本が読める幸せ
年末の大掃除の最中,デニム生地のブックカバーが目に入った
ブックカバーに手帳を入れてたんだっけな?と開いて見ると,
思っていた手帳ではなく,ブックカバーらしく文庫本が収まっている
目次に切符が挟まれていた
日付は12月28日
脳内に駅のホームの景色が浮かんでくる
行き交う人は皆他人同士で,見知らぬお互いを視界に積極的に入れることをしない都会の風景に一瞬たじろいたんだ記憶が蘇り,あぁ旅行の手荷物に入れていた本だったのかと思い出した
私は久方ぶりに地元を離れ,年末年始を旅先で迎えることにした
1年前,その旅行に持参していた文庫本だった
活字中毒とまでは言わないが,元々は比較的読書好きの性なのか
無意識にページをめくってしまう
私のいつもの癖でページ全体を見渡して,
概略をざっくり読んでしまってから,一行一行を目で文字をなぞっていく
小説を読み進める
16ページ目まで来たときにふと我に返った
あ,本が読めるようになってる
大学時代は片道の移動時間で文庫本1冊なんてすぐ読み切ってしまって
旅先の書店で気になっていた本を買い足すか,
旅の帰り道は音楽と景色で余韻に浸るか,が定番の二択だったのに
旅行だからと刷り込みで文庫本を荷物に入れたものの
一年前の旅行では,一行も読めずに家に帰り着いた
昨年度当時の職場はいわゆるパワハラ・モラハラ管理職がいて,
その人が撒き散らす負の数々への疲弊,と
その人の処遇をどうにもできない上層部への諦め,と
そんな状況でも現場は関係なく動いていて,事務方にいる自分の部署へのクレームは止まない,だから仕事はしなくちゃいけない葛藤,
との狭間にいた
耐えきれなくて合間に1ヶ月の休職を経て職場には戻ったものの,
ただ職場いるだけで,働くと表現するには程遠く
じゅうぶんに働けてもいなかったように思う
職場でかろうじて会話を発することができても,
職場で気力を使い切ってしまうからなのか,
家に帰ってアドレナリンの鎧を脱いでしまうと家族の前ではあまりうまく話すことができなくて
食もすっかり細くなっていて,料理の手伝いの途中で味見を積極的に食べようとしてみるだけで,母が嬉しそうに「食べられるならいくらでもつまみ食いしなさい」と言われてしまうぐらいには食事もまともには食べられていなくて
眠ることさえも薬頼みで,持病が再発しないだけ奇跡だなーと日々ぼんやりとしていた
そんな状態で向かった旅路では,往路も復路もただ景色を見てぼーっと眺めていた
時折頬をつたうものだけ拭うだけで,
バッグから本を取り出すことさえできなかった
一行だって読めなかった
一行を読むことさえできなくなっていたのに
物語を追いかけることもできるようになった
仕事に追われるばかりで自分の変調にはいつも気付くのが遅れてしまうけれど
ちゃんと回復してたんだな
自分らしさが帰ってきてくれた気がした
当たり前のように幸せに気づけた今日
来年はきっともっといい年になる
良い年に自分でするんだと心に決めて
皆さんにとっても良い年が迎えられますように
今年もありがとうございました
来年もよろしくお願いします
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