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クラウドファースト

本日は、皆様方に、今こそ新しいコンテンツデザインを考えるタイミングだと呼びかけるために来ました。
本当に世の中が変わる時、徐々に変わろう、様子を見よう、と不心得な考えを持ちがちですが、初期段階ではクラウドファーストを徹底するのが近道だと思っています。

これはよくお見せする図なのですが、テクノロジー、ビジネスモデル、コンテンツデザインが三位一体になって新しい市場ができていくという見解を示しています。

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重要なのは矢印の方向です。
ゲームといってもここではコンピュータゲームを論じるわけですから、テクノロジーが起点になります。勿論、テクノロジーで全てが決まるはずはないのですが、その時点でのテクノロジーで何が実現するのかを見極めた上で、ビジネスモデル、コンテンツデザイン、あるいは各々の組み合わせを考える必要があるという事です。
これが大前提。

ここではゲームデザインについての議論をします。

どうせ誰かが作っていた

ゲーム開発に携わっている人からすると、なんて失礼な事を言うのだろうと思われるかもしれませんね。
ドラゴンクエストという国民的タイトルがありますが、もしも堀井さんがいなかったらRPGは生まれなかったのか、あるいは日本でこれだけの人気ジャンルにはならなかったのか、と言うと、そんな事はないと思います。
そもそも産まれる必然があったという事ですね。
レジェンド達をディスりたいのではなく、流れを押さえさえすれば、皆様方に均等に大きなチャンスがある事をお伝えしたいのです。

ゲームデザインが、その都度のテクノロジーにいかに規定されていたかを振り返ってみたいと思います。同じく変化への切り替えがいかに困難であるかも見ていきます。

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1980年代中盤

70年代コンピュータゲームが入ってきてアーケードゲームが一段飛躍します。そして80年代半ばに家庭用ゲーム時代が始まった。
いつの時代でも新しいものは懐疑的に見られ、それまであったものが正当化されます。
この頃もそうでした。

当時のアーケードゲームと比較すれば家庭用ゲーム機の性能は劣っており、あんなオモチャなどは話にならんと言われました。
また、アーケードゲームはゲーム毎に筐体を作りますから、レーシングゲームであればハンドルですし、飛行機であれば操縦桿がついている。ところが、ファミコンは一種類のコントローラー。こんなんじゃゲームの実感がわかない、とも言われました。
さらに、当時を記憶している方は少ないかもしれませんが、TVにビデオ等の差込口はありませんでした。感電するのは怖いからコンセントを抜いて埃だらけのTVの裏側に回り、アンテナを取り付けるあたりに配線してゲーム機を設置していました。そんな面倒な事誰もするわけないだろ、こんなもの絶対に流行らない、とも言われていましたね。
ところが結果は御覧の通り。
この時期に、周りの雑音を気にせず、家庭用ゲームファーストで臨んだ人達が、結果的には勝ちました。アーケードゲームで出来なかった事を究めた人達。

出来なかった事、つまり出来るようになった事とは何か。

まず、家庭用ゲームは個人で独占でき、データのセーブ機能もありましたから、長時間プレイができる。初めてゲームにストーリーを入れることが出来たのです。ドラクエをクリアするためによく徹夜しましたよね。ドラクエ2の復活の呪文はセーブデータのパスワードですから象徴的です。
アーケードゲームは導入で数秒、プレイ時間数分でしたから、全く異なるゲーム体験。日本の場合、喫茶店のテーブル筐体も出てきており、個人独占もどきの前哨戦があったため、ゲームにストーリー性を持たせても、ユーザーがすっと入っていけたのかもしれません。

また、文句を言われたコントローラも、思わぬ価値を出してくる。
どのゲームにも対応する汎用性を持たせていたため、操作方法が収斂してきて記号化が進み、UIがすっきりしていった。その後の複雑な操作を可能にする土台ができたと考えられます。
マリオに代表されるプラットフォームゲームも人気がありました。十字キーとボタンにぴったりの操作。コントローラの仕様に規定され、縦横スクロールのアクションゲームが流行りましたね。もしもジョイスティックが定着していたら、円軌道や斜め方向に面白さのあるデザインが主流になっていたかもしれない。

1990年代中盤

さて、90年代半ばになると、プレイステーションを嚆矢とする「次世代」ゲーム機戦争が勃発します。
ゲーム機の処理能力は同時代のトップクラスのPC並みで、描画においてはこれを遥かに上回る水準。リアルタイムの3D描画が可能になりました。メディアも従来のROMカートリッジから光学ディスクになったためデータが大容量になり、映像、音声ともに各段にリッチになった。

