「血を流し続ける」ことができる人間

どうも
わーさんです。

今回は「生き様」について書いていきます。

人にはいろんな生き様があると思います。それぞれの人生観に合わせて、「自分はこのように生きたい」と考えながら生活をしているはずです。

今回は人の生き様について、私の考えを書いていきます。

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闘いの場で使ったりする言葉

「血を流す」や「血を流している」という表現は、実際に血を流しているわけではないですが、それだけ体や心が傷だらけになりながらも心血をそのモノに注いでいる。感情や精神力を注いでいると考えています。

つまり、そのモノごとに対して、他のことは顧みず、自分の人生そのものを注いでもいい。それくらいの覚悟を持って行っていることだと思います。

一般の人にはそう簡単にはできないような芸当です。


個人的には好きな言葉

「血を流す」だけ聞くと、あまり印象がよくないといいますか、少しグロテスクな表現のようになってしまうかもしれません。

ただ、個人的には好きな言葉です。

それは、自分の限られた人生の中で、それだけすべてを捧げても良いと思うことに、人として尊敬することができるからです。


人が命を懸けてやっている姿

ある人が、自分の人生を懸けてまで何をやり遂げたいという姿をみると、自分自身の体も熱くなってきます。

それには、言葉とかは要らず、その人が何かをしている様子だけで伝わってくる。それが人を感動させることにつながるのだと思います。


私自身が人生を通じて、命を懸けてもいいことに出会っているかと言われるとそうではないと思っています。私自身はまだ見つけることができていないです。

ただ、これから先、私も命を懸けてもいいものに出会いたい。その姿を誰かに見せることによって、他の人の影響力になればいいとも思っています。

それはこれからの課題です。


全身全霊をかけることができるもの

もしかすると、私自身もあなたも、血を流してもいいほと全身全霊を懸けてもいいものに、出会っている可能性もあります。気がついていないだけかもしれません。

そのため、あまり意識して探すようなものではなく、身近にあり、自然とそのことに神経を注いでいるモノが大切だったりするのです。

家族がいる人は家族のため
大切な人がいる人は、その人のため

普段はそんなことに意識は向けないですが、考えてみると「人」に対しては命を注いで何かをしているかもしれませんね。

それも命を懸けて行うことかもしれません。

自分が命を懸けて行いたいと思うことを決めて闘ってみてください。



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