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#124 なぜ、そこに? 活躍しない電光表示板がある理由

今回の記事は、私が街中へと出掛けた帰り道の話になるのですが、普段歩かない道だったので、とりあえず駅の方を目指して夜歩いているとコンビニが見えてきました。

もちろん、コンビニ自体は煌々とした明かりがついていて、とても眩しかったです。そして、入り口近くには、コンビニの入り口を案内してくれる電光表示板がありました。

しかし、その電光表示板は電気が入っておらず、全く光っていませんでした。ただ、置いてあるだけのような感じになっていたのです。

「なんで、光ってないんだろう?」

と思った私はその理由を考えました。変でしょ?(笑)

単純に「つけていなかった」ということも考えられると思います。

しかし、夜の22時を回っていた2月のことです。
特に私が住んでいる雪国では夏と比べて冬はとても暗くです。
そのため、つけ忘れ以外の理由を探そうとしました。

その方が面白いかなとも思いました。
何か疑問に思った時は、今回のようにいろいろと理由をつけることが多いかも知れません。

そして、個人的な見解を見つけたのか
今回の記事になります。

すみません、妄想で。
最後にいいこと言っているので、まだ読むのやめないでね・・


今回の結論を先にいうと、

「検討と共有」

だと思います。それについて考えていきます。

・・・

■会社側の心理、現場側の心理

✔︎裏に隠された理由

今回のケースについて、
大きく分けて2つの点から見ていきたいと思います。

1.使わない理由
2.置いてある理由

1点目が、「使わない理由」ですね。
これについて箇条書きで書いていきたいと思います。

・誰も見ていない
・電気代が高い、費用がかかる
・時間を決めている
・デザイン・魅力
・必要性

のようなことが考えられると思いました。
一通り見たところ「マイナスイメージ」ばかりですね。
あくまでも、私の妄想なので偏りは出てきますが、大体こんな感じのことが理由になると思います。


2点目が、「置いてある理由」ですね。
これについても、同じく箇条書きで書いていきます。

・捨てるのに、撤去するのにお金がかかる
・めんどくさい
・見る人はいる/いつかは使う
・なんとなく
・上の許可が必要。勝手な判断はできない。

のようなことが考えられると思いました。
私の妄想なので、どうしても「マイナスイメージ」のモノが多いですが、今回私が、一番注目したのが「上の許可が必要。勝手な判断はできない」という部分が一番大きく関わっているのではないかと思いました。

・・・

■共有する必要性

✔︎意思疎通がしっかりできているのか?

冒頭で、今回の結論として述べたように、このような電光表示板が使われていない理由としては、会社側と現場側の

「検討と共有」

が薄かったことが考えられると思います。
もしかすると、それすらなかったかも知れません。

それぞれの立場において考え見ましょう。

会社側:電光表示板は必要
現場側:電光表示板は必要ない

と言った感じて、これは私の妄想であることは先に伝えておきますが、今回の場合は、双方に意見の食い違いが見られていると言った点が問題であると思います。

最初の検討段階で、すでに意見の食い違いが行われていました。
会社側は前例になぞって「普通ならいるだろう」と言った感じに、考えもせずに導入したかも知れません。

もちろん、実態はわかりません。
会社と現場、どちらが主導で動かしているのかによっても変わってくるでしょう。


意見の食い違いがあったことに対して「共有」をしなかったことが大きなポイントだと思います。
普通、双方の意見が対立している時、相手側の意見を聞くことが求められると思います。
しかし、それが感じられないと、現場での実態がどうなっているのかなどわかるはずもありません。
そのため「共有する仕組み」から見直す必要があると思います。


仮に、会社側(本部)と現場側の意見が対立している時、基本的には会社側の判断が優先されることが多いと思います。本部にいる人間の方が役職が高く、物申すことも困難な仕組みができているからです。

しかし、実際に収益を生み出すのは「現場」です。

すべてを権力だけに任せて判断するのだけは絶対に辞めた方がいいシステムだと思います。それによって、毎回意見の対立が起きていたらそれだけでも時間のムダだと思います。

その部分の判断はしっかりと見直す必要があり、
そして、改善が求められると思います。

・・・

■責任を持つ者

✔︎責任を持つのは次の世代のため

社会におけるすべての出来事に共通すると思いますが、私たち人間は「責任」を持ちたくない生き物だと思っています。
特に日本人はそれを顕著に感じることが多くあります。

責任を持ちたくないがために、
自分に関係がないと思ったら、そのことに関わることをしない。

できるだけレベルの低そうな案件だけに手を出して、
自分に責任がないようにする。

こんな人間が増えていく世の中が形成されると、
明らかに崩壊が始まっていくと思います。

社会人以前に人間性の問題です。


これからの時代は移り変わりが激しいことが予想されています。そのときの判断をしっかりできる人間。

「俺が責任を持つ、だから自由にやれ」

とまで言える人間がいることで、大きく揺れ動く時代でも、光差す方へ向かっていけるのではないかと考えます。

・・・

■まとめ

✔︎やりとりの”ズレ”が、社会の”ズレ”

今回は私が見た電光表示板から、
妄想を膨らまして現在社会の問題点に触れてみました。

電光表示板に光が灯っていなかったのは、たまたまかも知れませんが、もし、私の妄想通りであれば、本部と現場の意見のズレが生じています。

もし、そのズレがあるとすれば、誰かが責任を持つことになります。だが、誰も責任を持たないと意思表示した時、社会は歪みます。

そんな人間ばかり集まっていてはいけないのです。

その時に大事なのが、人を責めるのではなく、仕組みを見直すことです。言い換えれば、今回のことは「前例」を信じたために起きたこととも言えます。

前例は、正しい時もあれば、古臭い時もあります。
その部分をしっかりと見極める大切さが求められます。

伝えたかった私の想いはそこにあります。
少しでも共感してもらえれば、書いてよかったと思います。

妄想に付き合ってもらい感謝です。



P.S
明日は、「情熱」について考えていきます。



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