この時の批判勢力代表が、前世代にアグレッシブに活躍していた任天堂さんだから面白い。
歴史は繰り返すので、皆さんも肝に銘じてくださいね。

曰く、CDからの起動は遅すぎてゲーム体験を損なう。
曰く、顧客が求めているのは面白いゲームであり、映像のリッチさなど邪道だ。そもそも映画の単なる劣化版で、ゲームは映画のようなメジャー産業にはなれない。
任天堂さんは、他社が32bit機を販売している頃にニンテンドー64をリリースしますが、この時ですらROMカートリッジでしたからね、どれだけこだわっていたかです。尤もこだわりの動機はビジネス面だと推測されますが、本日のテーマではないのでここでは触れません。

実際にはユーザーの期待は3Dに寄せられ、以降十数年間、ゲーム業界は、ユーザーが映画の中にいるようなゲームの開発に血道をあげます。
ファイナルファンタジー7(以下、FF7)が衝撃的な登場をしたのがこの頃です。スクウェアに限らず、思い切って3Dに振り切ったスタジオから時代を牽引するタイトルが出てきます。メタルギア、バイオハザードなんてのもそうでしたね。
3Dタイトルは時代の主流になり、ゲーム産業は、映画産業との相乗効果も得て拡大していきました。

この頃は、おそらく最も分かりやすくコンピュータの性能が向上していったタイミングで、ゲームも年を追って、見た目、触り心地が進化していきました。
進化が直線的だったので、初期に波に乗ったスタジオは、タイトルの改良に邁進します。FFでいえば、7でやりたかった事が、だいたい10で完成した。
逆に言えば、初期から技術に注力したか、それらを組み従えるだけの資本力を持たない限り競争に勝てなくなっていきます。
つまり新規参入者の参入障壁が、時を経てどんどん上がっていきました。オープンワールドゲームを切り開いたグランド・セフト・オートなど、シリーズ最新作は、もうどこから手を付けたらいいか分からないくらい凄いことになっていますよね。

クラウド時代は、ユーザー側に目立った投資を強いる事なく環境が進化していきますから、家庭用ゲーム機以上に早く時代が進んでいく可能性があります。ゆめゆめ乗り遅れないように。

2000年代中盤

さて、2000年代に入るとインターネットが浸透していきます。
ここでもまた同じ光景が見られました。

映画的なゲームを作っていた人達は、自分の作った最高の世界を味わって欲しかった。カメラワーク、タイミング、ストーリー全てをコントロールしたかった。ところが、オンラインゲームでは、ユーザーの自由度が高く、開発側の思った通りにはならない。また、初期はまだ技術的な難点が多く、見栄えが悪かったですね。そこで、例によって前世代の開拓者が守旧派に変貌します。
こんなクオリティではゲームとは呼べない。

そうは言っても、ゲーム体験の新しさは明らかでしたから、特に海外パブリッシャーはこぞってオンラインゲームに参入します。
ところがね、確信が持てないので中途半端な事をするわけですよ。シングルプレイのゲームにおまけとしてオンラインモードを入れるというやつ。こんなものが当たるわけがない。私もやらかしましたが・・

結局オンラインに振り切ったところが勝った。
2000年代は First Person Shooter が席巻しましたね。
この時期もコンピュータの処理能力は着々と向上していきましたから、技術革新を楽観的に信じて大胆に取り組んでいたゲーム開発スタジオが良い仕事を残しました。技術革新の風を帆に孕んで進む感じ。日本勢が欧米勢に大きく水を開けられた時期でもあります。

ガラケーからスマホになった時も似たような現象が観察できます。
スマホはタッチパネル。インプットとアウトプットとが同じ画面上にある初めてのデバイス。ガラケーでそこそこ稼いだ人は腰が引けましたね。従って、ガラケー移植のポチゲーと言われるUI。
ここでも振り切ったタイトルが勝ちます。
最初はアングリーバード。タッチパネルを活かしたパチンコのような操作感と高い処理能力を活用した2D物理演算。パズドラもそうですよね。
私もあまり他人の事は言えません。実はスクエニでもそうでした。私がスマホシフトを叫んでも、現場が微妙に忖度して、結局想定より1年遅れた。私のリーダーシップ不足でしたね。

