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【教師辞めたい】埼玉県教職員だった私が教師を辞めた理由【教育開発研究所「教職研修1月号」への寄稿記事公開】

1.埼玉県O市立某中学校の実態記事寄稿の経緯

「教職研修1月号のわたなべさんの記事、読んだよ!」
教育開発研究所様の刊行誌「月刊・教職研修1月号」に寄稿させて頂いた記事の反響を、この春、多くの方々から頂きました。

同誌ご担当者様から「学校ハラスメントの実態について文章を書いてほしい」とご依頼頂き寄稿させて頂いた経緯については、過去にもnoteでお話したとおりです。

わたしは普段のほほんとおうちフリースクールを運営している人間なので、今回の”作文”の執筆についてはかなり悩みました。
「イメージ悪くなっちゃうかなぁ」とか、「仲良くして下さっている方々がひいちゃうんじゃないかなぁ」とか、結構考えました。
でも、最終的にお引き受けすることに決めました。

大切なことなので先に断っておくと、私は別に埼玉県や、加害者側の元上司や、O川市教育委員会に報復がしたくて執筆活動を続けているわけではありません。

闘うことが目的ではない。

本件について弁護士の先生に相談したことはありました。

客観的な意見が欲しかったのです。

その際「これはかなりヤバイですね」と勇気づけられる一言を頂くも、最終的には市教委の先生方に「この市ではもう二度と同じことが起きないように指導改善をよろしくお願いします」と請願するにとどめ、法的措置には踏み出さなかった点からも私の思いをお察し頂ければと思います。

まぁ確かに最後に勤めた学校の職場環境が健全なものであったなら今も公務員としての安定した職に就き続けることができたので、その点においては「なんだかなぁ」という思いはあります。

が、勇気を出して学校教育を飛び出すことによって私が手に入れることができたものの大きさを考えると、すごく変な言い方ですけど「私に好機をくださってありがとう」とさえ、最近では思っています。


ではなぜ、私は今も書き続けるのか。

今わたしが埼玉県の職員室事情をリークし続けたところで、公務員としての安定した身分も、学級担任としてクラスの子ども達と笑い合っていた日々も2度と返ってはきません。

もう、2度と。

それでも今回、書きました。

私はよかったんです。学校を飛び出しても自分のやりたい教育を続けることができたから。

でも、「学校で教えたい」という先生には、やっぱり最後まで学校で活躍してほしいんです。

にもかかわらず、残念ながら私の思いは届きませんでした。

私が退職を決めた学校からは、私の後にもハラスメント等を苦に退職されたり、体調を崩してしまう先生が相次いでしまいました。

私が沈黙したせいで。

学年をまとめる立場の教師による、若く志ある先生への悪質なイジメ

かつて子育てを経験したはずの教員による、若い子育て教員への嫌がらせ

教員が集団になっての特定の先生への無視

変わろうとしない管理職への抗議の意を表し去っていたベテラン。

被害者が一人なら、被害者にも何か落ち度があるのかもとも思う。

でも、私が認知しているだけで被害者が4人も。これは多すぎる。


だから私は、もう黙らないと決めました。

そんなこんなで、今お仕事でお世話になっている先生方から「読んだよ!」とお声頂くときには、いつもどこかバツが悪いような気持ちになり「すいません、なんかすいません」とぺこぺこ謝ったりしています…。


2.記事の内容

さて、問題の掲載記事の作文についてです。
ときは4月ですし、そろそろ公開してもいいかなということで、本記事の末尾に載せさせて頂きます。

掲載した作文の内容は、私が埼玉県教職員になり、経験人事で異動した先の学校で現実に起こったことです。
ナイーヴな内容でもあるので、「これは簡単には公表したくない」という内容はカットしました。表現もソフトに変えているところがあります。
ネット上においても実名顔出しでやっていくと決めて活動しているので、ご理解頂けるとありがたいです。
また文字数の制限の関係で、問題提議と本当にざっくりとした概要のみの構成となっています。


3.学校に響く不協和音に敏感になるということ


掲載記事のご紹介に入る前に、今も学校にご勤務中の若い先生方にお伝えしておきたいことがあります。

(1)小さな違和感を見逃さないこと

それは”小さな違和感を見逃さない”ということです。

おかしな学校というのは、後から振り返ると「やっぱり最初から変だったよね」と思うような違和感があちこちにあるものです。

もう、赴任初日から何かがおかしい。

生徒のこと、そんなバカにして笑う?

