生きる為に生きてゐる
ピーター・ブルック追悼
演劇に関心の強い近頃は、ハヤカワの演劇誌『悲劇喜劇』を楽しみにしています。
1月号は追悼ピーター・ブルック特集でした。
巻頭に近いところに河合祥一郎さんと笈田ヨシさんのインタビュー記事がありました。
彼らは、演劇や芸術の枠にとらわれない表現を求めている。
そう感じてブルックの近くにいた笈田さんの表現に直接触れたいという欲求が湧きました。
笈田さんは現在、フランスを活動拠点としています。
いまの日本で笈田さんの関わる作品を観られないかと調べて辿り着いたのが『note to a friend』でした。
死にむかう論理
『note to a friend』は、国際共同制作の新作オペラで、アメリカの作曲家デヴィッド・ラングと笈田さんが演出家としてタッグを組みます。
この作品でラングは芥川の『或旧友へ送る手記』・『点鬼簿』・『藪の中』を題材に、“死との対話”を描きました。
題材の一つ『或旧友へ送る手記』は、芥川が友人の久米正雄に宛てた遺書とされます。
理路整然と死に至るための言葉が並び、まるで壁に飾る調度品を選ぶかのように服毒を選択した経緯が書かれます。
自死は生存本能を失うことで選びとれます。
芥川の言葉がけっして狂人のそれでないのは、むしろ人間の理性の対極にある野生の本能を捨てているから自死という選択ができたためであると考えられます。
(芥川はこの本能を「動物力」と呼びます。)
人間の知が及ばない死の領域に、人間が理性を用いて自ら足を踏み入れることができる。
その選択に人間の尊厳を見出せるのでしょう。
オペラと能
観劇を経て、これまで観てきたオペラとはかなり異なった新しい表現を見た気がしました。
舞台上にはヴォーカルのセオ・ブレックマンと黙役のサイラス・モシュレフィだけ。
私の中のオペラのイメージは、観客を物語の世界にいざない音楽を聴かせるいわば「与える」ものでした。
しかし、本作はテーマの"死との対話"を観客に体験させる双方向性の空間を強く感じました。
これには幼いころから能楽に触れていた、笈田さんの演出意図が強そうです。
そして、笈田さんの素地にある能楽は参加型の芸能です。
能楽協会HPでは下記のように能楽を紹介しています。
本作は笈田さんの試みによって、一方的に享受するエンタメではなく、観客の想像力によって形作られる芸術が実現されていました。
火が灯されやがて消える3本の蝋燭、持ち主を失った首輪など、舞台美術やモチーフが比較的分かりやすかったのも観客に参加する余地を与えていたためと考えられます。
穏やかで美しい空間
ラングの音楽の力は凄まじく思われました。
ただ、私が現代音楽を語る言葉を充分にもっていないことが悔やまれます。
「自死」をテーマとしているのに、重苦しさはなく、不安定な四重奏はなぜだか穏やかです。
(下記バーナー先のvideoから楽曲を聴くことができます。)
決して自殺者に限られた話ではなく、滑稽で救いようのない「人間」が賛美されていました。
ブルックの人間への飽くなき探求は笈田さんが引き継ぎ、きっと留まることはないと伝えられた本作。
生きる為に生きていると承知していても、生きる為に金を稼ぎ、生きる為に芸術を探し歩く日々。
そんな哀れな人間を美しく描こうという作品に出合えたことは私の生きる理由には充分なのです。