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『ガパオ』の裏テーマ

『ガパオ タイのおいしいハーブ炒め』の元になったZINE『自由なタイ料理 ガパオ』を出した少し後に(2022年10月)、「正しい『ガパオ』とは?」と題し、『なnD 9』という冊子に寄稿した短い文章を、編集部の許可を得てここに転載しました。

なnd 9

ここに書いた編集上の「裏テーマ」は、新刊『ガパオ タイのおいしいハーブ炒め』の底のほうにも、依然として流れているものです。

著者の下関さんと長らく共有している(2013年に下関さんをインタビューしたZINE『ferment vol.0』を制作してから10年ほど)、料理や食に関係する、ある抽象的なテーマが存在し、その一部についてワダ側の解釈で書き表したものでもあります。

『ガパオ タイのおいしいハーブ炒め』は、実用的なレシピ本であると同時に、全体としてわれわれの料理論、食文化論として読まれることを企図して編まれています。

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正しい「ガパオ」とは?

タイ料理家・下関崇子と共作した『自由なタイ料理 ガパオ』は料理写真が豊富な楽しいZINEだが、個人的な裏テーマのひとつは、料理における「正しさ」に対して疑義を呈することにあった。

タイハーブのガパオと一緒に具材を炒めてライスにのせ、目玉焼きを添えて供する料理を日本では短く「ガパオ」と呼ぶ。ただ、そのガパオがハーブ名であることを知らず、「スパイシーひき肉炒めのせライス、目玉焼きトッピング」を「ガパオ」であると誤解している人は案外多い。こうした事情からか、ガパオなしの「ガパオ」が提供されることもあり、SNSでは「タイ料理警察」と目される食通たちの「取り締まり」対象となっている。入手の難しさからガパオをシソやバジリコで代用するレシピもあるが、そうした「代用ガパオ」も批判されたりするのだ。

そもそも、正しい「ガパオ」とはなにか。料理における「正しさ」とは? ガパオが入らなければ「ガパオ」ではない。それは確かに正論だが、オリジナルをコピーする際に起こるエラーや、恣意的(もしくは必然的)な改変の連鎖よって多様性を育んできたのが食文化ではないのか。イタリア料理が「日本の洋食」化したナポリタンは言うに及ばず、日本食の象徴のように見られている江戸前の握り寿司ですら、ルーツであるナレズシの乳酸発酵による飯(いい)の酸味を酢で代替する簡略化に端を発している。

あるモノ、コトの正しい姿を求めてその発祥に遡ると、そこはコピーのエラーや文化の混交に満ちており、永遠に「正しさ」にはたどり着けない。こうしたポストモダンめいた物言いは、例えば音楽などにおいては普通だが、こと食においては素朴に「正しさ」を信じる人たちが多いのだ。

『なnD 9』より

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『ガパオ タイのおいしいハーブ炒め』
下関崇子 著
ferment books 刊


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