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自尊心(self esteem)
※この記事は有料記事になっておりますが、無料で全て読めます。ご安心ください。
わさんぼんです。今回は自尊心の話。
自尊心とは言っても、
「自分ってすごいんだぜ!」 とか、
「俺はこれこれこういうことができて、これができなきゃ俺じゃない」
みたいなプライドとか自慢みたいなものとは違います。
self-esteemという英語の訳として自尊心、というものが挙げられますが、これは自分自身を受け入れているかどうか、つまり
自分が好きかどうか
だと僕は思っています。(詳しいことはこちらのHPに記載がありましたのでご確認をお願いします。↓)
今回はこの記事に習って「自己肯定感」という言葉を使いたいと思います。
すべてアトピーのせい?
さて、アトピー患者の僕は落屑(らくせつ:垢が大量にはがれ落ちること)が酷く、小学校の頃はフケも結構大量に出ていました。小学生というのはデリカシーを身に付けているわけもなく、二年生の時、隣の席のちょっと毒舌気味の子に、
「なにそれシラミ?」
と言われてしまいました。
当時の僕はシラミもフケも知らなかったので、「頭からパン粉みたいのが出る―!」みたいな感じで(のんきだなw)よくわかっていなかったのですが、さすがにその言葉を投げかけられた時には、その子に嫌がられている、というくらいのことはわかりました。
それが直接の原因というわけではないのですが、そういったことがきっかけで僕は自分の肌の状態を人と比べるようになってしまい、
アトピーで肌が汚い→人に嫌われる
という短絡的な思考をその後の人生の長きにわたって根底に置くようになってしまったのです。
当時自分に対してアトピーによるいじめがあったかどうかは実はもう覚えてはいませんが、どうしても人気者の子を見ると、自分との肌の違いに目が行ってしまい、「どうして自分はこんなに肌が汚いんだろう・・・」という考えから自分を卑下するようになってしまっていったのは事実です。
この価値観は強力で、仮に人から褒められたりなどいいことがあっても、「どうせ自分はアトピーだから...」とわざわざ自分をおとしめることが多くなり、自己肯定感がかなり減っていってしまいました。
今でこそ、アトピーの有無で人の好き嫌いが決まるなんてことがないことはわかっているのですが、何分多感な時期なので「アトピーが無ければなあ・・・」と思うことは多かったですね。
このように僕は、何でもかんでもアトピーのせいにしていたのです。アトピーさえなければ自信をもって人前に出て喋れる、アトピーさえなければそうすることでもっと人に好かれる...そう思っていました。
もともと素直で人前に出るのが好き(というか目立ちたがり)な自分は、「またあいつかよ・・・」という周囲からの負のオーラももちろん嫌でしたが、「アトピーのやつがなんか言ってる」と思われることの方により恐怖感を抱くようになったのです。
まさに自分を閉じ込めてしまったのは自分のアトピーへの過大評価でした。
「アトピーさえなければもっと自由にふるまえる」
僕の思春期の価値観です。
実際、アトピーのせいでオシャレしたくても素材が肌に合うものでかぎられますしね。例えば、冬なんかは毛のニットとか着たくてもかぶれてしまうので着られない。蒸れるのが嫌だから肌にぴったりのズボンは履きたくない、とか。。
今思えば、代替策はいくらでも考えられたんです。ニットにも綿素材のものがあったりしますし、探したり気をつけたりすればオシャレだってできるんです。
でもアトピーにすべて責任転嫁をしていた僕は、自分を変えようと思えば変えられたのにその努力をせず、ただ自分を否定して、「どうせこんな自分なんかに人が集まってきてくれるわけない」「人気者になりたくてもハンディキャップがそれをさせてくれない」と思考をぐるぐるさせていました。
そんな自己肯定感が低い人に多くの人が集まってくるわけもなく、友達は自分のことを理解してくれる限られた人のみでした。
そして、ここに矛盾した「それでも人気者になりたい」という欲求が入ってくるわけなんです。その結果は多くの人が予想のつく通り、空回り状態ですね。
好きでもない自分を好きになってもらいたい滑稽さ
自分のことが好きじゃないのに自分を好きになってもらおうとするなんて虫のいい話で、わざわざ周りに自分をネガキャン(価値を下げてまわること)してるだけなんですよね。
たとえば、あなたが嫌いなもの、何かありますか?虫でもいいですし、ある食べ物でもいいです。
もしあなたが自分のことが嫌いで、それでも自分のことを好きになってもらいたいと思っている状態というのは、
その嫌いなものを他人に
「ねえ!これのこと好きになってよ!そしたら自分も好きになれるかもだから!!」
と言ったり強要したりしているのとまったく同じことなんです。
ちょっと滑稽ではありませんか?
