心の豊かさを取り戻すための一手『伝統文化茶道』に学ぶ詫び寂びの教育観(後編)~岡倉天心が伝えた伝統文化茶道とは?~ー『日本人のこころ』36ー
こんばんは。高杉です。
日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。
気が付けば、
前回の「茶道の歴史」の発信をしてから、
約1か月の月日が経ってしまっておりました。
楽しみにしてくださっていた皆様、
大変お待たせいたしました。
2学期が始まってから
バタバタとする毎日を過ごしており、
充実はしていますが、
心身ともに疲弊してしまっておりました。
家族に支えられながら、
時には茶道をすることで落ち着いた時間を意図的につくることで
少しずつ気力を回復していきたいと思います。
今回は、
我が国の伝統文化を正しく、
意志をもって伝えてくださった偉人から学んでいきたいと思います。
最後まで、お付き合いください。
ある時代には、僧侶たち修行に通じるものとして行い、
戦国時代には、武将が心の安寧を求めて、
あるいは権威を示すために利用した「茶道」。
時代を下ると、女性たちが礼節を学ぶためのたしなみとされ、
今では、ビジネスパーソンの修養法として新たな注目を浴びています。
我が国の社会が大きな変遷をたどる中、
約500年もの長きにわたって継承されてきたという事実は、
「茶道」が時代に左右されない普遍的な価値、
魅力に満ちていることの証だということができるでしょう。
「茶道」は、日本人の精神性が凝縮された道です。
そして、その道は海外でも広く知られています。
では、
なぜ海外の少なからぬ人が「茶道」を理解しているのでしょう?
次はわが国の「茶道」が世界に大きく広まったきっかけとなる
岡倉天心の『茶の本』について見ていきたいと思います。
1)『茶の本』を書いた岡倉天心とは?
我が国の茶道がはじめて世界に大きく広まったのは、
1906年、岡倉天心が英語で著した
『The Book of Tea(茶の本)』の出版がきっかけです。
岡倉天心は、
明治時代に我が国の美術興隆のために尽力しました。
東京美術院(現在の東京藝術大学美術学部)や、
日本画家の団体日本美術院などを創設したことでも知られ、
「日本美術の救世主」とも称されています。
岡倉天心の人となりを表すエピソードに次のようなものがあります。
1906年の米国・ボストン
近代化した街中を和服で歩いていました。
一人のアメリカ人が
「おまえたちは何ニーズだ?チャイニーズ?
それともジャパニーズか?ジャワニーズか?」
と冷やかし半分で声をかけたそうです。
それに対して、
まるでネイティブのような英語で
「私たちは日本の紳士だぞ。
あんたこそ何キーだ?ヤンキーか?ドンキーか?
それともモンキーか?」
と堂々と答えるのです。
当時、欧米から見れば、文化的に劣るとみられていた日本人。
また、
日清・日露の戦争を経て、
我が国を「野蛮で危険な国」とみなす欧米人も多かったのです。
その中で、
堂々と対等な立場から発言し、
我が国の文化を、誇り高く正しく伝えようとしました。
岡倉天心は、
1862年という幕末の時代に福井の武士として横浜に生まれます。
生まれてからすぐに待っていたのは、明治維新でした。
横浜という国際的に開かれた町の中にあって、いち早く外国語を学び、
美術の専門家として名乗りを上げていきます。
東洋史家として知られたアーネスト・フェロノサをはじめ、
彼がつくりあげた国際的な人脈をあげていけばキリがありませんでした。
西洋と深くかかわる中で、
西洋とは対極にある東洋の、
我が国の文化に対する考え方のよさに気づいていきます。
自然を破壊し、支配しようとするのではなく
自然とおそれ敬い、一体となろうとする優しい心。
競い合うのではなく、
ともに一つの美を感じ合うことで
アーティストと鑑賞者が統合しようとする謙虚な精神。
完成させることより、
完成させようとする過程に価値を見出す、人間的な価値観。
岡倉天心は、
その我が国を表す和の心の象徴としてみたのが
まさに「茶道」だったのです。
ボストン美術館で東洋美術部門の責任者として活動を始めた後、
日米を行き来して暮らすようになり、
執筆活動に入って数々の著作を出版していきます。
その筆頭が『茶の本』です。
2)岡倉天心が『茶の本』で伝えたいこととは?
