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「あのねじつは」のクイズカードに「難易度」の指標をつけなかった理由

RayArc(レイアーク)、ならびにRayArc Astrolabe(アストロラーベ)の皆さま、おつかれさまです。新規事業ユニットです!

ボードゲーム🃏制作プロジェクトからお伝えします。

株式会社RayArcのオープン社内報として、取り組み・思いを社内外に発信!

テストプレイで「難易度あるとよいかも」の声

「あのねじつは」開発中には、オンラインでテストプレイも行いました。その際、いくつかのカードの組合せで…「これは、ちょっとクイズを考えるの難しいかな…?」と、参加者がうなるケースを目撃しました。

そう、「あのねじつは」は、そもそもある程度のランダム性で自己紹介の「話題」と「流れ(クイズによって導かれる流れ)」を決めるゲームです。

「あのねじつは」のあそび方の大前提として、

  • その場のメンバーにフィットするカードのみに絞り込んであそぶ

ことを、ポジティブに推奨したい思いは、最初からありました。

そこで、テストプレイに参加したメンバーからはこんな意見が。

🙄「どのカードが難しめか
 だれでもわかるように
 難易度の数字をつけて

 最初は難しいのを
 機械的に抜いたりできたら
 よさそうですよね…」

なるほどたしかに。一理あります。

出た答えを持ち帰ってカードの内容をアレコレ見直しするのは、イロイロな事情のまじりあった結果、私(ワクワク魔人S)の仕事(?)でした。

  • カードの中に🌟マークでもついていて、そこに数字が入っているとか?

  • あるいは🌟の数自体が1個、2個、3個みたいになっているとか…?

だれにでもわかりやすいデザインという視点では、さらに「あれがよい、これが望ましい」など観点ありそうですが。まずは難易度自体を情報としてカードに付与できるものか考えてみることにしました。そして…。

それでも、つけないと判断した理由

さて。既に「あのねじつは」の実物が世に出ている今、気づいている方は気づいているでしょう。

クイズカードには、難易度、つけてません!!!

  • え? なんで? どうして?

  • せっかくテストプレイでフィードバックあったのに、無視したの?

と…当然の疑問がわき起こるかもしれませんが。

…でもね…でもね…?

難易度?

難易度ってなんでしょう。

それも、こと、ヒトの話を聴き、ヒトに話すという場面において。

もともと、難しめなのではと早めにやり玉に挙がったのは「オオギリクイズ」とか「みらいのクイズ」でした。要するに、イメージとしては、

  • 「普段」の生活、「普通」の会話であまり使わない脳(発想)を使うクイズ

だと思います。

これ、もちろんわかるんです。
でも、難しいとも思うのです。伝え方を間違えれば、

  • オオギリなんて落語家、お笑い芸人、バラエティタレント(あるいはそれを志望するヒト)ぐらいしか「普通」考えてないでしょ?

  • 一年後とか十年後を考える発想のクイズ? それって『意識高い人』とかがやるやつでしょ? そんなこと考えること「普通」ないよ

という「大衆の常識(でしょ!?)」というか。つまりある種のもぞっとする『同調圧力』みたいなものが伝わってしまう…かもしれません。

  • 「とうぜんクイズ」のように素直に考えればよいものはかんたん?

  • 「オオギリクイズ」なんて、難しい? それが「当たり前」?

そうだろうか?

自分のことを素直に話すことこそが、一番難しいと感じる人だって一定要るはずです。

むしろ「笑い」に託したり、「文学」「短歌」「俳句」「音楽」「描くこと」に託したり、「演じること」に託したりする方がずっと自分にとっては表現としてたやすい、と思う人だっている。

そういう人にとっては…。
いやちがう、さらにその中でも千差万別なので、そもそもくくれませんが。

ゲームのルールとして、便宜上とはいえ。

  • 数字というシンボルで、唯一無二の価値基準として「オオギリクイズ」の方が「普通」にクイズするより難易度が高いとラベルづけされる

ことは、よいことなのだろうか?

