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天地無用は下重視?上重視?

この間、知人と日本神話について語った。

その時にこのタイトルを思いついた。

楽しくあの神社の神様はどうこうと…私は相当夢とロマンの塊の如く、神話を語った。

その知人は「現実的に神社は人柱にされた人を祀る場所」と独特でストレートな現実を突き付けてきて…なんだか不思議な気持ちになった。

現実的に捉えると、信じられない話だから神話なことは少なからず分かってる。ただ漠然と思っていたのは、この人は天地無用で物事を見すぎて疲れないのだろうか?

というか、この人は物事を下(現実)で見てるのか?上(想像)で見てるのか?すごく人の感性が不思議に思えた。

そこまで天地無用に真っ直ぐ現実を見すぎると私は疲れる。

下(現実)ばっかり気をつけてると、上(想像)が見れなくなりそうで怖い。というかその知人は現実の世界だけに生きてる感じが否めない独特の感性がある。

だからこそ現実的なことに疑問を持っていて、知恵が豊富なんだろう。
知識ではなく。


だけど、その人との会話で印象深かったことが一つだけある。

「逆さに物を見ても中身がしっかりしていたら問題ない。」


私なりに言ってみた。

「完璧な人間はいないよ。」


その時知人がなんとも言えぬ顔をしていた。なんというかハッとしたような感じの。

前向きな姿勢、後ろ向きな姿勢がある。もちろん下向きや上向き、横向き姿勢はあっていいと思う。

人には人の感性がある。私は夢見がちなので、天地無用な生き方は出来そうにないけどその人を尊重したい。

だから、たまには空とかボーッと眺める時間を作ろうよと提案してみたが。相手がどう感じたかはまぁ置いておこう(笑)

ところで天地無用って下を重視するべき?上を重視するべき?どっちだと思いますか?

私はどの角度も好きです。「色んな人がいること」を「知ること」が楽しいと思っているので。

感覚的にその人が言いたいことはたぶん「お前は現実を見れないタイプだから色々と騙されるな!」ってことなんだろうけど。

ただ、私は騙される側の人間でありたい。今まで騙しまくったから。

と、言いながら人を利用してばかりだなぁ…
天地の有り様は人それぞれよ。



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