こうして振り返ると、常に、テクノロジーの流れに素直に乗った人が勝っています。その意味では、先ほど申し上げたように、大手、新参関係なく、皆平等にチャンスがあります。ただし、初期時点で成功したいのであれば中途半端にやらないこと。

「**ファースト」の気合で臨んだ人にこそ女神は微笑むんです。


クラウドゲームの発展段階

今般の大変化は非常に広範囲なのですが、先日、google による Stadia の発表もありましたから、クラウドにフォーカスしてトレンドを追ってみます。
コンピュータが新しい形になり、人間とコンピュータとの関係が変化する中で、クラウドは重要な位置にありますから、クラウドに視座を固めて考察することは無意味ではありません。

最初の図。

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ゲーム機だけがデータセンターに移動した姿。なお、図の中の2010年というのは、この時期に動きが始まったという事であって、普及したという意味ではありません。以降の図でも同じです。
OnLive、Gaikaiの登場がこれに当たります。両社ともソニーさんが買収し、現在のPS Now に至っています。

クラウド0.1。
1ですらないという意味ですが、別にソニーさんをディスっていませんよ。始めたのは偉い。
でもこれは、ゲームのディストリビューションに着目した発想でゲームデザインに何も影響していません。

翻って価値の軸には、面白さと便利さとがあります。
エンタメは前者を追求するものですが、この場合は後者に訴求しようとしています。だから根本的に難しい。
コンテンツが変わらないのに無理やりクラウド環境を使おうとするため、レーテンシー、コストの問題等、デメリットしか浮上してこない。

2015年くらいからが、クラウド1.0。クラウドゲームだからこそ出来る事に着目し始めました。
シンラ・テクノロジーはまさにこれ。

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実は、スクエニの社長時代、2010年くらいから、脱クライアント、すなわち、ブラウザでのAAAタイトルとクラウドゲーム双方の検証を始めていたのですが、あくまでもコンテンツメーカーの立場からでした。
ところが、大きな期待を寄せていた2011年E3での OnLive の展示に失望し、自分でやるしかないかなと思いました。先ほどの話です、彼等はディストリビューションにしか着目していなかった。

スライドでは雲の中のコンピュータが大きくなっていますね。クラウド側であるが故の価値を見出そうとしていたという意味です。

一つはオンラインゲーム提供の大衆化。
オンラインゲームを開発、運営する際には、サーバーを介して複数クライアントで同期し、ゲームを動作させようとするために、艱難辛苦が降りかかってくる。いかにこれが大変かを書いたのが、中嶋さんの「オンラインゲームを支える技術(日本評論社、2011年)」ですね。ところがクラウドゲーム仕様にすれば、無理することなく新たなゲームデザインの開発に注力できる。同じく中島さんは最近「クラウドゲームをつくる技術(日本評論社、2018年)」を出版しました。両著書の差異が新たな価値なんです。

もう一つは、スーパーコンピュータ。
クラウドコンピュータは複数ユーザーで共有しますから、とんでもない能力を持たせてもいい。また誰も電源を切らないので付けっぱなし。AIにフィーチャーした「自律的世界」をクラウド内で実現したら面白いと考えました。
残念ながらシンラはなくなり、何も起きなかった。経緯は面白い話なので後で語ります、初公開ですよ。

さて、そこで先日のGDCです。あの google が Stadia を発表しました。数年の時を経て日の目を見た。あ、これってありなんだと、皆注目しました。シンラ時代にはたいした反応ではなかったのに、世間なんて現金なものです。
今年のE3以降は見ものです。おそらく、準備していた各社がこぞって発表してくるでしょうね。ようやくクラウドゲームが始まった印象です。

その次が、クラウド2.0。

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「ウェブ2.0」以来、まぁだいたい2.0がバズります。おいしいですよね、流れ的に。
なぜ2020年かとの理由は、その頃になるとインフラが整うからです。
先程の Stadiaは、YouTube の視聴者が友人のプレイを見ていていきなりゲームにジャンプインするといったプレゼンをしていました。これは素晴らしい体験ですよね。
ただし、これまでのゲームの延長なんです。マルチプレイの開始の仕方が根本的に変革されるという事であって、ゲーム自体は変わっていません。

クラウド2.0は違います。
ゲームに対するユーザーの関わり方が多様になる。
多様な端末からゲームに参加するだけでなく、一つのゲームに多様な参加の仕方をするようになる。結果、それを前提としたゲームデザインが創造される。ここが1.0と決定的に異なります。