とか

今のオッサン先生の発言、完全アウトだよね?

とか

なんだかあの人の視線はじっとりとしているな

とか。

そのときは「気のせい」と流すのですが、最後の最後に「あぁ、そういうことだったのか」と合点がいく、それがハラスメントの特徴なのかなと、今では思います。


(2)記録をのこす

私のひとつの反省は、とにかく記録を残しておくこと。
これに尽きます。
ちょっとでも違和感を感じたら、録音等の記録をとることを始めて下さい。
ドカン!と爆発的な何かが起こる前には、必ずカウントダウンがあります。
私のようにカウントダウンの段階でのほほんとしていると、本爆発で傷を負っても手遅れです。
でも、記録があれば話は変わってきます。
「勤務中にレコーダー携帯するとかありえないでしょ笑」
そう思いますよね?でもね、こんなバカバカしいことがマジメに必要なんです、本当にまずい学校というのは…。

(3)何があっても信念だけは曲げないこと

そして、感じた違和感を大切にして下さい。
無理して違和感だらけの学校の空気に染まる必要はありません。
ヘンな空気に染まってしまうよりも、あなたがあなたらしい教育観を失わずに教師として望ましい成長を続けることのほうがよっぽど大事です。

上司が発する生徒・同僚についての品のない悪口に無理に笑って賛同してあげる必要もないし、オッサンたちのセクハラ発言・行動に対してニコニコ大人の対応をする必要もありません。
教師である以上、あなた自身がブランドであり、あなた自身が品質そのものです。
何度でも言いましょう。私達は生身の人間、教師なんです。
テクノロジーが如何に進化しようとも、最後まで人間が担うしかない数少ない職業といわれています。
何があっても、質の悪いAIみたいなつまらないコマになり下がらないでください。
あなたは、あなたの教育観を磨き続けられる最善の環境に身を置くべきです。

私は残念ながら埼玉県教職員の退職という道を選びましたが、「私と同じ道をたどる羽目になる若い先生を二度と出したくない」という思いだけは諦めていません。
若く、力のある先生方には、一人でも多く現場に生き残って頂き、子ども達の未来を支えてほしいという思いがあります。

前置きが長くなりましたが、下記に掲載記事を残したいと思います。

私の体験談が、今後の日本の教育をよくしていくための議論のきっかけになれば嬉しいです。


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4.「埼玉県公立中学校でのハラスメントについて」記事全文(一部加筆修正)

埼玉県教職員をしていたころ、自律神経の乱れからくる高熱に悩まされるようになりました。校長に休暇を申し出たところ「医者に風邪をひいたと嘘をついて解熱剤をもらい出勤しろ」と繰り返し強く命令されたほか、連日私の家の前に車をとめて「今日も君の姿を見ていたよ。〇色の服だよね?どこに行くところだったのかな?何をするための外出だったのかな?」と電話をかけてくるようになりました。不審極まりない態度はエスカレートし、密室で「うるうるおめめのうさぎちゃん」と呼ばれるようにまでなりました。その他、ここに記載するのもはばかられるような内容は割愛します。
この学校では健全な教育活動を続けることはできないと考え、私は退職を決めました。市教委にも報告しましたが状況は改善されませんでした。埼玉県ハラスメント相談窓口の担当者からは「真実であれば非常にまずい案件。O川中学校での教職員間ハラスメントの事案については他にも複数問合せを受けているので県教委には報告を上げておいた。しかし県としてできることはこれ以上何もない」と言われました。その後も、この学校では私の他にも複数名の他の女性教員が次々とハラスメントの被害に遭い、中には退職に追い込まれた方もいました。

「いじめや差別は絶対にいけない」これは私が教師として生徒に伝え続けてきたことです。子どもたちにダメと教えていることが、人としての生き方、あり方を教えるべき立場にあるわれわれ教師の間で、平然と見過ごされています。ましてや、組織の手本であるべき管理職によるハラスメントの事実が隠され続けている点に、私は強い危機感を抱いています。
「教師に最も必要な資質は信頼である」――これは、今は亡き恩師が私に遺した言葉です。学校で発生するさまざまな問題に対し真摯な対応を求められる管理職の先生方には頭が下がる思いですが、そうと思えない方には「信頼される教師」としての手本を、しっかりと示していただきたいと思います。

(教育開発研究所「月刊教職研修1月号」聞いてほしい!先生の悩みコーナーに寄せて/わたなべさやこ)