『茶の本』は、
茶道の手法を手引きするものではありません。
岡倉天心は、
巧みな英語力と豊かな感性を駆使して、
この本で茶道の精神を多様な視点であますところなく説き明かしています。
「茶道」は、
最近でこそ英語で
「Sado」「Chado」と日本語で呼ばれることもありますが、
一般的には、「Tea Ceremony」と表現されます。
ところが、
岡倉天心は
「Teaism」という造語を使っています。
「~イズム」は、「~主義」「~教」という意味で用いられる言葉です。
岡倉は、目に見える印象ではなく、茶道の精神性に焦点を当てました。
『茶の本』は、
「茶碗に満ちる人の心」「茶の流派」「道教と禅」
「茶室」「芸術鑑賞」「花」「茶人たち」という7章で構成されています。
わたしたち日本人が読んでも新鮮な驚きを感じるような
茶道の繊細な美意識が綴られており、
岡倉の豊かな表現も魅力の一つです。
例えば、
『新訳 茶の本』(角川ソフィア文庫)の
日本語訳を出版された大久保秀樹さんは、
第1章のタイトルが「a cup of tea」になぞらえて
「The Cup of Humanity」(茶碗に満ちる人の心)とされていることや
茶道を「Teaism」と言い表したことを挙げて、
つぎのように述べています。
第1章において岡倉天心は、
と語ります。
「茶道」は、本質的に「不完全なもの」を崇拝します。
それは、
私たちが「完成されていないもの」と自覚しているこの人生において、
それでも「実現可能な何かを成し遂げよう」と
はかない試みを続ける存在だからなのです。
日本で確立された「茶の哲学」は、
私たちが人間と自然について考察するあらゆる観点を表現しています。
「清潔さをうながす」という点では、『衛生学』であり、
「豪華絢爛なものより、質素なものに心の慰めを求める」
という点では、『経済学』であり、
「宇宙の近郊に対する私たちの感覚を定める」という点では、
『精神的な幾何学』とさえ呼べるものであると言います。
私たちの住居や習慣、服装や食事。
陶磁器に、漆器に、絵画。
そしてまさに文学までも、すべて茶道の影響を受けています。
茶道の影響は身分の高い貴婦人の寝室の優雅さの中にも
染みわたっていましたし、
貧しい者の住居にも導入されています。
日本の農民たちは花の生け方を知っていましたし、
日本の最下層にいた人夫たちですら、
岩や水に敬意を払うことを知っていたのです。
また、
第2章では「茶はその時代の精神を映し出すもの」とも表現しています。
茶は一つの芸術作品であるため、
最高に品質の良いものを作り出すには、一人の名人の腕を必要とします。
良い絵と悪い絵がこの世に存在するように、
お茶にも良い茶と悪い茶が存在します。
完璧なお茶を点てるための、唯一のレシピというのは存在しません。
一回ごとのお茶の点て方には、それぞれの個性があり、
それぞれに特別な水と熱との相性があり、
それぞれに過去の師匠から受け継がれた記憶があり、
それぞれに独特な物語の語り方があります。
中国の詩人だった李日華が、
世界で最も哀れむべき3つのこととして、
①誤った教育によって優秀な若者を台無しにしてしまうこと
②下品な称賛によって優れた絵画の価値を下げてしまうこと
そして、
③下手な手際によって、せっかくのいいお茶を無駄にしてしまうこと
ということだと言っています。
そして、
芸術と同じように
茶にも時代による個性と流派による個性が存在します。
茶の発達は、
固形茶、抹茶(粉茶)、煎茶(葉茶)という
大雑把に言えば3つの段階に分けられます。
お茶の味わい方にはいくつかの方法があり、
その方法は茶が普及したそれぞれの時代の精神を示してるのです。
岡倉天心が『茶の本』を出してから約100年。
いまや、日本人よりも外国人の方が
「マインド」を大切にして、
日本の伝統文化の精神性を高く評価する傾向があるように感じます。
欧州では、
小学校や中学校で自国の文化の授業があり、
そこで美術や音楽、歴史などの教養を学んでいきます。
そのため、
しっかりと自国の文化を語ることができるし、
語ることができないと教養がない人だと思われてしまうそうです。
子供の頃から学校で自国の文化を学んでいるからこそ、
教養としてしっかりと文化を語ることができるだけではなく、
文化を継承することができるのです。
我が国には、「茶道」のほかにも、
「華道」や「剣道」、「柔道」など「道」とつく習い事があります。
それは、
ただ型を覚えて終わりではなく、精神修行も含まれています。
稽古は教われば教わるほど、
その深さや自分の未熟さ、基礎の大切さを知るのです。
そのため、
一生涯をかけての学びとなります。
3)わたしたちが『茶の本』から学ぶべきこととは?
