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マウントを取るなら、”憧れ”を持たれるようになりたい

人って、自分に価値があるとわかってくると、マウントを取るような態度で接してくる人がある程度いると思っています。

しかも、当事者は意図的に自分がマウントを取っていることをわかっている人もいれば、無意識や当たり前かのようにマウントを取ってしまっている人もいます。

そのような人と関わることはとても厄介です。

特に、それが仕事などの状況であれば、接したくないと思っていても接するタイミングが生まれたりするため、そうなってしまうととても面倒だと感じます。

私の考えですが、正直、マウントを取ることには全く意味がないと思っています。

それは、状況が悪いから変えてほしいということではなく、単純に自分の弱さを出しているだけです。

中にはパフォーマンスのようなマウントを取る人もいますが、そのようなことをしても、まったく意味がないのです。

それでも人はマウントを取る。

怒り、権力、金、性別、年齢。

このマウント取りはいつになったら終わりが来るのだろうが。もしかすると、人はマウントを取ることをやめることができないのかもしれない。

自分は「コイツとは違うぞ」というところを見せておかないと自分の価値というものを示すことができないと考えているのかもしれない。

それだけ、自分の価値というものを提示したい表れのひとつなのかもしれない。そのため、人はマウントを取ることをやめようとしないのだろう。

しかし、今まであるようなマウントの取り方をしていて、誰が見る?

子どもたちに自分がやっているマウントの取り方をマネして欲しいだろうか?

きっと、そのやり方を見た子どもたちは、自分もこうすればいいと思ってマネするだろう。

それがあなたが望む姿なのだろうか?

私がもし、マウントを取るのなら、子どもたちが憧れを持ってくれるような姿でいたいと思っている。

それが理想の姿だと思う。

人が人に与える影響力はとても大きい。

子どもたちが受ける影響力も大きい。

それを考えた時に、やっぱり子どもたちが憧れを持ってくれた方が気持ち的にもいいものがあると思う。その姿を考えるようにしたい。私はそのように考えている。

見た目や態度だけがマウントを取る方法ではない。

それで目立つことをしなくても、人は気に入った部分があれば憧れを持ってくれるものだと思っている。

子どもたちが憧れを持ってくれる方法で、自分を売り出そう。



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