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マリスのロゴデザインが出来るまで②

- なぜ福祉機器をデザイン(設計)しようと思ったのか? -


なぜ九工大でそのまま福祉機器の研究を続けなかったのか?

九工大でそのまま福祉機器の研究を続ける道もあったと思います。
しかし、そのまま大学には残りませんでした。
なぜそのような道を選んだのか?
その想いに至る経緯も書いて行ければと思います。


大学院が新設で先輩も後輩もいませんでした。

一つ説明として、
私が進んだ九州工業大学の生命体工学研究科は、
新しい研究科でした。
私が1期生です。
そして、私が所属した和田親宗先生は、
新任のため、先輩も後輩もいませんでした。
本校(戸畑)や情報(飯塚)から移動する先生は、
元々学生もいますが、我々の研究室は1年目は、我々同期だけでした。
それで何が起こるかというと、研究テーマがないのです。
元々和田親宗先生は、
テーマから考えたければ新しいテーマからやってもよいという先生です。
しかし、我々は、そもそもテーマがないので、
自分でテーマから考えるということになります。
これが今から考えると最高にいい経験でした。
ちなみに生命体工学研究科は、
「学術研究都市ひびきの」という中にあるのですが、
初年度はまだ校舎も出来ていませんでした。
そのため、我々は、
北九州市立大学の1部屋の中に学生も先生も一緒に入っていました。
教官室ももちろん無かったのです。
サボっても、筒抜けです!?
今考えると、我々1期生が先生との距離が近いのも
そこからきているかもしれません。


大学院では研究テーマから考えることができました。

「研究テーマから考える」書けば単純ですが結構大変でした。
半年ぐらいはかかった気がします。
同期も同じくです。
自分で、障がい者団体などにアポイントをとり、
自分で話しを聞きに行って、
課題を見つける。
今考えれば、起業に似てると思います。
しかし、皆さんやさしいのでいきなり連絡しても、
みなさん話を聞いてくれて、
お話させてくれました。
そして、先生に聞いてきた内容や考えたことをレポート書いてだして、
ダメ出しをくらうという、、、。
その繰り返しでした。
今考えるときつかったですが、
かなりいい経験でしたし、
他の研究室ではなかなか味わえない経験だと思いました。
ずいぶん昔ではありますが、
このときの経験も起業への思いや、
事業計画たてる時に役立っていると思います。

就職して技術を学ぼう!

そこから研究を行っていましたが、
研究を行っている内に、進学を考えてきますが、
そこから残るか就職するかの選択肢になります。
今考えるとこれが、海外であれば、
大学に残るという選択肢も考えていたかもしれません。
しかし、私としては、
そのときから、将来的には、
「自分で考える福祉機器を開発して世の中に出したい!」
という想いがありました。
特に日本の研究室では、
開発ではなく、
論文を出すのが重要になってきます。
もちろん、海外でも
論文を出すのが重要というのは変わらないのですが、
企業とコラボしたり、
研究室自体が発売も見据えて、
研究→開発に入るところも道筋を立てるというのが
ほとんどないと思います。
その時点の私としては、
まずは就職して技術を磨こうという想いが強くなってきました。
そして、まずは就職して、量産できるような技術を磨いて、
そこからまた福祉機器に戻ってこようと考えるようになりました。
その時点では、起業までは考えていませんでした。
研究室に戻るか?
福祉機器を開発している会社に行くか?
などと考えていました。


全力で就職先で働く!

そして、まずは就職先として、
日立に行き、とりあえずその間は、
福祉機器のことは忘れて、
全力で働くということに注力することにしました。
この就職時の年数/経験がロゴデザインの一翼を担っています。
このあたりの話は次に書きたいと思います。

少し長くなりましたので、この先はまた別途書きたいと思います。

最後に

Twitter始めました!

ロゴデザインの話の1回目は下記です。