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確かにそこにあった。それを人はノスタルジーと呼ぶ。

今はないもの。
空き家として残ってたが、都市開発によって取り壊された家。当時は人気があったが、時代の波によって閉園という結末を迎えた遊園地。好きだった場所が閉店になると人は集まる。「はじめから来いよ」と言いたくなる気持ちもわかる一方で、その土地にあって当たり前だと思い込んでいて、初めてその場所を訪れる者がいるのも確か。「閉店するって」と周りの人に伝えるだけの人も居るかな。そうして、街は変わっていく。あの時はよかった、その発言の意図を汲み取れる脳力が少し欲しい。

本や人との会話でその当時にそこに確かにあったことを知る。本屋の店主との会話で「あそこの古本屋良かったのよー」とか、ギャラリーの店主との会話で「あのお店好きだったんだけど、取り壊しになってしまうんだよー」とか。ポロッと出てきた発言によって、確かにそこに存在していて、人々の思い出の中に居続けているんだ。と思った。その事実を知るのも、結局その場所が無くなるということでしか知れないというのも歯痒い。そしてその情景を浮かべることしかできなく、あくまで想像することしか出来ず、その当時の感情を知ることができないもどかしさ。ノスタルジーのジレンマ。

残すのがいい、残さない方がいい。そんな話ではない気がする。残さずにまた新しいものが建つのもいいし、当時の思い出がそのまま残り続けるのもいい。残っていると当たり前を知る機会がないのかもしれない。

言葉も流行りによって消えていく。時代の波によって流されていく。なくなっま事実を受け入れて、認識して再創造してくれる方がいるのも確か。それを想像するのは難しく、圧倒的な熱量だろう。私の好きな出版社しかり、私の好きな古本屋だったり。媒介者が後世に繋いでくれる。古本は過去の遺産として現代にその当時の思いを残してくれている。時代背景の違いはあるかもしれない。それでも確かにその当時に感情があり、それを文章として形に残した作家がいる。古本を通じて過去と対話しているみたいだ。

私も「昔はねーこんなんだったんだよ」って人に言えるように思い出をいっぱい作っておきたい。文章でもいい、写真でもいい。見たらその当時に戻れるような、「懐かしいな」と素直に言える私と。

あまり自慢っぽく聞こえないようにだけは注意しないと笑笑

「廃れる」というのは当時の面影がないだけで、無くなったわけではない。残っているだけでありがたいもの。


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