ちなみに僕は本当につい最近(2、3年前)まで、このことに気づくことができていませんでした。
みなさんが他人に勧めたいと思うものって何ですか?
自分の好きなものですよね?魅力的に感じているものですよね?
じゃあもし自分のことを好きになってもらいたいんだったら、
まずは自分が自分のために、自分のことを好きになって魅力的だと思ってあげるのが先決ではないですか?
そうじゃないと、せっかく勧めている自分がかわいそうじゃありませんか?
何もナルシストになれ!と言っているわけではありません。
確かに、ナルシストの方が自信家だし、色々なことに挑戦できるので成果が出やすいかもしれません。ですがそこまでを強要しているわけではないことはご理解いただきたいです。
自分の魅力的な所はどうやって知るのか
自分の良いところなんて存在しないよ・・・と思う人も大勢いることでしょう。もしそうなら、一番身近な人に、勇気をもって「あなたの好きな所」をきいてみることを強くお勧めします。
不安はあるでしょうが、あなたのことを本当に大切に思っている人であれば必ず答えてくれるはずです。まず自分のことが好きになれず真剣に悩んでいることから話し始めると効果的でしょう。もしそうやって相談しても親身に答えてくれなかったり茶化したりしてくるのであれば、残念ですがその人はあなたの友達とは呼べないでしょう。別の人に相談すべきです。
間違っても、否定的な言葉が返ってきたからといってあなたに魅力がないと思い込んではいけません。茶化したりしてきたらその人は論外ですが、相手が真剣に答えてくれているのであれば、その人はあなたのことを見捨てたりなんかしていません。価値ある人間だとみなしているんです。そしてあなたはその回答を受けて、自分自身を好きになれるチャンスが出てくるのです。
逆の立場を考えてみてください。自分が相談されたら、自分が価値を見出せない人(例えばものすごく憎い人、嫌いな人)に真剣に答えようとするでしょうか。もしできるならあなたはよっぽどの聖人です。私が保証します。
客観的な視点というのはかなり強い証拠となり、自分の見方を変えてくれるチャンスを与えてくれます。あなたは何と言われましたか?それはどういう点で言われましたか?自分が知っている自分の特徴でしたか?
こういう人もいるかもしれません。
「こういうところが好きって言われたけど、それって裏を返せばこういう悪い点じゃん!自分はそれが嫌なんだ!」
お気づきの通り、二面性ですね。物事にはほとんどの場合、二面性が伴います。事実は一つでも、捉え方によって数通りもの評価ができてしまうんです。もちろん、あなたの性格だってそうです。自分が嫌いな自分の部分でも、それを好きと言ってくれる人だっています。
逆に考えたらどうでしょう。自分が好きな人が、その人の好きな部分をコンプレックスに感じているとしたら?それでその人が悩んでいるとしたら?
あなたはどんな言葉がけをしますか?
そのままでいいと言いたい?頑張って変わってって言いたい?
でも、それで本当にその人の好きな部分がその人の努力によって変わってしまったら寂しくありませんか?
