をかけようとほとんどの社員がその気にならないと変革はほんの少しも起こらないからです。それを分かっているからこそ安易なデジタル化に飛びつきDXと叫ぶ人も大勢います。ただこれは逆に考えればDXにおいて最も重要な"変革"は莫大なコストを投じなくても達成できるということでもあります。ここまで変革と何度も出てきましたが具体的に何をすれば良いのか分からない場合もあるでしょう。なので少しだけ具体的にどのようなことが望ましいのか話させてください。

変革の具体的な施策

究極は成果至上主義と責任の分担といった風習をなくすこと、これに尽きると思いますのでそれぞれについてどういった方法があるのか考えてみます。
まずは成果至上主義、これの最も効果的ですぐにでもできる施策が「定量目標にこだわらないこと」です。無理やり数字にしなくても良い、どれだけ大きなことができるか、どれだけ大きなビジョンがあるか、それをゴールに設定してみてください。もちろん趣味のようになってビジネスからかけ離れてはいけませんからマイルストーンとして定量目標を設けてください。また、実際には自社の財務指標のどこに影響があるのかを考えた上でゴールを設定してください。これだとあまり変わりがないように感じてしまうかもしれませんが、安易に「自動化による労働時間の削減」といった実態のない数値目標を設置することは減るはずです。定量目標でゴールを設定しなければいけないというスタートラインが「自動化による労働時間の削減」へとすぐに結びついてしまうわけです。

そして責任の分担です。これはNetflix社のやり方で非常に参考になり、効果的ですぐ実践できるもので「インフォームド・キャプテンを立てる」があります。
噛み砕いて言うと意思決定をプロジェクト内の一人に任せるというものです。当然、キャプテンの独断ではなく十分にメンバーの意見を聞き、客観的な根拠に基づいた意思決定が求められますが、そのスピード感は委員会のように大勢で毎週ミーティングを行い少しずつ合意を形成するものに比べて格段に早くなります。また、プロジェクトにおいて明確にハンドリングを行う役割を用意することでキャプテンが明確なゴールを責任感を持って設定し達成することに尽力できるとともにメンバーも同じ目的で仕事を行うことができます。リーダーとの違いについては明確に述べられているわけではありませんが、インフォームド・キャプテンにはプロジェクトの達成に必要な分野を熟知していなければならないという前提があることが大きいな違いだと私は考えています。基本的にプロジェクトリーダーにはマネジメントの能力が求められ、マネージャーがアサインされるケースが多いですが、実際に進めるプロジェクトのハンドリングにおいてその分野を熟知していることは同じように重要です。一方で、マネジメントと分野の知識を両立する人材というのは多くなく、結果として慣習的にマネージャーをプロジェクトリーダーに設定することが多いように見受けられます。そのため、マネジメントとは違う意思決定を行うための分野に熟知したキャプテンを立てるというのはかなり効果的なのではないかと思います。

最後に

企業にデジタル技術の活用が求められている背景として社会にデジタル技術が十分に浸透し、社会そのものが変化したからだと私は考えています。
そのため、デジタル技術を用いるかどうかは社会の変化に順応するかどうかといったレベルの話にまで拡大されることで、DXはやるかやらないかを選択する手段ではなく、もはや目的として存在しているものと認識してください。
そしてツールを導入してデジタル技術を社内に取り込むだけではデジタルとビジネスの融合は達成されておらずDXの第一歩にすら到達していないことを理解し、受け入れなければなりません。お客様に対してより良い体験を提供するにあたってお客様自身の体験が目に見えて変化しなければならないように、内部だけがいくらデジタル技術で変化しようとそれが外部まで波及しなければ一切の機会も生み出さず、外部公表の際の話のネタ、パフォーマンスでしかなくなります。
実はもう少し長く記事を書こうと思っていたのですが競争力強化について考えていると止まらなくなってしまいましたので、今後は「競争力強化を考える」シリーズとしてそれぞれ独立した記事で少しずつ公開していければと考えています。興味があればぜひそちらも読んでください。

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