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結論としての「さぁ〜」

「さぁ〜」のイメージ

友人や知人と会話をしている際に、知りたいことの相手なりの結論を聴きたいとしても「さぁ〜」と言われてしまうことがあるかもしれません。

私自身は、結構使っている感覚を持っています。

この「さぁ〜」のイメージとしては、逃げているだけとか、何か言いたくないことを避けているような感覚があるかもしれません。

言わないでおいた方が時にはいいこともありますが、一番の要素として考えているのは、その回答を「手放す」ために必要だと私は考えています。


「さぁ〜」は手放しているだけ

この「手放している」ことは、今はいい答えを持っていないから、回答することができない。

なので、気の利いたことも言うことができないし、ウソもつきたくない。

そうなった時に、「さぁ〜」という表現を使って、いい答えが降りてくるのを待っている時間に使うのだと思っています。

そうすることで、極力悪い印象を与えないで済んだり、自分もモヤモヤした気持ちにならないです。

もちろん、できる限り回答してあげたいという気持ちはあると思います。ただ、無理に回答をひねり出す必要はないと考えています。

そして、素直に「わからない」と言ってもいいと思っています。関係性がしっかりしていて、日常会話の一幕であるなら問題ないです。

ただ、あまり関係性も築けていない段階で「わからない」と言ってしまったら、突き放しているという印象を持たれるかもしれないことから、ニュアンスを柔らかくするために使うことも考えられます。

まとめると、個人的には「さぁ〜」という表現は悪いとは思っていないです。

頑張って答えを出してくれるかもしれないという段階だと思っておいた方が、もしかするといい回答をしてくれることも多いのではないかと思っています。

もし、そうなったら、いい回答が来るように自然と待ってみてください。




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