私が言いたいのは、今自分がコンプレックスに感じていることでも、それを魅力的だと思っている人もいるかもしれないということです。指摘されたならなおさらです。そこは素直に受け止めるのが吉だと思います。
そうやって、少しずつ自分を受け入れ、段々と好きになっていきましょう。
もし、あなたが人から好かれたいと思うのなら、まずこのように自分を好きになることから始めましょう。
そうすれば、いずれは自信をもって自分を他人にオススメできるようになるかもしれません。
過去の僕のように、わざわざマイナスな自分を押し出して、引かれて、
「ほらやっぱり自分のことなんか好きになってくれる人なんていないんだ」
と卑屈になる必要もなくなります。
逆の立場に立って自分をみつめる
今回の記事で何度か「逆に考えてみましょう」と言ってきました。
自分のことが受け入れられない人は自分のことを客観視できていない人がほとんどだと思います。それか、僕もそうでしたが客観視できていても、マイナスな部分を強調して捉えてしまいがちです。そのために、「自分を他人が評価したらどう感じるか」というのを考えてもらいました。
自分を好きになる上で大事なのは、ありのままの自分を受け入れて、それでもどうしても変えたい部分があれば、努力することです。でもどうしても変えられないところを無理に変える必要はありません。それはあなたの根幹であり、魅力の一つなのです。
初めは受け入れがたいかもしれませんが、自分が思っている以上に、他人は自分のコンプレックスを汚点と感じてはいませんし、自分が気づいていないところを評価している場合が多々あります。
例えば、整形して綺麗になったという人で、誰がどう見ても美人だ!という人は今までに見たことがあるでしょうか。僕が予想する限りではほとんどいないのですがどうでしょう。そして、その整形前の顔のこの部分のせいで明らかに不細工だよな・・・って人もそこまでいないのではないでしょうか。
このことからも、「他人は自分が思っているほど自分のコンプレックスを気にしていない」ということがわかると思います。
ではどうして気になってしまうのか・・・それは、一度でも自分がコンプレックスを抱いている点を他人に指摘されたことがあるからなんです。
「地雷を踏んだ」ってやつですね。研究で明らかになっていることですが、人はどうしてもネガティブな情報に目が行ってしまいます(危機を回避するため)。そしてたくさん自分が目にした情報を重要な情報と認識してしまうのです。その結果、例えば自分が気にしているコンプレックスは重要なものだと思いこみ、指摘された瞬間にそれは客観的かつ重要な問題という認識を与えてしまうのです。
よくよく考えてみると、指摘する人はあなたの知り合いの多さからすると相当少ない割合であること、自分の大事だと思っている友達や恋人はコンプレックスを過度に、またはむやみやたらと指摘してこないことに気づくはずです。仮に指摘されたとしても確認程度のことが多く、馬鹿にしているわけではないはずなので、深く考えることは自分を苦しめることに繋がります。
それでもどうしても気になってしまうのであれば、あえてどうして指摘したのかきいてみるのも一つの手だと思います。もしかしたら自分の思っていることとは異なる可能性もあります。それに、自分のコンプレックスと真剣に向き合う姿勢を見せるだけで、他人から強い人間に思われるでしょうし、実際に強くもなれるのです。一番やってはいけないことは、指摘されたことを自分で増幅して捉え、自己嫌悪に陥ってしまうことです。不幸への近道だということを理解していただけるとありがたいです。
まずは自分が変わること
冒頭のアトピーのせいにしてきた僕に対しても言えることですが、
「自分が気にするほど他人は自分のアトピーのことを気にしていない」
のです。僕は、自分に彼女がいないのもアトピーで近づきたくないからという理由があるせいだと思っていた時期が当然ありましたが、大学時代、サークルの友人で僕よりひどいアトピー持ちの人に彼女がいることを知りました。
僕はこの時、彼女がいないことをアトピーのせいにしてきた自分の醜さをまざまざと見せつけられてしまったのです。
全ての元凶はコンプレックスがあるから、と卑屈になっていた自分の心でした。それに気づけただけでも僕の大学生活は大きく一歩前進でした。
おかげで、アトピーのせいにしないようにと心を入れ替えた結果、人間関係は以前と比べてよくなり、仲のいい友達も増えていきました。
自分が変われば、自分を取り巻く環境も自然と変わるんです。
嘘だと思う人は、ぜひ実践してみてください。
その時には、卑屈精神を捨て、前の記事のように感謝の心を持って人に接するようにしてみてくださいね。
自分を好きになったあなたなら、いつの間にか、人にだって好かれるようになります。そうしたら、あなたの望む生活に、大きく近づけるはずですよ!
アトピーの人であれば、自己嫌悪でいるよりもこうやって自己肯定感が増えた状態である方が、痒みが少なくなりそうだということはご理解いただけると思います。あなたの為に、あなたのことを好きになりましょう。あなたにとって一番大切なものは、今生きているあなたの心のはずです。
今回は長くなってしまいましたが、また折をみて更新していきますのでお付き合いの程よろしくお願いいたしますm(_ _)m
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