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それでも彼らは十字架を愛す:映画「フューリー」(2014)

ブラッド・ピット vs ナチス・ドイツ

ナチスと戦うブラッド・ピットには、5年ぶりの再会となった。2009年、クエンティン・タランティーノ監督・脚本作品の『イングロリアス・バスターズ』で、ピットは第二次世界大戦中ナチスの占領下でプロパガンダ映画を上映していたフランスの劇場を大炎上させて終劇した。

彼はまたナチスに非常に強い憎悪を抱いている男を演じるが、デヴィット・エアーの本作には、『イングロリアス・バスターズ』のようなユーモアの要素はまったくもって存在しない。

舞台は1945年4月。連合軍は有利な情勢にありながらも、ドイツ軍から徹底的な抵抗に遭い、人員・物資ともに不足。特にドイツ国内を攻める前線においては凄惨な状況にあった。

※この先に映画のネタバレを含みます

「憤激」や「猛威」を表す"FURY"

ドイツの前線に配属された戦車「フューリー」とその乗組員たち。
歴戦のウォーダディー(ブラッド・ピット)をはじめとしたベテラン4人と、補充で入ってきた戦闘経験のない新兵ノーマン(ローガン・ラマーン)。
乗組員の5人は、フューリーと共に、300人のナチス部隊に立ち向かうことになる。

英雄的なストーリー/らしくない沈痛さ

しかしながら本作で最も印象に残るのは、英雄を描いたアメリカの戦争映画とは思えない程の、虚無・喪失・憂鬱さである。
女を口説くためのチョコレートバーはあれど、肝心の戦車の数は歩みを進めるごとに減っていく。
ウォーダディーからは「降伏なんかするな」と日本の戦争映画のようなセリフが飛び出す。

魂の救済を求めて聖書の一節を引きながらも、敵兵を殺すことと正義とは別であるとする、彼らの中に蓄積した憎悪。「戦闘も女も酒もやる、マシーン」であることが褒め言葉になる世界。

エアー監督は、「徹底したリアリティを以て描くことで真実を伝えたかった」と述べる。
ヒーローが呆然とした顔で救護車輛に乗せられて終わる戦争映画が、これまでにいくつ公開されてきただろう。第二次世界大戦が昔話になりつつある今だからこそ作られる必要があった作品だ。

執筆 2014年12月


再掲に寄せて

タイトルをつけるのに結構悩んだ結果、映画館で抱いた印象をそのまま付けたのがこの「それでも彼らは十字架を愛す」だった。宗教について特に詳しくないことは付記しておく。

登場人物は、特に聖人君子などではない。
敵に対して憎悪を抱き、私的な感情で新人を虐める。しかし、彼らは何度か聖書を引用していた。本文中には「魂の救済を求めて」と記しているが、これが明文化されていたかは記憶が定かではまい。
しかしどちらにせよ、彼らにとってその言葉は、母国を守るために生き残り、敵国の人間を殺めたとしてもなお、唱えれば救済が期待できるほど強力な言葉なのか、という存在感の大きさが衝撃的だっだ。

史実に忠実に作られたからといって、人の心の機敏や当時の個々人の信仰、メジャーだった宗教的な考え方などまで完全にコピーできるものではないことは承知の上だ。
しかし結局、人間には、それほど強力な拠り所が必要なのでは、というエアー監督なりの問い、もしくは答えなのかもしれない。

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