・織田信長、豊臣秀吉といった天下人。
・経営の神様といわれる松下幸之助。
・apple創業者のスティーブ・ジョブズ。
・元メジャーリーガーのイチロー選手。
ビジネスやスポーツ界の名だたる方々が、
茶道の精神を取り入れて、大成功を収めています。
「茶禅一味」という言葉があるように、
茶道は禅から誕生し、
茶道も禅も目指すところは、
「余計なものを捨て、シンプルに生きる」ということです。
戦乱の世、明日をも知れぬ武士たちが
茶の湯によって、己と向き合い、邪念を払って心を整えたのです。
「武士道」を、己の信念をストイックなまでに貫く
「戦う人」の哲学とすれば、
「茶」は、それと正反対にある「平和の哲学」といえるでしょう。
戦っているはずの人々が武器を捨て、身分の差も無視して、
穏やかで優雅な時間を共有しようとしました。
これら2つは、
確実に私たちの中に継承されているはずのものです。
特に現代の我が国は、
すっかり合理化・効率化の波にさらわれ、
一気に経済大国に躍進しましたが、
その地位も21世紀に入ってからは危ういものとなっています。
しかし、
「美」や「文化」といった側面から見たらどうでしょうか?
「競争」ではなく「統合」を目指し、
心の豊かさを求めてきた「茶」に象徴される日本文化。
これからの世界で、
我が国が独自性をもった国として誇り高く存在していくために、
あるいは個人が、この目まぐるしく変化する世界で
「幸福」や「成功」と呼ばれるものを目指していくために
これまで先人たちがつくり上げてきた
「茶の哲学」に立ち返ることは非常に重要だと考えます。
現代は、「VUCA(ブーカ)の時代」といわれています。
「Volatility(変動性)」
「Uncertainty(不確実性)」
「Complexity(複雑性)」
「Ambiguity(曖昧性)」
という4つの言葉の頭文字をとったもので、
現代のビジネス環境や個人を取り巻く状況を表現する
キーワードになっています。
日々のストレスや重圧感、
不安な日々を過ごすこともあるかもしれません。
茶道には、伝統文化としての価値だけではなく、
ビジネスや不安な世界を生き抜くための叡智が多く含まれているのです。
トップエリートたちは、
なぜ、茶道の精神に魅了され、
ビジネスや日常に取り入れ、大成功を収めたのでしょうか?
次回は、
茶道から学ぶ『侘び寂びの教育観』について
お話をしていきます。
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国民一人一人が良心を持ち、
それを道標に自らが正直に、勤勉に、
かつお互いに思いやりをもって励めば、文化も経済も大いに発展し、
豊かで幸福な生活を実現できる。
極東の一小国が、明治・大正を通じて、
わずか半世紀で世界五大国の一角を担うという奇跡が実現したのは
この底力の結果です。
昭和の大東亜戦争では、
数十倍の経済力をもつ列強に対して何年も戦い抜きました。
その底力を恐れた列強は、
占領下において、教育勅語と修身教育を廃止させたのです。
戦前の修身教育で育った世代は、
その底力をもって戦後の経済復興を実現してくれました。
しかし、
その世代が引退し、戦後教育で育った世代が社会の中核になると、
経済もバブルから「失われた30年」という迷走を続けました。
道徳力が落ちれば、底力を失い、国力が衰え、政治も混迷します。
「国家百年の計は教育にあり」
という言葉があります。
教育とは、
家庭や学校、地域、職場など
あらゆる場であらゆる立場の国民が何らかのかたちで貢献することができる分野です。
教育を学校や文科省に丸投げするのではなく、
国民一人一人の取り組むべき責任があると考えるべきだと思います。
教育とは国家戦略。
『国民の修身』に代表されるように、
今の時代だからこそ、道徳教育の再興が日本復活の一手になる。
「戦前の教育は軍国主義だった」
などという批判がありますが、
実情を知っている人はどれほどいるのでしょうか。
江戸時代以前からの家庭や寺子屋、地域などによる教育伝統に根ざし、
明治以降の近代化努力を注いで形成してきた
我が国固有の教育伝統を見つめなおすことにより、
令和時代の我が国に
『日本人のこころ(和の精神)』を取り戻すための教育の在り方について
皆様と一緒に考えていきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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