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字数の関係で割愛しましたが、この埼玉県O川市では出産経験のない人は教師として認められないという話もありました。

「あなたのように子どもを産み育てた経験のない者に教育の仕事はつとまらない」と校長先生

はじめましてのご挨拶の5分後に。(この校長先生自身はどう見ても男性的特徴のある身体をなさっていたんだけどね。どうやって出産して一人前の教師になったんだろう)

そういう価値観もあるかもしれません。

確かに私自身、教師がどんなに背伸びをしても保護者の方と肩を並べて同等の立場で教育を語ることはできないと思っているし、実際に子どもを産み育てていらっしゃる保護者の方々には特段のリスペクトの念を抱いています。

そういう理由から、「教師だから」とエラそうな顔をして保護者の皆様に上からものを言ったりすることは絶対にしないと決めています。

ただ、学校教育の良さっていうのはあらゆる年齢、性別、バックグラウンドをもつ教員がごちゃまぜになっている環境によるところが大きいんじゃないかなと私は思う。

「子どもを産み育てた経験のない者に教育はつとまらない」なんて校長先生が教職員にいうようになったら、学校おわっちゃうよ。

出産経験のある人だけで学年団編成してごらん。絶対にうまくいかないから(笑)

私自身”大変未熟で申し訳ないんですけど”、当時は出産経験がありませんでした。

それでも、産休・育休の先生の代替が永遠に見つからないときにはその先生方の分まで5人分くらい仕事をしましたし、無事に赤ちゃんを産んで職員室に顔を見せに来てくれたときには「頑張って本当によかった」と報われました。

そういう経緯があった上での「子を産み育てた経験のないものは…」発言は、正直「何言ってるんだこのオジサンは」と、かなりリアリティーの薄い響きとして聞こえましたね。

はじめましての挨拶の5分後には我が家の明るい家族計画等々ニタニタ根ほり葉ほり質問されて、「〇年生の××先生は今妊活中ですよ。だからあなたも早く子どもを産みなさい。あなたみたいに子どもも育てたことがない教師は学級も部活も持たなくていい」なんて個人情報を晒されとがめられる。
××先生にも失礼だし、せめて私の仕事ぶりを見てから言いなさい(実際すごい働くから)。

その1週間後には「子どもいないんだからアンタが陸上部をみろ!赤ちゃんがいる先生が運動部顧問をやっているのがかわいそうだと思わないのか?!」などと定時過ぎた職員室の隅っこで詰められる。

もう何がなんだか…
あ、私は運動部指導は引き受けるスタンスです。部活動運営でしか経験できないことっていっぱいありますから。「わたなべさんだからお願いしたい」って言ってくれたら喜んで引き受けていたと思う。

要するに、出産経験がないというただ一点の理由においてわたなべは教師として無価値だと見なされた。私としましても「この組織に人生のコアタイムを捧げる意味はない」と判断した。そんなわけでこの学校で退職を決めました。

今まで教師をやっていて、「これはイヤだなぁ」と思うことなんて山ほどありました。

ホント、ここには書けないようなこともありました。
その度に私は「全然気にしてないですよー」ってニコニコ流していました。

でも、もうそういうのはやめようと思ったんです。
ヘンなことをされて愛想よく微笑んで大人の対応をするの、もうやめようって思ったんです。

私は、私の教師としての資質を伸ばすためだけに苦労をしようと決めました。

そして埼玉県のエライ先生方へ。
今の埼玉県の学校教育を支えているのは、今も現場にいて下さっている先生方お一人お一人です。

若い先生もベテランの先生も、同じだけ貴重な存在です。若手の先生たちは特によく頑張ってくれています。

いま現場を支えてくれているのは、結婚も出産も未経験の若く優秀な先生方であることを忘れないで頂きたいです。

私も結婚したときに、私より年数の浅い若い先生がいっぱい助けてくれました。彼ら彼女らの優しさがあったから、結婚後もなんとか学級・部活動も持たせて頂き、大好きな学校の仕事を続けることができました。

年齢や性別、キャリアに関係なく、想いのある先生をもっともっと大事にしてあげてください。

届くかどうかわからないけれど、これが埼玉県教職員を辞めた私のリアルな願いです。

私の手記が、今後の教育現場環境改善のひとつのきっかけになったら嬉しいです。

私はもう学校には戻れないけれど、今も想いをもって学校教育に携わって下さっている先生方を、地域・民間という立場から支え続けていきたいと思います。

【この記事を書いた人】




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