ユーザーはそもそも、そんな事を望んでいるのか、という疑問が出てくると思います。
視野を少し広げて見てみましょう。

ゲーム市場はこれまでゲームプレイヤーの市場だったのですが、私は、今後はノン・プレイヤーに広がっていくと考えています。ユーザーの定義の拡張ですね。これは後ほどお話しします。

さて、その次は何が来るのでしょう。クラウド3.0。

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図では、コンピュータがあるべきところに脳のようなものがあります。しかも大きくなって、周りを侵食している感じ。AIの進化を表現しているだけではなく、我々が自らの脳の一部をコンピュータに委ねていく姿をイメージしています。
また、クライアント側のアイコンを見てください。2.0までは全てスクリーンがありました。視聴覚に訴えていたわけです。3.0になると少々事情が変わる。身体の全感覚、さらに環境そのものに直接コンピュータが繋がっていきます。

デジタル世界とフィジカル世界が融合した世界。これをシンギュラリティと呼ぶのかもしれません。とにかく、コンピュータと人間はもはや対峙せず、共棲の関係になるという事です。
私は、昨年(2018年)末に「ポストテレビゲーム」と題する論考を投稿しました。ゲームの拡張です。3.0時代のゲームはもはや「テレビゲーム」ではない、未来に備えよ、というメッセージでした。

さて、タイミングは2025年?と書きましたが、これは?だけでも良かったですね。全くわかりません。もっと遅いかも、あるいは早いかもしれないという意味も含め、分からないと断言します。
過去40年のPCの歴史は、一つの端末に全ての機能を入れ込むデザインの追求でした。これを実現するためには、水平統合モデルという産業界のイノベーションが必要だった。デザインルールは良好に機能し、各要素の革新がインテグレートされていった。
今回の大変化では、これと同等のビジネス・イノベーションが必要になります。
ところが、コンピュータの機能がアンバンドルされて成立する新時代では、複数の分野の専門性を持っていなければ設計ができません。過去40年、要素技術の進化を旨としてきた企業組織にとっては大変なチャレンジです。
ただし、例え偶然がきっかけになったとしても、イノベーションが起きた瞬間に世界のすべてが抜本的に変わりますので、準備は必須です。


インタラクティブ・ストリーミング

次に、クラウド同様に重要な構成要素である無線通信環境のトレンドを見てみます。

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我ながら雑なスライドですね。でも、これくらいでいいんですよ。

GPSを例に採りましょう。
原理は朧げに知っていれば十分。要するに時差の三角測量という事ですね。衛星での時間は地上の時間とは異なりますから補正計算が必要で、文系の私には理解不能です。また、地上で wifi で補完すると精度が上がるの事についても正確な根拠は説明できません。
しかしながら、企画屋にとって重要なのは、原理よりも、GPSの精度です。
誤差十数メートルの時代なら、ナビゲーターに使えます。2、3メートルなら建物内の位置も特定できますから、マーケティングにも活用できるでしょう。数十センチまでくれば個人やモノを特定できますから、行動特性も炙りだせます。
ここが肝心。逆に言えば、精度の進化は丹念に追っておかなければ痛い目をみます。
私の考える企画とテクノロジーの関係です。もっとも、自らが企画屋ではなく、開発の主体、運用の主体になる時は別ですよ。

無線通信も同じ。
3Gになって、テキストだけではなく、画像が綺麗に送信できるようになりました。以前からPCでは出来ていたのですが、無線であるが故にスマホにその能力が解放されました。何が起こったか。受信ではなく、発信が激増しました。
4Gになると、今度は動画配信も可能になります。
現在TikTokの勢いがもの凄い中国では、4G開始と同時に何社もの会社が立ち上がり、ブロードキャスター(当初 YouTuber に相当する単語として使われていました)にフィーチャーしたサービスが続々と現れ、わずか2、3年で、ユニコーンどころか1兆円企業が数社誕生しました。
5Gでは、これがインタラクティブなるでしょう。
インタラクティブ・ストリーミング。内容はこれから皆様方と一緒に考えていきたいと思っています。GPSの精度が10センチになったら何をしようかという話ですね。


