ヤン・コワルスキ

ソーシャルワーカーの仕事とその隙間についての覚書。

ヤン・コワルスキ

ソーシャルワーカーの仕事とその隙間についての覚書。

マガジン

  • 生活保護制度関連

    生活保護に関する記事のまとめです。

  • ソーシャルワーク

    ソーシャルワークについての個人的な見解を書いた記事のまとめです。

  • 公園を巡ってみた

    主に首都圏近郊の公園を散策した記録です。動植物を見たり景色を楽しんだり、自然と調和する人工物を見たりします。日本庭園も好きです。ゆくゆくは遠征したい。バーベキューやスポーツなどのレジャーはほとんど考慮していません。

最近の記事

いわゆる境界知能とされる様態について

 去年か一昨年ごろ、起業家の方がセックスワークのうちのハイリスクなものに従事している女性と境界知能とを結びつけて議論を立てているのを拝見しました。その時もこれはまずいと思って筆を取ったのですが、うまくまとまらずにボツ原稿になっています。  そして先日、特定の言動をとるネットユーザーに対して境界知能呼ばわりする投稿を目にしました。冒頭の件もかなり看過しがたい言論だったのですが、こちらには輪をかけて危機感を覚えました。境界知能は自分に理解しがたい言動をする他者をカジュアルに愚弄す

    • 春から学生のような身分になり、一つの本を10頁読むのに3日かかるような営みをしています。それになんとかついていけているのはわたしの精神分析への関心に薪を焚べ続けてくれた文物や人のお陰でもあり、またわたしを危機感とともに学びへと駆り立ててくれる人たちのお陰でもあります。頑張るます。

      • ソーシャルワーカーとカウンセリング

        ソーシャルワークの教科書を紐解くと、ソーシャルワーカーの仕事としてカウンセリングが挙げられています。また、英米のソーシャルワーカーの文献を渉猟していると、そこにはソーシャルワーカーがカウンセリングをしている記述に遭遇します。英米での実践はともかく、日本においてさえ少なくとも理論的にはソーシャルワーカーの職務の一つとしてカウンセリングが位置づけられているようで、標準的な教科書にもカウンセリングについての言及があります。  にも関わらず、ソーシャルワーク実践の現場においては「カウ

        • 福祉政策の当事者になる覚悟はあるか

           一つ前の記事で専門職が社会統制の手段となることを国家から期待されている、という話を書きました。書き出しに迷って眠っていたこの記事にちょうどそのあたりのことが逆サイドから書いてあったので、この機会にお出ししようと思います。本旨は「福祉専門職に政策の手段として働く覚悟があるか」ということです。タイトルままですね。 日本の福祉政策に不備は多い  日本の福祉政策について管見の範囲で申し上げるなら、使い勝手が悪いということに尽きます。制度的には至れり尽くせりのように見えて、実際に

        いわゆる境界知能とされる様態について

        • 春から学生のような身分になり、一つの本を10頁読むのに3日かかるような営みをしています。それになんとかついていけているのはわたしの精神分析への関心に薪を焚べ続けてくれた文物や人のお陰でもあり、またわたしを危機感とともに学びへと駆り立ててくれる人たちのお陰でもあります。頑張るます。

        • ソーシャルワーカーとカウンセリング

        • 福祉政策の当事者になる覚悟はあるか

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        記事

          ソーシャルワークは期待されているか

           公認心理師はソーシャルワークを期待されている、という趣旨の発言はかねてから見られたものですが、最近またその手の聞き捨てならない発言が視界に入ってきましたので、一度その誤解を解いておきたいと思ってこの文章を書いています。結論から申し上げると、社会は心理職に対して特にソーシャルワークを期待していない、ということです。  そもそもソーシャルワークとは、という話になるわけですが、わたしが論じるにはあまりに主語が大きくて手に余ります。わたしに限らずソーシャルワーカー当事者でもスマー

          ソーシャルワークは期待されているか

          社会が心理職に対してソーシャルワークを期待しているように見えるなら、それはソーシャルワークを治安維持の手法とみなす社会の見方にコミットしていると白状しているようなものだ。

          社会が心理職に対してソーシャルワークを期待しているように見えるなら、それはソーシャルワークを治安維持の手法とみなす社会の見方にコミットしていると白状しているようなものだ。