もしかしたら、ある種の息苦しさそのものになりうるかもしれません。ささやかなことだけれど、分断のタネになってしまうかもしれません。

たとえば、こんなことにはならないでしょうか?

🐱「『オオギリクイズ』難しいよね
 見るのは面白いけど
 自分では考えないじゃん」
🐶「え、そうかな?
 私はこれが結構やりやすいよ」
🐱「え? でもほら
 難易度も『オオギリクイズ』の方が
 高くなってるじゃん

🐶「あー、うん、そうだよね
 (まぁそうなんだろうな…
 私はしっくりこないけど
 わざわざ言わなくていいよね)

そんな会話はイヤだ。

いや、途中まではよい。
それぞれが自分の考えを表明するのはウェルカムだ。

でも、あそぶ人それぞれ、フラットに無限にありうる感じ方の、どれかに、どちらかにゲーム自体が意図せず「正しさ」「お墨付き」みたいなものを与えてしまうのは、余計なお世話で、ゆがみだ。生まれるのは分断だ。

決めたくない。それがもしかしたら、どちらかと言えば「大多数」にとっての一種のわかりやすさに寄与するとしても。決めたくはない。

だって、これは聴き合う、知り合うためのゲームなのだから。

🐱「『オオギリクイズ』難しいよね
 見るのはおもしろいけど
 自分では考えないじゃん?」
🐶「え、そうかな?
 私はこれが結構やりやすいよ」
🐱「え、いぬさんって
 こういうの得意なんだ!
 知らなかった!
 (そっかー! 得意な人も
 やっぱりいるんだ)

🐶「でも、私なんかは
 ねこさんみたいに
 自分のことをスッと紹介できる方が
 すごいなーって思うんだよね
 それがニガテだから…

🐱「え? ウソ!
 そんなこと言われたこと
 あんまりないよ?
 (自分って『普通』で
 おもしろくないヤツと
 思ってたけど
 じつは結構すごいの!?)

ここまでやると、ちょっとこれはこれで教科書的で、できすぎ感出すぎかもですが。わかりやすく言えば、こういことです。

フラットに、その場限りのやりとりを楽しんでいただきたいのです。考えて、悩んで、難易度を数値に置き換えることは今回はやめました。

じゃあ、どうする?(フィードバックのゆくえ)

代わりに用意したのが、説明書の裏面のクイズルールの早見表です。これは、クイズルールごとのイメージを事前に少しでもつかみやすくするものです。それによって、ゲームを進行する人が、

  • 「今回のメンバーなら、このクイズがとくに難しく感じるかも

  • 「今回のメンバーなら、こっちのが新鮮で逆に盛り上がるかも

と、状況に応じて判断し、最終調整できたらよいかなと。

そうはいっても、やってみないとぴんと来ない部分はどうしても残るのですが、マトリクスになっていることで、脳内にイメージが広がってくれれば、あそぶことでアップデートしやすいかも、と考えました。

  • このアプローチが、どこまで効果的だったか

  • あるいはやはり一歩及ばずで、もっとよいやり方があったか

…は、これからより分かってくるかもしれません。こわごわ…でも知れることは前に進むことなので、期待も持って見つめていたいと思います。

まとめ

子どもの頃、いや(一応、外面だけでも)オトナになってからも、

  • これは、難しいはず

  • こんなの、カンタンでしょ

とか、そういうよくわからない決めつけに出会うたびに、とても違和感を感じる生涯を送ってきました。ましてや、そういう決めつけが、さしたる根拠なくナニカの属性が紐づけられたりすると、裸足で逃げ出してきました。

不完全な人間ですので、そう思っている自分自身がウッカリやってしまうことだってある…のですが、でも、せめて気づけて、慎重になれるところだけでも、よく考えて、考えて、でも歩みは止めずに進みたいものですね。

新作評価アンケートが始まっています

前述の情報サイト「Table Games in the World」ではゲムマ2023春新作を対象とした評価アンケートが始まっています! 「あのねじつは」を遊んでみたよという方は、ぜひこちらもご検討お願いいたします!!

(新規事業ユニット・ワクワク魔人S)


さあ、ワクワクしようぜ!

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