ノン・プレイヤー

先程のノン・プレイヤーについて少し話します。
「ポストテレビゲーム」に記載しましたのでご興味のある方はそちらを読んでください。ここでは駆け足で説明します。

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過去40年のゲーム産業史は、ユーザー層拡大の歴史でした。
いわゆるコアゲーマーから始まって最後はソーシャルゲーマーにまで拡大した。ここでいうソーシャルゲーマーとは、ソシャゲユーザーという意味ではありません。喫煙者ではないが、飲んでいて友人に勧められた際に1本だけ吸うというソーシャルスモーカーの意味です。
さて、いよいよゲーム産業も天井に届いてしまったかと世間は思っているのですが、私は違う意見を持っています。ゲームプレイ以外のゲームへの参加がある。この市場が次のゲーム産業のフロンティアになると考えています。既に、e-sports、ゲーム実況で萌芽が見られますね。

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この図は現在の状況。e-sportsの観戦者をオフ・プレイヤーと名付けてみました。
League of Legends 等、見ても、ゲームをプレイした経験がなければ何をやっているのかさっぱりわからない。つまり、観戦して盛り上がるという事は、プレイヤーがプレイしていない状態で観戦しているという事です。従ってオフ・プレイヤー。これでは市場は拡大していません。
先程の Stadia も同じです。ストリーマーの観戦をしながらゲームに参戦するのは素晴らしいけれど、従来ゲームの延長で、ユーザーの定義がプレイヤーの範疇を出ていない。

今後は、こんな図。

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最終的には、作る側も市場に、つまりマネタイズの対象になってくるはずです。ここまでの市場の広がりをイメージした上でゲームを設計する事が重要なんです。
まずは、プレーヤー、ノン・プレイヤーを含んだユーザーの多様な関わり方を演出するところから始めるのがお勧めです。

最後に一つヒントをお伝えします。
ゲーム産業は、その都度隣接産業に引火して爆発します。
90年代後半以降の映画業界などは典型例でしょう。
2000年代中盤以降はSNS。facebookの軒下を借りて飛躍したZyngaが先陣でした。現在のスマホゲームもこの流れの一環で成立しています。
それでは2015年以降の隣接産業は何かというと、ライブストリーミングだと思っています。
まだ引火しているとは言えない状況ですが、デジタル加工して発信し、ユーザー間のインタラクションが発生するという本質から言えば非常にゲームに近い。昨年ブレイクした VTuber などは、私から見れば次世代ゲームのプロトタイプの一つです。


シンラの企みとクラウドゲームの可能性検証

ここまで駆け足で皆さんを煽ってきましたが、一度冷静になってみましょうか。順番に検証します。

インフラ環境

これは、タイミングの視点と同義です。。
和田はシンラの時から同じような事を言っているけど、理念先行が過ぎるんじゃないの。
こんな囁きが聞こえてきます。
大丈夫です。そこまでアホではありません。

シンラの時にはインフラが整っていませんでした。
データセンターにはGPUを実装したサーバーがなく、光ファイバー浸透にはムラがあり、CDNは機能不足で、5Gは未だ企画段階。一気通貫繋がって初めてインフラ整備といえるのですが、これがなかった。
各要素につき、当然各社独自の経営判断で投資をするのですが、各々、方向には確信が持ててもなかなか踏み込めない。この状況を打破したかった。
クラウドゲームという最良のユースケースがあると宣言し、IT各社の自社設備投資を促し、ゲーム屋さんにとって好都合に要素間を接合する事が狙いでした。
真の目的は環境整備と同時進行で新たなゲームデザイン、ビジネスデザインを模索し、整備完了直後から、ゲーム産業がロケットスタートできるようにしたかったのです。90年代ゲームコンソールの時代には普通に行われていたアプローチなので、特段斬新な発想ではありません。

広告の資金もありませんからアナウンスメント効果を狙い、誰でも一発でイメージできる社名にこだわりました。だからシンラ(FF7の主人公がクラウドで、敵方の組織の名前が神羅、ダジャレです)。サードパーティも想定しての方便です。

私が社長時代に基礎的な検証は進めていたので、辞任後、一事業本部長として、インフラ整備の要になる会社の設立とコンテンツ開発費と二つの予算の決議を獲得しました。
ところが、決議の数か月後、スクエニ経営陣が突然、内々にコンテンツ開発予算は取り消すと言い始めた。ユースケースを謳いながら各分野の最大手を巻き込んでいく戦略なのに、コンテンツ予算を切られたら致命的です。
さらにご丁寧に、シンラ・テクノロジー設立発表と同月に、スクエニはDIVE IN(スマホ向けクラウドサービス)のローンチを発表します。
シンラにおいてクラウド1.0を訴えていたにも拘らず、親会社はクラウド0.1を一押し。しかも環境未整備の状況であるにもかかわらずスマホを対象にしていたため、タッチパネル、無線でさらにレーテンシー、不安定さの問題がむき出しになる。必然的に半年をおかずDIVE INはサービス終了。
これでスクエニがシンラをサポートしない事が天下に明らかになり、案件推進に支障が出始めました。「戦略的提携」という単語が封印されたわけです。