          愛着を持たない人にとってセルフプロデュースは生存戦略なんだけど、愛着を持てる人にはそこに自己受容が絡むから話がややこしいんだろうな。

          愛着を持たない人にとってセルフプロデュースは生存戦略なんだけど、愛着を持てる人にはそこに自己受容が絡むから話がややこしいんだろうな。

          期待を捨てる勇気|『親といるとなぜか苦しい』読後評

           『親といるとなぜか苦しい: 「親という呪い」から自由になる方法 』という本を読みました。して、一応最後まで読んだので感想を書いていこうと思います。一頃はコミックエッセイも含めてこれ系の本をよく読んでいたものです。まさか、岡田尊司先生が関与している言論にまた接する日が来るとは思いませんでした。  本書はいわゆる毒親本とは違う、ということを強調しており、精神的に未熟な親という表現も毒親toxic parentに比べるとだいぶマイルドな印象を受けます。ただ、本書の筆致から感じら

          期待を捨てる勇気|『親といるとなぜか苦しい』読後評

          わたしがしたことについては釈明の機会を与えてもらえたにもかかわらず、わたし自身がされてきたことについては弁明なり釈明なりの機会を設けてこなかったので、わたしは自分が思うよりずっと冷淡な人間なのかもしれない。

          わたしがしたことについては釈明の機会を与えてもらえたにもかかわらず、わたし自身がされてきたことについては弁明なり釈明なりの機会を設けてこなかったので、わたしは自分が思うよりずっと冷淡な人間なのかもしれない。

          フロムを読むときが来た…!(ボツ原稿を横目に)

          フロムを読むときが来た…!(ボツ原稿を横目に)

          依存としての社会批判

           先日の記事で「葛藤には斥力が働いている」と書きました。斥力とは離れていく方向の力、つまりは葛藤しないように、葛藤から降りるように差し向ける力が葛藤に対して働いていると考えます。そのことについて私なりの見解を書いていこうと思います。例によって個人的見解です。 葛藤とその自然状態  葛藤とは両立し得ない二項以上の対立です。これを人のこころに当てはめると、2つ以上の両立しない考え方、生き方ということができるでしょう。  幸福にも心身、環境とも大過なく成人した大人が遭遇する最初

          依存としての社会批判

          こころと脳機能障害

          障害福祉における精神医学的心理学的知見  障害福祉分野、特に精神障害に関連する分野におりますと、精神医学/心理学の知見は必要不可欠というか、少なくとも精神保健福祉士の養成課程で学ぶそれだけでは全く太刀打ちできないような困りごとに遭遇します。クライエント自身、クライエントを取り巻く人間関係、支援者同士や組織の考え方を理解しなくては全く仕事が成り立ちません。他人のことですからもちろん理解し尽くせるものではありませんが、自分なりに仮説を立てて検証を繰り返しながら事態が改善するかど

          こころと脳機能障害

          ちゃんと生きていくって大変だ

          ※本稿はただの自分語りです。  最近になって財形を始めました。わたしの人生史においてはかなり画期的な出来事です。自分の将来のためにすることだからです。今まで避けてきた自分の将来とようやく向き合うことになったあり方の一つの結果ではないかと思っています。  どうやって生計を建てていくかということそれ自体は10代の終わり頃から考え続けてはいましたが、あまり愉快な話ではありませんでしたね。どうやったら食いっぱぐれないか、みたいな後ろ向きで暗い発想で自分の人生を考えていました。功利

          ちゃんと生きていくって大変だ

          書いてはボツ、考えてはボツを繰り返してnoteの下書きに大量の残骸を残しつつ、結局は読後評だけにしてアップすることにしました。何かを書くのは難しいですね。

          書いてはボツ、考えてはボツを繰り返してnoteの下書きに大量の残骸を残しつつ、結局は読後評だけにしてアップすることにしました。何かを書くのは難しいですね。

          『臨床現場に生かすクライン派精神分析』読後評

           昨年、縁あってウィッテンバーグという分析家の本を読む機会を持ちました。  素養のない人間にとってクライン派や対象関係論というのはとにかく難解で、スィーガルをちょっと読んだきりクラインアレルギーを起こしていて、失礼ながら「どんだけ乳房って言うんだよ」などと感じておりました。そんな自分にも本書は素直に了解可能な部分が多く、ワーカーが本邦の文脈に即して心理療法家と訳される苦汁を味わいはしましたが、枯渇していた精神分析への関心を揺り起こしてくれそうな本でした。  何よりも、アタッ

          『臨床現場に生かすクライン派精神分析』読後評

          貧困ビジネスの表層

           noteとは別のSNSで悪徳無低(無料定額宿泊所の略、以下同)、もとい貧困ビジネスに関する新聞記事が流れてきたのですが、なんというか率直に何年も前から代り映えがしない内容だな、と思いました。貧困ビジネスに絡めとられた人のインタビューを通じて生活保護行政を批判する構成まで一緒で、世の中は新型コロナの盛衰も含めて大いに状況が変わっているにもかかわらず、ですよ。  何年も同じ構成で事例だけ差し替えた内容が新しい記事としてアップロードされ、それが問題提起として一応通ってしまうのは

          貧困ビジネスの表層