各要素最大手と交渉していた中の一つが、米国における光回線確保として当たっていた google fiber。Stadiaはその時の担当者が立ち上げていますね。

さて、シンラは不幸にも何一つ実行に移す前に解散になりましたが、発表から5年が経過し、いまやインフラが整備されました。時代の必然ですから整備は当然なのですが、やはり自然体では時間がかかりましたね。

コンテンツ

焦るべきはコンテンツです。ここ数年、誰も着手していなかったので、一気に進めなければなりません。ごく短期で試行錯誤を繰り返すためには、一点突破、振り切った発想が必要です。
先程も申し上げましたが、今回は、定着するまでにどれほど時間がかかるかわかりませんが、いったん定着したら恐ろしいスピードで進化していくと考えられます。これまでのITはクライアント中心なので、ユーザーにおける設備投資の判断というプロセスがあったために速度制限がありましたが、クラウド環境では業者がどんどん革新を促し、ユーザーに有無を言わせず事後的にチャージしていきますから、滑らかに進化する。
一点突破のコンテンツは、革新が定着すればあっという間に総合力のあるコンテンツに駆逐されます。他方、初期を牽引したコンテンツだけは、一点突破であっても最後まで残ります。今のスマホゲーム市場を見れば、皆さん実感できると思います。
だから、早く試した方がいい。

ユーザーから見た障壁

次にユーザーが置いてきぼりになるのではという状況を検証してみますね。
これも「ポストテレビゲーム」に書いたのでご興味のある方はそちらで。端折って言えば、過去40年間は、ユーザーのゲームに対する投資額がひたすら下がっていった、つまり障壁がなくなっていった歴史です。
アーケード時代には一つのゲームに数十万円の投資が必要だった。従ってゲームセンターのオペレーターが介在して市場が成立したんですね。それが今ではスマホ。ハードに関しては、もはやゲームをプレイするための特殊な投資は不要です。ソフトもフリー・トゥ・プレイ(基本無料の課金モデル)になって入り口は無料。もうこれ以上ないくらい障壁が下がりました。
VRがなかなか盛り上がらない理由はここにあります。
4年前、新しさ故に、ベンチャー・キャピタルを中心に、VRは次のゲームのプラットフォームだと大はしゃぎしていましたが、今ではすっかり熱狂は収まってしまいました。障壁ゼロ地点に慣れてしまったユーザーが、いきなりハードだけで数万円、遊べるソフトも限られている状態にどう反応するかは明らかだったはず。ゲーム産業で言えば家庭用ゲームが普及する前まで時代が戻ったと言えます。
だからダメと言っているのではないですよ。現時点では、ゲームで言えばアーケード等、業者を介するサービス展開がスムーズでしょうし、コンシューマよりも産業用として活用する方が伸びていくのだと思います。そうしている間にヘッド・マウント・ディスプレイが革新するでしょう。
ブロックチェーン・ゲームもそうですね。
そもそも暗号通貨をどのように入手するかで既に障壁です。ゲームデザインもまだブロックチェーンの特質を活かしたものが出てきていない。注目すべきですが、いきなり何かが起きるとは考えにくいですね。

他方、クラウドはどうでしょう。
クラウドは、理屈は小難しいのですが、ユーザーに対して追加的な障壁は何もありません。この観点では40年の歴史の延長上にあります。
たった一つのネックは、クラウドファーストのゲームが世に出るか否かです。

市場性

縷々話してきましたが、ユーザー定義の拡張が鍵になります。一つのコンテンツに対する多様な関わり方をどのようにデザインするか。それが全てです。
ノン・プレイヤーのマネタイズの中心は、これまでのモデルから、ギフティング、ベッティングにシフトしていくでしょう。コンテンツと密接に関わったビジネスモデルであれば、ユーザーは受容してくれると思います。

さて、これで本日の私の話は終了します。少しでも作ってみようかと思っていただけたなら、ここに来た意味があります。
ありがとうございました。


*以上は、2019年4月19日、日本マイクロソフト株式会社の場所をお借りして行ったセミナーにおける講演録です。当日は時間がタイトだったため、本稿では加筆修正を施しています。

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